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再三繰り返す通り、私(ZERO)は自他共に認める「殆ど生まれつきの右翼」だ。だから、国防だとか安全保障だとかの問題について、三アカ新聞はじめとする「日本新聞業界の左半分」とは、ハナッから「宗教が違う」のはほぼ自明。それ即ち、「日本新聞業界の左半分」は、私(ZERO)にとって国防や安全保障問題に関する「異論・異説の宝庫」という事であり、その社説もそれだけ「読み甲斐がある」事になる。
であるならば、東京新聞社説の主張が私(ZERO)の概念・感覚とかけ離れている事も、異とするには足らず、寧ろ「歓迎すべき事」とも言い得るのだが・・・これはまた・・・
【東京社説】国家安保戦略 なぜ書き込む「愛国心」
2013年12月12日
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2013121202000175.html
【1】 安倍内閣が来週決定する国家安全保障戦略に「愛国心」を盛り込む方針だという。なぜ心の問題にまで踏み込む必要があるのか、理解に苦しむ。「戦争できる国」への序章なら、容認できない。
【2】 十七日に閣議決定予定の国家安保戦略は、外交・防衛の中長期的な基本方針となるもので、初めて策定される。安倍晋三首相はきのうの有識者懇談会で国家安保戦略を新しい防衛大綱と合わせて「今後のわが国の安全保障のありようを決定する歴史的な文書になる」と胸を張った。
【3】 中国の軍事的台頭と北朝鮮の核・ミサイル開発などにより、アジア・太平洋の地域情勢が不安定化していることは否定できない。
【4】 「国家」と銘打つ仰々しさは別にして、国民の生命と財産を守る責任を有する日本政府として、どう地域の安定を維持し、世界の平和に貢献するのか、情勢を的確に分析し、適切に備えるための文書をまとめる意義は認める。
【5】 しかし、文書になぜ「愛国心」まで書き込む必要があるのか。最終的な文言は調整中だが、安全保障を支える国内の社会的基盤を強化するために「国を愛する心を育む」ことが必要だという。
【6】 生まれ育った国や故郷を嫌う人がいるのだろうか(*1)。心の問題に踏み込み、もし政策として愛国的であることを強制するのなら、恐ろしさを感じざるを得ない。
【7】 そもそも、周辺国の愛国教育に懸念を持ちながら、自らも愛国教育を進めるのは矛盾ではないか。ナショナリズムをあおり、地域の不安定化に拍車をかけてしまわないか、慎重さも必要だろう。
【8】 同戦略は平和国家、専守防衛、非軍事大国、非核三原則などの基本方針を「堅持」するといいながら、日米同盟を強化し、日本の軍事的貢献を拡大する方向性も鮮明にした。武器輸出三原則の見直し検討も盛り込まれる見通しだ。
【9】 すでに国家安保会議と特定秘密保護法が実現し、来年には集団的自衛権行使の容認、日米防衛協力のための指針(ガイドライン)見直しも予定される。
【10】 安倍首相が主導する安全保障政策の一連の見直しは、先の大戦の反省から戦後日本が歩んできた平和国家という「国のかたち」を根底から変えてしまいかねない。
【11】 衆参で多数を得たからといって何でも強引に進めていいわけではあるまい。「再び戦争ができる国にしてはいけない」という国民の痛切な叫びに、首相はじめ政権幹部は謙虚に耳を傾けるべきである。
【注釈】
(*1) こりゃ驚いたな。東京新聞が我が国を、日本を、「嫌っていない」なんて初めて知ったぞ。
国が「戦争できる」のは当然で、「戦争できない」のは国の怠慢だ
さて、如何だろうか。
上掲東京新聞社説の主張は、ほぼそのタイトルに尽きて居よう。即ち、下掲の一条。
① 国家安全保障戦略に「愛国心」なぞを盛り込むな
主張が「ほぼそのタイトルに尽きて居る」という事は、それだけ「良くまとまった、優れたタイトル」という事である。その点では私(ZERO)も、以って他山の石としなければなるまい。が、「タイトルの秀逸さ」と「主張の是非」とは、直接の相関は無い。
第一、上掲東京社説から上記【1】「国家安全保障戦略へ「愛国心」を盛り込む事に反対する」理由を探すと、僅かに以下の三つだけ。
【理由1】 政策として愛国的であることを強制するから 【6】
【理由2】 「周辺国の愛国教育に対する非難」と矛盾するから 【7】
【理由3】 ナショナリズムを煽り、地域の不安定化を招きかねないから 【7】
まず【理由2】「周辺国愛国教育批難との矛盾」からして噴飯ものだ。周辺国=半島や大陸の愛国教育は、「愛国心の涵養」が度を越して「侵略心の高揚」に至っているから非難の対象なのだ。韓国が「独島(竹島の韓国名)は我が領土」と横断幕をサッカー場で振り回し、対馬まで領土と言い出し、中国が我が領海両空城にまで防空識別圏を拡張して見せる「侵略心の高揚」を見せているから、非難の対象なのである。上記【理由2】の「矛盾」を生じさせるためには、義務教育を通じ反日教育を実施し侵略心を高揚させている周辺国と同等の効果が「国家安全保障戦略に盛り込まれた愛国心」にあると、少なくとも論証すべきであろう。
