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 「朝鮮人は、ハングル国粋主義に陥って漢字を駆逐してしまったから、頭が悪くなった。」と言う、まことしやかな噂がある。
 
 日本人がひらがな国粋主義に陥って、漢字を駆逐したら、頭が悪くなるだろうか?」と類推するとそのうわさもさらにまことしやかにおもえてくるのだが、わたし(ZERO)はちょうせんごにどれほどどうおんいぎごがあるかをしらないから、にわかにはそくだんしかねる。ただ、「まことしやかだな」とかんじるまでだ。

 いっぽうで「にほんがひらがなこくすいしゅぎにおちいって、かんじをついほうしたら、あたまがわるくなるか?」というせつもんにたいしてならば、「これは、もう、かくじつにわるくなる。」とだんげんしてしまうが。

 だいいち、そんなことになれば、かこのぶんけんのはんぶんがよめないという、はんもんもうじょうたいにおちいるのはめいはくだ「かこのぶんけんなんぞ、いちぶのれきしがくしゃがよめさえすればじゅうぶん」というぐみんかせいさくとしては、ゆうこうなしゅだんであろうが。
 
 ××、×ZERO)のブログ×××に×××××りに×××××なんぞは、××××××るに×いない。×ブログ××なんてのは「××××」として×した×××いかも×れない。が、×××××のあらゆる××、××××××××××して×いが×××までこんな「××××××××」に×るのであるから、「××××」「××××」は××ろしい×。××だって×××××××ろう。
 
 えーい、止めじゃ止めじゃ。訳が判らない。(*1)
 
 無論、私(ZERO)のブログ記事和漢混交文張りに漢字文章なんぞは、解読不能るにいない(*2)。当ブログ記事なんてのは「歴史的資料」としてした価値いかもれない。が、漢字追放以前のあらゆる文献、特近代以降日本語していが文献までこんな「解読不能暗号状」にるのであるから、「歴史断絶」「文化断絶」は空恐ろしい文学だって一度壊滅状態ろう。
 
 ひょっとしたら、「朝鮮語ならばそんな事にならない」のかも知れない。が、「ウリナラ半万年」の大半を大陸は支那の属国として過ごし、その間支那に阿って漢字絶対主義に陥りハングルを迫害して来た朝鮮の方が、「日本がひらがな国粋主義に陥る(*3)」よりも酷い状態になるのではないかと想像するが…実際に、そうなっているのではないかと、下掲の朝鮮日報記事を読むと感じるぞ。
 

 

<注釈>

(*1) 「言葉が通じない事や、一部だけ通じる事を、伏字の多少で表わす」手法は、ゲーム「大航海時代」でも使われていたが。なかなか秀逸な表現だ。無論、上記数行は、「全ての漢字を伏字「×」にしたら」と言う試み。元の文章は、以下の数行になる。 
 
(*2) 実際、上記の通り「解読不能」であろう。
 
(*3) そうなると、上記の通りの惨状を呈する訳だが。 
 
【朝鮮日報】「零戦」はなぜ特攻隊用の戦闘機に使われたのか
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2014/02/05/2014020500646.html

【1】 太平洋戦争中、旧日本軍の神風特攻隊に主に使われた戦闘機は、当時の主力戦闘機「零戦」だった。その名前は「A6M零式艦上戦闘機」という正式名称に由来する。

【2】 機動力を高め、航続距離を延ばすため、操縦席や燃料タンクに防弾装置を設けず、自動消火装置も取り付けていたため「空っぽの飛行機」という別名もあった。これに対し米軍は、操縦士を保護する装置を強化した「ヘルキャット」を開発し、空中戦で零戦を圧倒した。

【3】 これは米日両国の戦争哲学を反映したものだ。操縦士の安全を徹底的に無視した零戦が、敵艦への自爆攻撃を行った神風特攻隊用の戦闘機に使用されたのは当然の結末だった。日本の軍国主義の象徴である靖国神社に併設されている展示館「遊就館」の1階には、この零戦が展示されている。

