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何度か書いたが、私(ZERO)は「魂の自由を愛する者」だ。それ故に我が国が、あれやこれや欠陥がある(*1)とは言え一定の民主主義国家(*2)である事を誇るとともに喜んでいるし、思想信条言論の自由を大いに享受している。またそれ故にこそ、中国共産党のような一党独裁体制は、「不倶戴天」とは言わぬまでも「我が政府となる事は、絶対に御免こうむる」と考えている。
その大陸は支那を今の処支配している中国共産党政権が、「西側的報道の自由」はじめとする「中国社会に蔓延する7つの危険」を戒める秘密文書を出していた、と言う報道は、先行記事にした(*3)処。「西側的報道の自由」が「中国社会の危険」になってしまうのは民主主義とも自由主義とも相容れない一党独裁体制であるが故であり、かかる「秘密文書」の真偽は疑問なしとはせぬモノの、「大いにありそうな事で、説得力がある」とも先行記事には書いた。
が、中国共産党の宣伝機関たる人民日報の「鐘声」国際論評には、こんな記事が載ったそうだ。
<注釈>
(*1) 時に、欠陥ばかり目立って、絶望しかける事さえある。(*2) そりゃ所詮神ならぬ身の人が為す事。完全完璧には程遠いが。(*3) 我が国「価値観外交」が怖い訳-「中国の毛沢東主義と社会に蔓延する「7つの危険」」【人民日報「鐘声」国際論評】米政府の振りかざす報道の自由は所詮偽り
http://j.people.com.cn/94474/8433253.html
( 【】はZEROが振ったパラグラフ番号 )
【1】 ジャーナリスト保護委員会はこのほど、情報漏洩者に対する米政府の厳しい追及とジャーナリストの取材に対する監視・コントロールが報道の自由を脅かしているとする報告を発表した。AP通信のプルイット社長も、AP通信の記者100人以上の通話記録を米政府が秘かに収集していたことについて、怒りの抗議をした。(人民日報「鐘声」国際論評)
【2】 米同時多発テロ後、米政府は国益とテロとの戦い上の必要を掲げ、メディアに対する報道統制を強化した。元米国家安全保障局(NSA)職員のスノーデン氏が公にした米政府による傍受の規模と範囲から見て、米政府は国益とテロとの戦いを掲げれば何をしても許されると考えている。たとえ日常の報道であっても、米メディアの喉は政府の「見えざる手」によって締めつけられている。
【3】 ニューヨーク・タイムズのある編集者によると、米大統領がある件について新聞掲載を望まぬ場合、ホワイトハウスからメディアに通知が来る。言うことを聞かなかったメディアは、「大統領朝食会」に呼ばれなくなり、大統領への取材申請も梨のつぶてとなる。メディアの競争が熾烈な米国において、政府の情報源を失うことはメディアにとって死刑判決に等しい。
【4】 米政府とメディアの関係が清々しいものであったことはない。ある時には隠蔽目的で捏造情報をメディアに提供するなど、「ソフトな干渉」が目立つ。ある時には一部のメディアや記者に対して「ハードな監視やコントロール」を公然と加える。そして、より多く見られるのが両者を織り交ぜる手段だ。こうした干渉、監視、コントロールが止んだことはないし、今後も減ることはない。スノーデン氏の公にした報告によると、国際長距離電話の約3分の1が米国で取り次がれる必要があり、ほぼ全てのインターネット通信が米国を経由する必要がある。このことが米政府による監視・コントロールに様々な便利な手段を提供した。
【5】 米国はメディアに対するコントロールを強化する一方で、報道の自由の御旗を高く掲げて世界を騙し、いわゆる報道の自由を自らのソフト・パワーの重要な構成要素と標榜してすらいる。「米国式報道の自由」を崇め尊ぶ者たちにとって、米ジャーナリスト保護委員会の報告とAP通信社長の抗議が目を覚ます機会であることは間違いない。【6】 なぜワシントンは報道の自由という理念を他国に輸出することに熱を入れるのか?米国の制度に射す「後光」を増やす意図に加え、各方面の「ポリティカル・コレクトネス」をつくり出すことが重要な目的だ。いわゆるポリティカル・コレクトネスと強大な経済力、軍事力がひとたび結合すれば、巧みに手段を弄し、力を頼りに威張り散らし、騙したり力ずくで他国の財産や権利を取り上げるようになるのも驚きではない。たとえ米憲法修正第1条という隠れ蓑があっても、米国のソフト・パワーの金看板として奉られても、米政府の振りかざす「神聖にして剥奪してはならない」報道の自由は所詮偽りなのだ。(編集NA)
「人民網日本語版」2013年10月23日
【Q1】人民日報は「報道の自由」の価値を認めるのだな?
