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新聞のコラムは、社説ほどには新聞社としても力は入れにくいのだろう。少なくとも社説には「新聞社としての主張」と言う建前・看板・面子があろうから(*1)、書く記者も推敲するデスクも(少なくともある程度)気が抜けない。それに比べればコラムは、「自由」でもあれば「気まま」でもあろうし、論理や構成をとやかく言われることも、デスクから読者まで少ないのが道理であろう。
だからか、と思えなくもないが、こんなコラムが東京新聞に掲載されている。
<注釈>
(*1) そんなものは欠片もなさそうな新聞社説もままあって、当ブログの格好なネタを提供してくれるのだが。
【東京新聞コラム】筆洗 2014年2月20日
古い怪奇映画なんかのおしまいにこんなナレーションがよく入る。「あなたにも、起こるかもしれない話なのです」。現実かもと警告する。これが実に怖い
▼「あの鉛色の物体がいつあなたの庭に落ちてくるかもしれないのです。明日、目が覚めたら、まず庭をご覧ください」。「ウルトラセブン」の「緑の恐怖」。おびえた記憶がある。庭を見ろ。具体的な指示が一層怖さを強める。そんなはずはない。でも
▼<多喜二忌や糸きりきりとハムの腕>秋元不死男(ふじお)。二十日は『蟹(かに)工船』の作家小林多喜二の忌日である。一九三三年二月二十日、特高警察に逮捕され拷問死した。軍国主義に反対する危険思想の持ち主。そんな理由で人が殺される。わずか八十一年前のことである
▼<糸きりきりとハムの腕>。「きりきり」という、オノマトペ(擬音語)が醸す恐怖。小林が死んだ八年後の四一年に秋元も新興俳句弾圧の京大俳句事件で特高に検挙された。きりきりは自分の痛みでもあろう
▼前の俳号は、東(ひがし)京三。並べ替えると共産党。<冬空をふりかぶり鉄を打つ男>。鉄は資本主義。それを打つので革命だ。いずれの特高の言い掛かりも狂気である
▼日本は今どっちへ向かう。平和か。小林や秋元の時代か。<戦争が廊下の奥に立つてゐた>。秋元と同じ時期に摘発された渡辺白泉(はくせん)。明日、目が覚めたら、まず廊下をご覧ください。
「保身に長けたコラム」は、是か、非か
さて、如何だろうか。
冒頭に「古い怪奇映画などのエンディング」を持ってきて「掴み」とし、「戦前=大日本帝国の暗黒時代」を「特高警察」「拷問死」などをキーワードとして描き出す。仲々凝った演出で、正に「怪奇映画」のごときおどろおどろしさを漂わせる。その点では「優れたコラム」とさえ言えそうだ。これだけでは、「構成・演出が優れたコラム」でしかないが。
それが、急転直下、最後のパラグラフで・・・
1〉 日本は今どっちへ向かう。平和か。小林や秋元の時代か。
2〉 <戦争が廊下の奥に立つてゐた>。秋元と同じ時期に摘発された渡辺白泉(はくせん)。
3〉明日、目が覚めたら、まず廊下をご覧ください。
2〉 <戦争が廊下の奥に立つてゐた>。秋元と同じ時期に摘発された渡辺白泉(はくせん)。
3〉明日、目が覚めたら、まず廊下をご覧ください。
と、冒頭で触れた「古い怪奇映画などのエンディング」と同じ手法で〆る。最後の最後まで「構成・演出が優れたコラム」ではある。が、上記1〉~3〉に「込められた」、唐突な程の主張はなんだろうか。
即座に連想できるのは、一頃のかますびしさこそなくなった「特定秘密保護法反対キャンペーン」であろう。その頃の東京新聞が、朝日や毎日と共に「特定秘密保護法反対キャンペーン」を大々的に実施していた事は、その社説からして明らかだ。「特高警察」や「戦前=大日本帝国の暗黒時代(*1)」のイメージも良く「特定秘密保護法反対キャンペーン」に利用・引用されていたから、この「連想」は、殆ど不可避と言えそうだ。従って、上記1〉~3〉は現行・安倍首相並びに安倍政権批判であり、特に特定秘密保護法反対論に基づく批判であると、「行間を読む」までも無く「読む」事が出来る。
