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そりゃ「日本の新聞の社説」なんてモノは、かつては在ったらしい「権威」なんて「過去の栄光」としか思われない程、情けないモノがある。殊に平和ボケや脱原発原理主義では「トンデモ社説」と言うべき愚論・暴論が数多ある事は、当ブログでも散々記事にしてきたところ。まあ、「私は、日本の新聞は読みません。」と豪語したのは吉田茂だそうだから、日本の新聞に於ける「過去の栄光の失墜」と言うのは、何も最近の事では無いのかも知れない。
そんな「過去の栄光既に無き日本の新聞社説」の中で、分けてもレベルが低いのは沖縄二紙であろう。地方寡占体制の上に胡坐をかいたのか、二紙揃って似たような社説を掲げて、それも押しなべて低レベル。否、「似たような社説が並ぶ」地方寡占体制が、社説の劣化につながっているのではないかと、私(ZERO)なんぞは推測している。
ま、そんな推測の当否は兎も角、以下掲載する沖縄タイムス社説は、少なくとも「沖縄タイムス社説の酷さ」を目の当たりにさせてくれる。
【沖縄タイムス社説】[山本議員「直訴」]辞職要求はやり過ぎだ
http://article.okinawatimes.co.jp/article/2013-11-03_56119
2013年11月3日 09時14分
園遊会で天皇陛下に手紙を手渡した山本太郎参院議員(無所属)のとっぴな行動が、問題になっている。
閣僚や自民党幹部からは「議員辞職もの。政治利用そのものだ」(下村博文文部科学相)などと厳しい処分を求める意見が噴出、野党からも批判の声が相次いだ。
山本議員の手紙は、東京電力福島第1原発事故による子どもの被ばくや、作業員の労働環境の現状を記したもので、当の本人は「実情をお伝えしたいという気持ちがあふれ出た」と釈明している。
日本国憲法は第4条で天皇の地位について「国事に関する行為のみを行い、国政に関する権能を有しない」と定める。これを受けて第7条は、国事に関する行為について具体的に10項目を列記している。天皇の国事に関する行為はすべて、内閣の助言と承認が必要だ。
国会議員が政治家として、天皇に対し、政治的問題についての手紙を渡すことは、天皇を政治の場に引き込む恐れのある行為である。
思慮分別を欠いた軽率な行動だという批判は免れない。
それにしても、市民派として脱原発を訴えて当選した新人議員のやむにやまれぬ行動が天皇への直訴だったことを、どう考えればいいのだろうか。民主主義への絶望が天皇直訴という手段を選ばせたとすれば、戦後憲法は根付いていないことになる。
直訴は天皇の政治利用に当たり議員辞職は当然だ-と主張する強硬派議員の言い分にも強い違和感を感じる。
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天皇の政治利用に関する規定は憲法にも他の法律にもなく、どのような行為が天皇の政治利用に当たるか、あいまいだ。安倍政権は、サンフランシスコ講和条約が発効した日にちなんで、4月28日、天皇・皇后両陛下を招いて「主権回復・国際社会復帰を記念する式典」を開いた。沖縄にとって「4・28」は、日本本土の主権回復と引き換えに、沖縄に対する一切の統治権を米国に委ねた日である。
そのような事情を考慮して歴代政権は式典開催を避けてきた。
それなのになぜ、安倍政権は沖縄の強い反対を押し切って式典開催に踏み切り、天皇・皇后両陛下を招いたのか。時の政権は、政治的主張や施策のために天皇の権威を利用することを厳に慎まなければならない。それが、憲法の趣旨だ。この際、あらためて政府や政党に問いたいのは、山本議員の行動と、天皇の「4・28式典」出席と、どちらが天皇の政治利用度が高いのか、という点である。
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自民党の中には、議員辞職勧告決議案を提出すべきだとの意見もあるようだ。
国会として、議長による注意、けん責処分を検討するのは理解できるが、山本議員は、主権者である国民の信を得て参院選に当選した議員である。辞職要求は議論の走りすぎであり、議員辞職する必要はない。
この問題は憲法に基づいて議論すべきで、戦前の不敬罪感覚で議論すべきではない。
論拠を探せ!
読者諸兄に問おう。
【問題】「上掲沖縄タイムスが、そのタイトル通り「(山本議員に対する)辞職要求はやり過ぎだ」とする根拠・論拠となる部分を、上掲社説から抜き出せ。」
広義に解釈すれば「上掲社説全文が根拠」とも言い得ようが、例えば試験問題と考えるならばそうもいかなかろう。試験問題としての回答ならば、最後の数行即ち、
1> 国会として、議長による注意、けん責処分を検討するのは理解できるが、
2> 山本議員は、主権者である国民の信を得て参院選に当選した議員である。
3> 辞職要求は議論の走りすぎであり、議員辞職する必要はない。
2> 山本議員は、主権者である国民の信を得て参院選に当選した議員である。
3> 辞職要求は議論の走りすぎであり、議員辞職する必要はない。
4> この問題は憲法に基づいて議論すべきで、戦前の不敬罪感覚で議論すべきではない。
を「正解」とするのが至当であろう。さらに言えば、上記1>~3>はタイトルの「(山本議員に対する)辞職要求はやり過ぎだ」を言い直しただけであるから、その根拠・論拠となると上記4>のみ。さらに絞れば上記4>「戦前の不敬罪感覚で議論すべきではない。」 に尽きよう。煎じ詰めれば「不敬罪感覚」の一語に集約できる。ただこの一語、この一事を以って上掲沖縄タイムス社説は、「山本太郎に議員辞職を要求する事は、「不敬罪感覚」だからやり過ぎだ」と主張しているのである。
なるほど、先行記事「打ち首の覚悟すらなく 「直訴」して 常識なしの醜態曝す」に於いて山本太郎を「打ち首の覚悟すらなく」と私(ZERO)は批判したが、それを「不敬罪感覚」と呼ぶことは出来そうだ。だが、「不敬罪」ならばこれはもう刑法で決まっておろう(*1)。事実、不敬罪は戦後無くなっているし、山本太郎も不敬罪に問われている訳では無い。
しかしながら、刑法としての不敬罪は無くなったからとて、「不敬と言う感覚/概念」は無くなっただろうか。あるいは「無くすべきモノ」であろうか。
仮に沖縄タイムス社説の主張通り、上記4〉「この問題は(日本国)憲法に基づいて議論すべき」としても、日本国憲法第1条に於いて「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」と明記されている天皇陛下に対し、「不敬と言う感覚/概念が無い」という事は、「日本国および日本国民統合をないがしろにする事」に他ならない。ならば、不敬罪は法律条文として無くなった戦後=日本国憲法下に於いても、「不敬と言う感覚/概念は、確かに在る」のである。
言い換えれば、「日本国憲法に基づいて議論したとしても、山本太郎の「直訴」は不敬に当たる」と言える。それ即ち、上掲沖縄タイムス社説が「全く根拠・論拠を持っていない」と言う事である。
これで社説=新聞社としての主張なのだから、少なくとも沖縄タイムスのレベルの低さは明白だ。
ま、琉球新報も似たようなモノであるし、朝日、毎日、東京新聞とて、同じ穴の貉なのであるが。
<注釈>
(*1) 今回、ウィキペディアで調べたら…最高刑で5年の重禁固、だそうな。存外、軽いな。足尾鉱毒事件を直訴した田中正造氏が死を覚悟したのは、「天皇・皇族に危害を及ぼす/及ぼそうとした罪」に依るのだろう。
日本国憲法 第一条[1]
第一条[1] 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。