同様の事は上記【理由3】についても言える。確かにナショナリズムには牙があるから、煽られ、高揚したナショナリズムが「地域の不安定化を招きかねない」という事はあろう。だが、半島も大陸も何かと言うと反日デモや反日暴動を発生させ、未だ「通州事件=邦人虐殺事件」を生起させないのが見つけモノなぐらい。「冷静な対応が必要」なのは事実としても、「国家安全保障戦略に盛り込まれた愛国心」を原因として「地域の不安定化を招きかねない日本ナショナリズムの高まりが生起する」と言うのは、想像を絶する。そりゃ画期的な新法かも知れないが、一法律の条文でしかなかろう。
「地域の不安定化を招きかねないナショナリズムの高まりが生起する」としたら、それは「周辺国のナショナリズムの高まり」故であろう。こちらは大いにありそうな話、ではある。が、どうせ周辺国=中韓なんてのは、何があっても「ナショナリズムを高め」、以って「地域の不安定化なんぞ気にせず、現政権の安定化を図ろうとする」国。それを「刺激するまい」なんて遠慮していると、ただつけあがるばかりと言うのが、日中・日韓国交『正常化』以来の歴史であろう。そんなことに遠慮して、我が国の国家安全保障戦略なんぞ、成り立ちはすまい。
上記【理由1】に至っては、宗教が違い過ぎてか、何を恐れているのかサッパリ判らない。我が国の国家安全保障戦略である以上、我が国の主権領土領空領海を保全し、我が国民の生命財産を担保しようという戦略に違いない。その戦略には、顕在的にであれ潜在的にであれ、愛国心が込められているのが普通で、愛国心が無いと言うなら不思議と言うモノ。
逆の場合を考えてみるが良い。「愛国心無き国家安全保障戦略」と言うのは、言語矛盾とは言わないだろうが、それ故に、逆に「恐るべきもの」ではないか。我が国土我が国民に対する愛が無い国家安保戦略とは、一体如何なるものになろうか。それは全く何の役にも立たない案山子程度の御題目になるか、あるいは逆に「国家安保」の為に我が国土我が国民を蹂躙する戦略となるか、何れかではないのか。
上掲東京社説の最後の〆も、私(ZERO)に言わせれば酷いモノである(*1)。
1〉 「再び戦争ができる国にしてはいけない」という国民の痛切な叫びに、
2〉首相はじめ政権幹部は謙虚に耳を傾けるべきである。
2〉首相はじめ政権幹部は謙虚に耳を傾けるべきである。
さて、東京新聞社説氏に幾つか尋ねようではないか。
【Q1】 『「再び戦争ができる国にしてはいけない」という国民の痛切な叫び』とは、どこに、どのような形で具現化して居るモノか?
【Q2】 国民が「再び戦争ができる国にしてはいけない」と「痛切に叫んでいる」以上、現状の我が国は、「戦争ができない国」である。【Yes or No】
【Q3】 上記【Q2】の答えが【Yes】であるならば(*2)、我が国が「戦争ができない」現状を、東京新聞社説氏も、「国民」も、是としている/肯定している。【Yes or No】(*3)
【Q4】 「戦争ができない国」が「戦争になった場合」は、必然的・不可避的に「戦争に負けてしまう」。【Yes or No】(*4)
私(ZERO)の主張は、章題にした通りだ。
国は、国である以上「戦争できる」様にしておく義務がある。戦争なんてのは国しか出来ないのであるし、「戦争できる」状態にあり、滅多に負けない状態にあるからこそ、その戦争を生起・惹起させない事が出来る。
「戦争できない」状態と言うのは、国の怠慢であり、国防上の大問題。そんな状態は、「戦争を誘因」しているのだから、早急に改善しなければならない。
無論、我が国は民主主義体制をとっているから、上記1>「再び戦争ができる国にしてはいけない」という国民の痛切な叫び と言うのが真実・現実であるならば、我が国は「戦争できない状態」になる/あり続ける 事だろう。だがそれは、正しく「国民の愚かな選択による亡国への道」である。
如何に、国民。
貴様らは、「再び戦争ができる国にしてはいけない」と痛切に叫んでいるのか?
叫んでいるとしたら、平和ボケの阿呆であると、断じてやるがね。
<注釈>
(*1) それ即ち、私(ZERO)にとって、それだけ乖離しかけ離れた異論・異説という事であり、それ故に「有り難い」モノでもあるのだが。(*2) これが【No】ならば、一寸した驚きだが。(*3) これが【No】なら、それこそ吃驚仰天だが。(*4) これも【No】だったら、吃驚仰天だが。「戦争にならないよう努力する」なんてのは、言い訳にも答にもならない。回避しようったって回避できなかった戦争なんざぁ、掃いて捨てるほどあるのだからな。