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 いや、もう何度繰り返したか判らないが…「東京新聞の主張は脱原発原理主義である。「脱原発主義」ならぬ「脱原発原理主義」と断じる理由は、「脱原発」を至尊至高の金科玉条、大原理に祀り上げて、選挙結果も法律も論理もすべてその前にひれ伏させてしまう主張だから」。
 
 その脱原発原理主義の東京新聞がやはり脱原発原理主義である山本太郎(*1)「天皇陛下への"直訴"」を社説で取り上げたら、こんな社説になった。
 
 否、「こんな社説に成り果てた」と、言うべきか。
 

<注釈>

(*1) コヤツの場合、「脱原発」は「至尊至高の原理」と言うよりは「唯一の政治的主張にして、国会議員としての存在理由」であろう。それだけに稚拙でもあれば、それだけに始末が悪い。
 ま、「脱原発主張が売り物の芸人」よりは、幾らかマシか。 
 
【東京社説】山本議員「手紙」 軽挙慎み脱原発を前へ
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2013110202000169.html
2013年11月2日
 脱原発を掲げる山本太郎参院議員が天皇陛下に手紙を渡し、「天皇の政治利用」と批判されている。儀礼を欠き、脱原発運動に水を差しかねない軽挙だが、批判する側に処分する資格があるのか。

 山本氏が差し出した手紙は、東京電力福島第一原発事故の現状を伝える内容だという。山本氏は「子どもたちの被ばくや、原発の収束作業員が最悪の労働環境で作業している実情などを知っていただきたかった」と説明した。

 「日本国民統合の象徴」として国民生活の安寧を祈る天皇に、原発を取り巻く厳しい現状を伝えたい気持ちは分からなくもない。
 しかし、山本氏は主権者たる国民の代表である。「国政に関する機能を有しない」天皇に、高度に政治的なテーマと化している原発問題で何かを期待するのは、日本国憲法の趣旨に反する。

 子どもを被ばくから守り、原発作業員の労働環境を改善し、国のエネルギー政策を脱原発に導くのは山本氏自身の仕事だ。国民の負託を受けた以上、どんなに困難でも、やり遂げる責任がある。

 原発推進派は早くも「天皇の政治利用」との批判を強め、議員辞職を求める声すらある。山本氏の行動は、脱原発を求めるうねりに付け入る隙を与え、運動全体にマイナスとなりかねない。慎むべきだった。まずは自覚を促したい。

 参院議院運営委員会は山本氏から事情を聴いた。具体的な処分を来週、検討するという。
 ただ、山本氏を批判する自民、民主両党に「天皇の政治利用」を断罪する資格があるのか。

 最近の例だけでも、自民党が衆院選で開催を公約した「主権回復の日」式典への天皇陛下出席、東京五輪招致に向けた国際オリンピック委員会総会への高円宮妃久子さま出席も、天皇・皇族の政治利用ではないか、と指摘された。

 民主党政権時代にも、天皇陛下と習近平中国国家副主席(当時)との会見を急きょねじ込み、同様の批判を浴びたことがある。
 自らの行動を顧みず、無所属議員を追い詰めるのなら、多数派の横暴、との誹(そし)りは免れまい。

 政府と国会に求められているのは、除染や補償を含む原発事故の収束に全力を挙げる、原発の危険性を認識し、使用済み核燃料の最終処分場のめどもないのに、原発政策を進めることの不合理性に一日も早く気付くことだ。山本氏の処分問題に政治的エネルギーを浪費している場合ではない。
 

論理のすり替えにすらなっていない

 さて、如何だろうか。
 先行記事にした沖縄タイムスと同様に【Q1】「上掲社説の中から、山本太郎の天皇陛下直訴を擁護する理由を書いた部分を抽出せよ。」と言う試験問題が出たならば、その解答は、以下の部分となろう。
 
1>  ただ、山本氏を批判する自民、民主両党に「天皇の政治利用」を断罪する資格があるのか。
2>  最近の例だけでも、自民党が衆院選で開催を公約した「主権回復の日」式典への天皇陛下出席、
3> 東京五輪招致に向けた国際オリンピック委員会総会への高円宮妃久子さま出席も、
4> 天皇・皇族の政治利用ではないか、と指摘された。
5>  民主党政権時代にも、天皇陛下と習近平中国国家副主席(当時)との会見を急きょねじ込み、同様の批判を浴びたことがある。
6>  自らの行動を顧みず、無所属議員を追い詰めるのなら、多数派の横暴、との誹(そし)りは免れまい。 
 
 解答の字数制限が厳しければ、上記6>のみに絞っても良かろう。上記1>~5>にあれこれ論ってはいるが、要は「天皇陛下の政治利用なんて、皆やってるじゃないかぁ!」が「山本太郎「直訴」擁護論拠」なのだから…情けないったら、ありゃぁしない。その列挙の一つが「「主権回復の日」式典への天皇陛下出席」なんだから尚更だ。日本国憲法第1条で「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」と定められている天皇陛下が「「主権回復の日」式典へ出席」するのは、当然であろう。それを「天皇陛下の政治利用」と非難する者があるのは事実(*1)だが、言論の自由がある程度保証された自由主義社会に於いては、森羅万象あらゆる事象に賛否両論あるのが当然。「「天皇陛下の政治利用」と非難する者もある」と言うだけで「他者を「天皇陛下の政治利用」と断罪する資格を失う」と言うのは、実に恐るべき言論統制・思想統制ではないか。 
 
 そんな実に恐るべき言論統制・思想統制を実施してまで、「山本太郎の天皇陛下「直訴」」を擁護しようと言うのだから、全く東京新聞には呆れる。マスコミが、ジャーナリズムが、率先して言論統制・思想統制を実施しようと言うのは、「存在理由の自己破却」であろうに。
 
 一方、上掲社説の〆の部分
 
7>  政府と国会に求められているのは、
8> 除染や補償を含む原発事故の収束に全力を挙げる、
9> 原発の危険性を認識し、使用済み核燃料の最終処分場のめどもないのに、
10> 原発政策を進めることの不合理性に一日も早く気付くことだ。
11> 山本氏の処分問題に政治的エネルギーを浪費している場合ではない。
 
は、上記設問【Q1】に対する「正解」にはならないだろう試験問題としては、だが(*2)。大体、上記9>~10>、「政府は早く脱原発しろ」としか言っていない。上記11>に至っては山本太郎「直訴」事件になんか構うなと主張して・・・要は何が何でも脱原発」「何は無くとも脱原発でしかない。論理もへったくれもありやしない。
 
 まあ、原理主義とはそういうモノだが。

 だからこそ、脱原発原理主義を含む原理主義と言うのは、度し難いんだが。
 脱原発も原発推進も、エネルギー政策の一方針でしかなかろうに、ねぇ。
 

 

<注釈>

(*1) 弊ブログに時折コメント下さるアワモリさんもその一人。 
 
(*2) 裏を返せば、『本音の部分では、「山本太郎が天皇陛下へ「直訴」したのが「脱原発」であったからこそ、東京新聞は社説で擁護している」と、かなりの確信を以って推定出来る。』