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
 

「日本語訳」である点には、留意の要有り

 さて、如何だろうか。
 
 端的に言えば「零戦を通じての、日本批判」であり、「零戦と日本人の悪口」であろう。「親日」と言うのが悪口どころか犯罪になって財産没収されたり私刑にされたりされかねない国の新聞記事だから、「日本批判」はいつもの事だが、その題材として「零式艦上戦闘機」を持ってきた処に一応新味はある。想像するに、神風特攻隊員の遺書を世界遺産に推薦する動きが日本にある事から、取材なり調査なりをしたのだろう。つまりは「泥縄」であり「付け焼刃」なのではないかと、想像できる。
 
 そんな想像が働くのは、こんな短い記事に、妙な点や不可解な点が数多あるから、だ。以下に分類して列挙して行こう。
 
 ああ、上掲朝鮮日報記事が日本語版である事には、章題にした通り留意が必要だろう。翻訳の段階で誤訳誤解等が入り、「原文には見られなかったミス」などが発生している可能性が(一応)ある(*1)。

 

<注釈>

(*1) こういう時は、「ハングルで原文読めた方が良いな」と思う。そんな事を思うのは、こういう時ぐらいだが。 
 

[1] 明らかな誤記

1〉操縦席や燃料タンクに防弾装置を設けず、
2〉自動消火装置も取り付けていたため
 
…この日本語に訳した翻訳者と、それをネット上で全世界公開を許可したデスクの正気を疑いたくなるような文章だ。「防弾装置を設ける」「自動消火装置を取り付ける」と言う二つの事象を、前者は「設けず」と否定し、後者を「取り付けていたため」と肯定し、尚且つ後者を「自動消火装置も」って・・・「も」だぞ。「自動消火装置」以外のもう片方は、何だ。上記1〉~2〉にある単語としては、「防弾装置」しかなかろう。ならば、「も」英語で言えばtooなのだから、「防弾装置も自動消火装置も」、「設けた/取り付けた」のか、「設けず/取り付けず」なのか?????

 少なくとも上記1〉~2〉は、訳の判らない、筋の通らない日本語だ。原文・ハングルはどうなっているのか、実に興味ある処なんだがね。

 

[2]ユニークな見解 もしくはかなりの曲解

3〉 「空っぽの飛行機」という別名もあった。
 
 私は零式艦上戦闘機の専門家ではないが、零式艦上戦闘機を知ってからの付き合いは長い。ZERO、ZEEKに始まって零式艦上戦闘機の別名は幾つか知っているが、「空っぽの飛行機」と言うのは聞いた覚え読んだ覚えが無い。
 
1〉操縦席や燃料タンクに防弾装置を設けず、
2〉自動消火装置も取り付けていたため
 
この別名があると、上掲朝鮮日報記事は報じる訳だが、前述の通り上記2〉「自動消火装置も取り付けていたため」「自動消火装置も取り付けていないため」と(相当無理矢理)読み替えたとしても、防弾装置や自動消火装置が無い事を以って「空っぽの飛行機」と呼ぶのは、やはり無理があろうが。
 
 「飛行機の本質」とは「空を飛ぶこと」であろう。
 
 「戦闘機の本質」は「敵の飛行機と戦い、これを撃墜/撃退すること」であろう。
 
 「防弾装置や自動消火装置」は、「空を飛ぶこと」には直接関係ない。むしろ「空を飛ぶ」上では不要な装置であるから、余計な重量であり空間として「空を飛ぶこと」を邪魔・阻害するものだ。
 
 「防弾装置や自動消火装置」は、「敵の飛行機と戦う」上で有利をもたらす装置であろう。とは言え直接「敵の飛行機を攻撃する」ものではないし、攻撃を有利にするものでもないから、「戦闘機の本質」を支援するまでだ。従って「防弾装置や自動消火装置が無い」事を以って「空っぽの戦闘機」と評する事は、ある程度無理すれば可能であろう(*1)。「空っぽの飛行機」と「別名があった」なんて、全く信じ難い。
 
