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朝日と石平氏の共通認識と、異なる結論

 さて、如何だろうか。
 
 言うまでも無かろうが、上掲①は人民日報海外版コラム「望海楼」の、"案の定"「三中全会コミニュケ大礼賛記事」。「提灯記事」と呼ぶのも恥ずかしくなるような記事だが、よく読むと終盤のパラグラフ①【5】、「周辺諸国と国際社会が歩調を合わせることも必要としている。」として、要は中国の改革には、外国の協力が不可欠だと言う予防線を張り、最終パラグラフ①【6】では、
 
①1〉 中国の改革は深く困難な領域、難関攻略の時期に入りつつある。
①2〉改革深化への中国の決意によって世界の懸念は解消された。
①3〉同時に、外国が中国の改革を辛抱強く待つことも必要だ。
①4〉次の35年間で、今日の中国の雄大な志によって世界の面前に異なる中国が現れるだろう。
 
と言うのだから、「中国の決意」さえあれば「世界の懸念は解消される」と言う小泉元首相張りの精神論を振りかざすと同時に、「困難な改革だから今後35年間ほどかかる。長い目で見て下さい。と結論付けて・・・要は人民日報海外版コラムの主張を以ってしても「中国の決意」は「世界の懸念を解消する」程度の効果しか無い、訳だ。パラグラフ【5】と合わせれば、「中国の改革が失敗したのは、外国が非協力的だからだぁ!!!」と、主張出来るようになっている。「大陸気質」と言うのは、気宇壮大豪放磊落が売り物では無かったのかね。
 
 一方、上掲②は朝日社説、上掲③は石平氏のコラムで、何れも三中全会閉幕とコミニュケ発表を受けてのもの。本記事冒頭で「結構興味深い」としたのは朝日と石平氏の三中全会コミニュケに対する評価がある程度共通して居る事だ。
 
 朝日、『経済については「市場が資源配分の中で決定的役割を果たすようにする」と明記した。』と『それと並んで「国有経済に主導的役割を発揮させる」とある。』と言う経済改革に対する『明らかに矛盾』を指摘し、政治改革及び経済改革についてのキャッチフレーズと現状の齟齬を指摘し、
 
②1〉だが、発表文書を見る限り、単にこれまでの路線を強めることが趣旨であり、改革と呼べるものではなさそうだ。
 
と、タイトルにもある「(改革は)かけ声で終わるのか」と言う疑念・懸念を表明している。
 
 他方、石平氏は、三中全会コミニュケが「改革の連呼のみで具体案や日程表が無い」事を、
 
③1〉改革断行の気概をまったく感じさせなかった。「改革」は単なる見せかけのパ
フォーマンスに終わったのである。
 
と、断じている。その後の修近平コメントも引用して「かけ声倒れの改革」を傍証している。
 
 即ち、朝日も石平氏も「三中全会コミニュケの言う"改革"は内容・内実を伴わない」と、確信度合いに程度の差はあれ、断じている。章題にした通り、「中国共産党政権の改革は、虚構と言う現状認識」では共通なのであり、少なくとも上掲①人民日報コラムの主張上記①2〉「改革深化への中国の決意によって世界の懸念は解消された。」には程遠い事を示している。何しろ「中国共産党子飼い」と言っても良い位の朝日新聞社説からして、上記②の通りだ。上掲社説に関する限り「朝日は、党の口舌=中国共産党の宣伝機関では無い」事を(一応)示したと言えよう。
 
②2〉 強固な一党支配を温存したままの改革とはどこまで可能なのか。疑問は結局そこに尽きる。
 
と言う、上掲②朝日社説の〆が、「望外」と言いたくなるほどに力強い。
 
 尤も、上掲②朝日社説が、経済改革の矛盾から、政治改革・司法改革の停滞へと「中国共産党政権の改革(に対する期待)」に主張を発展させているのに対し、上掲③石平氏は「中国共産党政権下で改革が進まない背景」に斬り込んでいる。
 一言で言えば修近平の権力基盤でもある「既存利益保持者」の故である。石平氏はこのため必然的に「中国共産党の(上からの)改革」は不十分・不徹底に終わり、その対策としての「独裁体制強化のための国家安全委員会の創設」を指摘している。さらには、
 
③2〉 つまり、習氏は改革の推進によって社会的矛盾を解消する道を自ら断ってから、
③3〉力の論理で民衆の反抗を抑え付け、政権の安泰を図る道を選んだのである。
 
と断じ、さらには、
 
③4〉 習近平政権は、国内問題を平和的に解決する最後のチャンスを逸した。
③5〉後に残されるのは、改革を志す党内勢力による政変の断行か、もしくは民衆による革命的反乱の暴発だろう。
③6〉 いずれにしても、習政権下の中国が今後、激動の「乱世」に突入していくのは間違いないようだ。
 
と結論付けているのだから、石平氏の「三中全会コミニュケ分析」は、朝日新聞より踏み込んだものになっている。
 
 それ即ち、朝日新聞がまだ「中国共産党政権の一党独裁放棄」に一縷の望みを託しているのに対し、石平氏はそんな可能性は一顧だにしていないという事の差異と、私(ZERO)は見たが、如何であろうか。
 
 而して、いつもの事ながらであるが、私(ZERO)の考えは、朝日新聞なんかより遥かに石平氏に近いのである。
 如何に、中国共産党。