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「安倍政権が新しいエネルギー基本計画の政府案を決めた。」事を受けて、脱原発原理主義筆頭の東京新聞や毎日新聞がさっそく社説に取り上げた…は良いが、ロクな社説にも主張にもなっていない事は、既に記事にしてアップした処(*1)。これらに続いてアカ新聞筆頭朝日新聞も「安倍政権の新しいエネルギー基本計画の政府案」を社説で取り上げ、例によって例の如くの脱原発原理主義で批判糾弾している。となれば、これまた当ブログで取り上げない訳には行くまい。
取り上げない訳には行かないが…果たして、取り上げる価値があったのか…
<注釈>
(*1) 逆だ、馬鹿者―【毎日社説】「エネルギー計画 原発維持は公約違反だ」の奇怪・詭弁・思い込み http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/38895365.html「討ちてしやまん」「欲しがりません勝つまでは」と、何が違う?―【東京社説】「エネ計画政府案 未来を誤る"原発頼み"」に見る恐るべき精神論 http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/38897535.html【朝日社説】エネルギー政策―これが「計画」なのか
2014年2月27日(木)付
【1】 安倍政権が新しいエネルギー基本計画の政府案を決めた。
【2】 昨年末の原案から少し手直しがあったものの、焦点の原発については依存度を「可能な限り低減させる」としながら、何の手立ても示していない。
【3】 これではとても「基本計画」とは言えない。
【4】 原発による発電の比率は、原子力規制委員会の審査状況が見通せないため、具体的な数字が盛り込めないという。
【5】 私たちは社説で原発ゼロを目指すべきだと主張してきた。安倍政権は原発維持の立場だが、「減らす」というからには、数字が出せなくても、その手順を示すのは最低の条件である(*1)。
【6】 ところが、政府案は「規制委の判断を尊重し、再稼働を進める」というだけだ。
【7】 福島第一原発の事故が起き、規制が強化された。おのずから動かせる原発の数は減る。それ以上のことは何もしないなら、ただの現状追認でしかない。
【8】 使用済み核燃料を全量再処理する核燃料サイクル事業も、行き詰まりを直視せず、相変わらず「推進」とうたっている。
【9】 詰める点はほかにもある。
【10】 老朽化した原発を円滑に閉めさせるため、政府は何をするのか▼30キロ圏内の自治体に義務づけた防災計画を再稼働の判断にどう位置づけるのか▼使用済み核燃料棒の保管場所を確保できる見通しがたたない原発は、その段階で運転を止めさせるべきではないか……。
【11】 電力市場の活性化も原発と密接に関連する。【12】 電力会社は原発の再稼働をにらみ、老朽化して燃料効率の悪い火力発電の建て替えに動こうとしない。政府が原発以外への電源へシフトさせる策(*2)を示さなければ、代替電源の開発は進まない。化石燃料費の圧縮にもつながらない。
【13】 原発への回帰は、再生可能エネルギー事業者など新電力にとっても投資意欲を失わせる。当面のコスト競争では既存の原発が有利だからだ。政府が原発の低減に強い意志がないと見れば、リスクをとって新規参入したり、新技術を開発したりしようという企業は出てこない。
【14】 原発は政府の支援がなければ成り立たない電源だ(*3)。事故の反省をもとにエネルギー計画を立てる以上、まず政府自身が原発に偏ってきた政策を改めるべきだ。そうしない限り、政権が進めようと意気込む電力改革も挫折する可能性が高い。
【15】 政府案はこれから、自民、公明両党のワーキングチームで議論するという。国民がしっかり見ていることをお忘れなく。
<注釈>
(*1) へっ?「原発ゼロをめざすべきだ」と主張するきりでその「手順」の「て」の字すら示していないのは、朝日新聞はじめとする脱原発派の方であろうが。何だって原発維持の安倍政権には「原発を減らす手順」を求めるのか。そりゃ一新聞社と政府とではエネルギー政策に対する責任が違おうが、「原発を減らす手順」を真っ先に問われるのは、「脱原発派」の方で、その脱原発派は先の都知事選の細川-小泉元首相コンビニ典型的に表われる通り「脱原発の掛け声をかけるだけ」であろうが。(*2) 一体何をどうする「策」だよ。小泉元首相の様に「政府は決断さえすれば良い」理論ならば、我が国は大東亜戦争に勝って居る筈だろう。(*3) 政府の支援が無ければ成り立たないのは、太陽光・風力などの再生可能エネルギーの方だろうが。辛うじて採算性があるのは水力ぐらいだ。太陽光や風力の発電量は水力の3~4倍の高価格で全量強制買い上げている・この発電量全量強制高価買取制度で漸く再戦性を確保しているのが、太陽光・風力である。発電量が制御不能で、稼働率が1~2割と低いのとは、別の問題だ。
体裁は良いが、東京並み・毎日以下。 判定:社説落第
さて、如何だろうか。
全体として平易な文章で書かれた、その意味で「読みやすい」社説である。先行記事で取り上げた東京新聞なんかと比べると「流石に全国紙は文章の洗練度が違う」と言いたくなりそうだ(*1)。