さて、如何だろうか。
要約すれば、モノの美事に上掲記事見出しの通り「米政府の振りかざす報道の自由は所詮偽り」であり、米政府が犯している報道の自由に反する所業を論った記事である。その「米政府の"報道の自由"に反する所業」を、上掲記事から数え上げれば、以下の通り。
(1) 米大統領が望まない記事を掲載したメディアは、「大統領朝食会」に呼ばれなくなり、大統領への取材申請も拒絶される。【3】
(2) 「ソフトな干渉」と「ハードな監視やコントロール」【4】
上記の「米政府の"報道の自由"に反する所業」を「スノーデン容疑者の告発」や「米ジャーナリスト保護委員会の報告」や「AP通信社長の抗議」などで権威づけてはいるが、具体的には上記(1)のみ。「米大統領への取材拒否」はソリャ「ゆゆしき事態」ではあろうが、逮捕収監でも拉致監禁でも出版/放送禁止でもない点は、特筆大書しても良かろう。特に事前検閲や検索妨害などの「ハードな監視やコントロール」を日常茶飯事としている中国共産党政権との比較に於いては。
上掲人民日報「鐘声」国際論評の白眉は、なんといっても最終パラグラフ【6】だろう。
1〉 なぜワシントンは報道の自由という理念を他国に輸出することに熱を入れるのか?
2〉 米国の制度に射す「後光」を増やす意図に加え、各方面の「ポリティカル・コレクトネス」をつくり出すことが重要な目的だ。
3〉 いわゆるポリティカル・コレクトネスと強大な経済力、軍事力がひとたび結合すれば、
4〉 巧みに手段を弄し、力を頼りに威張り散らし、騙したり力ずくで他国の財産や権利を取り上げるようになるのも驚きではない。
5〉 たとえ米憲法修正第1条という隠れ蓑があっても、米国のソフト・パワーの金看板として奉られても、
6〉 米政府の振りかざす「神聖にして剥奪してはならない」報道の自由は所詮偽りなのだ。
2〉 米国の制度に射す「後光」を増やす意図に加え、各方面の「ポリティカル・コレクトネス」をつくり出すことが重要な目的だ。
3〉 いわゆるポリティカル・コレクトネスと強大な経済力、軍事力がひとたび結合すれば、
4〉 巧みに手段を弄し、力を頼りに威張り散らし、騙したり力ずくで他国の財産や権利を取り上げるようになるのも驚きではない。
5〉 たとえ米憲法修正第1条という隠れ蓑があっても、米国のソフト・パワーの金看板として奉られても、
6〉 米政府の振りかざす「神聖にして剥奪してはならない」報道の自由は所詮偽りなのだ。
上記2〉~4〉で「米政府が"報道の自由"を掲げる悪辣な意図」を糾弾し、上記5〉~6〉で「米政府の"報道の自由"は所詮偽りなのだ」と断言し、やはり糾弾している。「米政府が掲げる"報道の自由"を糾弾する」と言う点では、実に一党独裁体制を堅持維持する中国共産党らしい記事であろう。
が、「米政府が悪辣な意図を以って掲げる"報道の自由"」たとえ「所詮偽り」であろうとも、それは「真の"報道の自由"の価値」を、直接損ねるモノではあるまい。
言い方を変えれば、章題の通り。「真の"報道の自由"の価値」を、人民日報「鐘声」国際論評は、人民日報は、ひいては中国共産党は、認めるのか?認めるからこそ、「米政府が悪辣な意図を以って掲げる偽りの"報道の自由"」を上掲記事の通り糾弾しているのではないのか?
中国共産党が「真の"報道の自由"の価値」を認めると言うのならば、幸いこれにすぐるは希有であろう。先行記事「我が国「価値観外交」が怖い訳-「中国の毛沢東主義と社会に蔓延する「7つの危険」」は全くの誤りであった事になるし、その引用記事で触れた中国共産党秘密文書の言う「中国社会に蔓延する7つの危険」は、大いに疑わしいものとなるが、私(ZERO)は喜んで当該先行記事を撤回する用意がある。それぐらいの慶事だ。
だが…恐らくは、そうはならないだろう、と、確信できてしまう。
その確信は、私(ZERO)が先行記事「我が国「価値観外交」が怖い訳」やその引用記事に絶大な自信を持っているから、ではない。中国共産党は「米政府を糾弾する材料として"偽りの報道の自由"を糾弾する事はあっても、"真の報道の自由"と一党独裁は相容れないと考えているだろう」と、確信出来るから、だ。
つまりは、「中国共産党の一党独裁体制」は「我が敵である」と確信してしまえるから、だ。
如何に、人民日報。
如何に、中国共産党。
中国社会に蔓延する7つの危険
(1) 「西側的立憲民主主義」
(2) 「普遍的価値」
(3) 「市民社会」
(4) 市場原理重視の「新自由主義」
(5) 「西側的報道の自由」
(6) 中国の唱える「歴史への批判」
(7) 「中国式改革への疑問」