 ひょっとして、「まさかそんな事は無い」と思いたいが、「空虚重量」を変な風に誤解してはいないか?
 「空虚重量」とは、燃料・弾薬・搭載物や乗員などを除いた「純粋に機体だけの重量」。零戦に限らず、航空機には基礎的なデータの一つ。零戦は軽量化に鋭意努力し(*2)た機体だけに、「空虚重量が軽い」のが一つの特徴である。その記述を妙に誤解した…何だか、ありそうな話に思えて来たぞ。だが、そんな「誤解をした」のならば、この記事を書いた朝鮮日報記者は、「航空機について全くの素人」という事になる。ああ、これも、「ありそうな話」か。

 

<注釈>

(*1) とは言え、第2次大戦戦闘機、特に前半の戦闘機では、この考え方では相当部分が「空っぽの戦闘機」と評されることになるが。
 
(*2) 空を飛ぶ航空機が「空虚重量の軽量化」に努力するのは、いわば当たり前だが。 
 

[3] 悪意ある短絡思考

 上掲朝鮮日報記事は、零戦に対する米国・グラマンF6Fヘルキャット戦闘機の充実した防御装備を讃え、次の通り記述している。
 
4〉  これは米日両国の戦争哲学を反映したものだ。
5〉 操縦士の安全を徹底的に無視した零戦が、敵艦への自爆攻撃を行った神風特攻隊用の戦闘機に使用されたのは当然の結末だった。
 
…「米国の人命重視」と「日本の人命軽視」を対比して、後者を以って「零戦の防御装置欠如」と「神風特攻隊」を直結して見せている訳だが…なんともはや。
 
 無理かもしれないが、頭冷やして考えて見ろよ、朝鮮日報記者。「神風特攻」戦術=「爆装した航空機による対艦体当たり攻撃」が「人命軽視」だとしても、だ。「人命軽視」さえすれば、「神風特攻隊」戦術を実行できるのか?それも「人命軽視」で「防御装置欠如」した「零式艦上戦闘機」で。
 
 朝鮮日報記者殿は御存知ないようだから序でに書こう。大戦後半の零戦には、グラマンF6Fには見劣りするが防弾装置が追加されている。自動消火装置は零戦の事実上の後継機である紫電改に装備されている。

 更に書けば、神風特攻隊として投入された機種は零戦に限らず広範にわたり、93式中等練習機「赤トンボ」まで無理矢理爆装して投入されている。「防御装置の欠如」どころか複葉羽布張りのレシプロ単発復座機だ。1式陸攻に搭載されて発進すロケット推進子機「桜花」に至っては、特攻専用機だ。「人命軽視の機体」と言うならば、これ以上「人命軽視」する事は難しかろう。
 
 ならば、米軍でも韓国軍でも「人命軽視の」零戦や桜花を装備すれば「神風特攻」戦術を実施可能であろうか。
 或いは、日本軍がグラマンF6Fのような「人命重視の」重防御の機体を装備すれば「神風特攻」戦術を実施しなかった/せずに済んだ、だろうか。
 
 左様に考えれば、「神風特攻」戦術に必要なのは、「人命軽視の機体」ではなく、「人命軽視のパイロット」である事は、殆ど自明であろう。而して「自らの生命を軽視する者」を「人命軽視」と評し、断じ、切って捨てる、可きであろうか。
 
 「自らの生命を軽視する者」は、少なくとも「死の覚悟を有する者」だ。「死の覚悟を有する」のは通常(*1)
「勇気」と見做され、普遍的な価値を持つ。神風特攻隊使用機が「防御装置欠如の人命軽視」であろうが、背景に「日本の人命軽視の戦争哲学」があろうが、その普遍的価値を減じるものでは無かろう。
 それを上掲朝鮮日報記事、「日本の戦争哲学=人命軽視として単純化・ステレオタイプ化し、零戦も、神風特攻隊も「人命軽視」で一括りにし、貶めている。半島の奴バラが日本と日本人を貶めるのはいつもの事ながら、そりゃ「韓国軍の弱さ」を「戦争哲学」から裏書きしているぞ。

 

<注釈>

(*1) その者が酩酊状態や薬物の影響下などで自由意思を失った状態でない限り