だが、その「平易な読みやすい文章」で「主張して居る事」となると、これは私(ZERO)の様な「異教徒=非脱原発原理主義者」には一読ぐらいじゃ判らない。つまりは「信者=脱原発原理主義者」向けの主張であり、ある種の「檄文」という事なのかも知れない。
なにしろ、上掲朝日社説タイトルで「これが「計画」なのか」と断じ、パラグラフ【3】でも「これではとても「基本計画」とは言えない。」と繰り返している。かなり強硬な主張なのであるが、では「何故、安倍首相の"新しいエネルギー基本計画政府案"が"基本計画"失格なのか?」と言う批判理由・批難根拠はほぼパラグラフ【5】に尽きて居て、
1〉 私たちは社説で原発ゼロを目指すべきだと主張してきた。
2〉安倍政権は原発維持の立場だが、
3〉減らす」というからには、数字が出せなくても、その手順を示すのは最低の条件である
2〉安倍政権は原発維持の立場だが、
3〉減らす」というからには、数字が出せなくても、その手順を示すのは最低の条件である
と、平気の平左で主張出来てしまうのだから、脱原発原理主義に限らず「原理主義」とは恐ろしいモノだ。上記1〉「原発ゼロを目指すべきだと主張してきた」主体は、朝日新聞自身を筆頭に、山本太郎議員、先の衆院選の「未来の党(*2)」、先日都知事選の「細川-小泉元首相コンビ」まで数多あるが、それらからは「原発ゼロへの手順」なぞ最低限も何も欠片ぐらいしか出て来ていない(*3)。朝日新聞自身は「原発ゼロの主張者であって、実施者では無い」と開き直る(*4)としても、小泉元首相まで「原発ゼロ方針は打ち出すが、原発代替電源は示さない/示す必要が無い。」と放言しているのを放置・容認して、何故に上記2〉で「原発維持の立場」と朝日自身が認める安倍政権に、「原発を減らす手順」を、それも「最低の条件」として求めるのか。安倍政権は「原発維持の立場」なのだから、「原発を維持し、代替建設もする、原発維持の手順」を示したとて、「矛盾しない」どころか「首尾一貫している」と言うのに。
この奇怪なダブルスタンダードは、「脱原発原理主義」を仮定すれば解決する。「脱原発」は「至尊至高の原理」にして「絶対善」であるから、例え「原発維持の立場」である「安倍政権」とて「原発を減らす手順」=「絶対善を実現する方法」を示さねばならない。「脱原発は絶対善」であるから、「絶対善への道を示さないエネルギー基本計画」は「異端の書」であり、「これが「計画」なのか」/「これではとても「基本計画」とは言えない」と断言できてしまう。
朝日新聞自身が「原発ゼロへの手順」を欠片も示さずにいて恬として恥じないのは、「脱原発」と言う「絶対善」を「布教」する「布教者・司祭」だからかね。それでも、都知事選に於ける小泉元首相の「原発ゼロ方針は出すが、原発代替電源は示す必要が無い。」を容認・看過する理由にはならなかろうが。
ああ、小泉元首相発言を容認・看過できるCaseが二つだけあるか。
【Case1】 「都知事になって脱原発」と言うのは、キャッチフレーズであって実行政策では無い(*5)。故に「原発代替電源」は必要ない。
【Case2】 「脱原発は絶対善」であり、「脱原発」を唱えてさえいれば、全ての責任も罪も免れる。
…いずれもロクなCaseじゃないな。
無論我々「異教徒=非脱原発原理主義者(*6)」にとっては、だが。
上記に比べれば、パラグラフ【12】と【13】で主張する「原発止めて、わざと窮地に陥る事で、新エネルギー(*7)開発・普及促進」なんてのは、先行記事で取り上げた東京新聞と同根だ。ああ、東京新聞張りに「日本の技術は世界一ぃぃぃぃっ!」と口走らないのは、「朝日新聞の矜持」ということかな(*8)。
これが「朝日新聞社説」なのか
否。
これこそ、「朝日新聞社説」だな。
これこそ、「朝日新聞社説」だな。
原理主義は思考停止の一種だから、傍から見れば馬鹿にしか見えない事が在るのは当然だが、それにしても凄まじい惨状だな。
<注釈>
(*1) 同じく先行取り上げた、全国紙(の筈)である毎日新聞との比較は、先ずは置こう。(置きっぱなしだが)(*2) 衆院選後、惨敗を受けて自主解散。「発展的に分党」とか何とか称していたようだが。「自称」の域を出ない。(*3) 「未来の党、過去の党へと驀進中」など参照(*4) そりゃ扇動者ではあってもオピニオンリーダーでも論客でもないが、扇動者であるのは朝日新聞の勝手だ。(*5) と、朝日新聞自身が実は認めている。「脱原発の争点化!」だの「脱原発と原発容認の戦い」だの、言葉遊びに過ぎなかったと言う訳だ。(*6) ここで「異教徒=非脱原発原理主義者」と言う中には、真面でまじめな「脱原発主義者」=「脱原発原理主義に(まだ?)陥っていない脱原発論者」を含んでいる。と思う。「脱原発原理主義に(まだ?)陥っていない脱原発論者」ならば、少なくとも【Case2】は無いだろうし、理性的な理屈は通じる(筈)と、期待する。どれぐらいそんな人が居るのか、知らないが。(*7) って、何の事言ってるんだろうね。原発1機を1GWとしても、代替するのに20MW級メガソーラーが定格出力で50か所必要。稼働率を勘案すればまずこの5倍、250か所が必要で、尚且つこの250か所のメガソーラーは夜間は1kwも発電しない。(*8) ただ単に「日本が嫌い」と言うだけかも知れないが。