だが、上掲東京新聞コラムには「特定秘密保護法」はおろか「安倍首相の"あ"の字」すら書かれていない。上記1〉~3〉にしても、「日本の未来や、戦争に対する漠たる不安の表明」と主張できる文章になっている。左様、上掲コラムには「特定秘密保護法反対」も「安倍首相批判」も、「文言として書かれていない」。従って、アワモリ氏や「星の旅」氏の論理(*2)に従えば「文言として書かれていないのだから、主張していない。」と、正々堂々主張出来るのである。
コラムは、社説では無いのだから、「新聞社の主張」が盛り込まれ、表明されている必要は、必ずしもない。「日本の将来に対する漠たる不安を訴えたコラム」と言うのも、あっていけない理由は、無い。
上掲東京新聞コラムの「行間にもならない処」に「東京新聞の主張=特定秘密保護法反対 & 安倍首相批判」を仕込み、尚且つその主張を「文言として書かない」事で、反論されたり糾弾されたり(*3)することを免れている。少なくとも「免れる可能性があるように、書かれている」。その意味で、上掲東京新聞コラムは、前述「構成・演出が優れたコラム」ばかりか、「保身に長けたコラム」という事が出来よう。
で、読者諸兄に問おうではないか。我が日本国の現代・現状に於いて、上掲東京新聞コラムの様な「保身に長けたコラム」を、称賛するか、批難するか。
私(ZERO)は、再三繰り返す通り特定秘密保護法に賛同しているし、その点で東京新聞、朝日、毎日などの「日本新聞協会左半分」とは意見を異にしている。
だが同時に私(ZERO)は、これまた再三繰り返す通り我が国が自由主義体制・民主主義体制にある事を(*4)大いに支持している。だから、東京新聞がその主張をそのコラムに「込める」のは当たり前で、推奨こそすれど、反対はしない。ああ、反論なら、するがね。
だが、上掲東京新聞コラムは、曲がりなりにも民主主義体制を取る西側自由主義社会に於いて、態々「保身に長けたコラム」になっている。とても「新聞社として言わねばならない事は、言わねばならない」と大見得切って見せた(*5)東京新聞のコラムとは思えない姑息さ。その姑息が、本記事タイトルを「こりゃ「筆汚し」、否、「面汚し」だ」とした所以だ。この「保身に長けたコラム」は、我が国の言論の自由を否定しているし、「我が国に言論の自由が無い状態」を肯定さえしている。
もう一寸穿った見方をするならば、朝日新聞が掲げた「伏字社説」と同様に、「保身に長けたコラム」を掲げる事で「特定秘密保護法の恐ろしさを読者に伝える」意図があったと、想像できるが・・・どうだろうねぇ(トテモシンジラレナイ)。
<注釈>
(*1) このステレオタイプなイメージにも、私(ZERO)は大いに異議があるが。(*2) 再三引用している。いや、実に良い材料だ。(*3) 国によっては逮捕投獄されたり。上掲コラムの中では「特高警察の言いがかり」にも触れているから、「拷問死」にも結び付くな。(*4) 先々回の衆院選挙で民主党が「憲政史上最多の衆院議席数を獲得」して大勝した際にも「我が国民主主義体制に失望はしたが、絶望はしなかった」程に。(*5) その「新聞社として言わねばならない事」が①脱原発 ②オスプレイ日本配備(だけ)反対 ③消費税率アップ反対 の三つでしかない点には、賛同できないどころか情けなくなって来るが。①エネルギー政策の一手法 ②駐留外国軍の装備機種(それも輸送機) ③我が国の税制 が、並列・同列かよ。