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先行記事「唯物論的限界―【人民日報】日本の政治屋は「亡霊参拝」の茶番を止めるべきだ 」 http://www.blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/38431432.html に於いても縷々述べた通り中国共産党政権は我が国の種として政治家による靖国神社参拝を「亡霊参拝」として批難しているが、そもそも「亡霊参拝」なる用語そのものが「宗教は民族のアヘンである」と断じた(*1)マルクスの「教義」に反するモノだ。本記事タイトルの所以でもある。その論旨を再録するならば、、以下の様になる。
 
(1) 「亡霊参拝」に「傷つけられた」と非難するためには、「亡霊」と言う存在、引いては霊魂と言う存在を認めなければならない。今回の場合はその「亡霊=霊魂は靖国神社に在り、それ故に靖国神社参拝は"亡霊参拝"である」と、言外とは言え明言している(*2)のだから
 
(2) 一方マルクスは、「宗教は民族のアヘンである」と断じており、宗教を否定するマルクスが、霊魂を肯定するとは考えられない。言い換えれば、宗教以外の根拠を以って霊魂を肯定するなんて事は、私(ZERO)の想像を絶する。
 
(3) 故に、マルクス流共産主義は、宗教否定であるばかりか、霊魂否定である筈だ。
 
(4) 中国共産党=中国政府(*3)が、日本の靖国参拝を「亡霊参拝」として「傷つけられた」と批難しているが、上記(1)の通り霊魂を肯定しなければそんな批難は成立しない。故に、中国共産党は、「共産党」とは言い条、「マルクスの教え」に反している。
 
 無論、中国共産党は既に「社会主義市場経済」なる荒業と言うか裏技と言うか、それこそ「マルクスが聞いたら卒倒しかねない」事を標榜し、ある範囲で実践し、ある処まで「成功」さえしているのだから、「人間の顔をした共産主義(*4)」ならぬ「霊魂を肯定する共産主義」を中国共産党が標榜しても別に構わないのだろう。
 であるならば、いい加減、中国「共産」党てぇ看板は書き換えたが宜しかろうに。

 

<注釈>

(*1) この断言自体は、非常に浅はかな、人間も歴史もろくに知らない者の戯言、としか私(ZERO)には思われないが。

(*2) 「星の旅」さんや「アワモリ」さん流の理屈だと、斯様な事は言葉にしていないのだから、言っていない、主張していないと言う事になるのだろうが、論理的帰結と言うモノだろう。 

(*3) 今の処は、だが。 

(*4) そもそも「共産主義」に「人間の顔が無い」ってところが、大問題だと思うのだが。
 
【人民日報「鐘声」国際論評】亡霊参拝行為は袋だたきにせねばならない
   http://j.people.com.cn/94474/8429417.html
   ( 【】はZEROが振ったパラグラフ番号 )
【1】 安倍晋三氏は17日、「内閣総理大臣」名で靖国神社に供物を奉納した。安倍氏の間接的亡霊参拝はこれですでに今年3回目だ。(人民日報「鐘声」国際論評)

【2】 安倍氏は「国のために戦い、犠牲となった英霊に崇敬の念を表するのは当然」と公然と言い放つ一方で、靖国参拝はすでに外交問題となっているため、自ら参拝するかどうかは「言わない」ともったいをつけて表明した。
 
【3】 この心中やましくてびくびくしている詭弁に何の意義があるのか?形式の如何に関わらず、昔日の戦犯にひれ伏して礼拝を捧げるのは軍国主義の魂を呼び戻すことであり、アジア各国民の感情を深刻に傷つけることであり、現有の国際秩序への公然たる挑戦なのである。供物奉納と自ら参拝することとは完全に性質が同じであり、何の違いもない。

【4】 安倍氏が熱を入れる「バランス」は安っぽい小細工に過ぎない。理由は簡単だ。根本的是非の問題において、バランスの余地など全く存在しないからだ。

【5】 日本では軍国主義思想が極めて頑固に生存力を保っており、その社会的温床が徹底的に排除されずにいる。この点は日本メディアの報道にも表れている。共同通信は安倍氏の間接的亡霊参拝に対する中国の一部メディアの報道方式に強く注目したうえで、全くわけの分からないことに「中国は冷静な反応」などという結論を導き出した。

【6】 「冷静な反応」などあり得ないことだ。日本に侵略された痛ましい歴史を忘れることは裏切りを意味し、歴史の正しい道理と正義に対する日本の政治屋の挑戦を放任することも同様に裏切りなのである。

【7】 もっと目の覚めた判断を共同通信にさせるため、外交問題を激化させたことはないとの迷夢から一日も早く安倍氏を目覚めさせるため、ここでは日本の誤った歴史観と亡霊参拝行為に対する過去2年間の「鐘声」の見出しを列挙する(*1)。

【8】 「『8月15日』は日本の政治屋が小賢しく立ち回る日ではない」「歴史観を正さねば日本は自制困難」「邪悪な参拝」「『曖昧』のカモフラージュを引きはがす参拝」「性質の同じ2つの茶番」「日本は『亡霊参拝』の茶番を止めるべき」「邪悪な『歴史座標系』」「危険な安倍式『どうぞそうお呼びいただきたい』」……。
 
【9】 これのどこがいわゆる「冷静な反応」なのか(*2)?もう一言注意を促したい。国際世論の場において、「鐘声」は「中国の声(*3)」「中央の声(*4)」「大衆の声(*5)」なのである。

【10】 事実が繰り返しはっきりと示しているように、日本の様々な亡霊参拝行為を袋だたきにするのは完全に必要な事なのであり、曖昧さはみじんも残してはならず、悪いことをしても大目に見てもらえるとの幻想の余地を日本に与えてはならないのである。

【11】 平和は断固として守る必要があることを、歴史の経験はわれわれに告げている。アナン前国連事務総長は以前「今日われわれにとって最も重要な任務は、大虐殺の犠牲者および破壊された都市や文化を人類が忘れないようにするとともに、同様の恐怖や悲劇がいついかなる場所でも繰り返されないよう確保することである」と警告した。欧州は一貫してナチ思想の再台頭を強く警戒し、今日にいたるもなおナチ戦犯の追跡逮捕をあきらめず、ナチ戦犯が身を葬る地を得にくいようにすらしている。これは正義と平和を長続きさせるためだ。

【12】 今日、アジアの平和の基礎は決して盤石なものではない。日本の誤った歴史観および軍国主義的思想傾向の蠢動はアジアの平和にとって大きな脅威だ。平和憲法の改正を推し進めて再武装しようとする日本の衝動を前に、かつて日本軍国主義に傷つけられたアジア諸国が憂慮を抱かぬことはあり得ない(*6)。歴史問題における日本の逆行に対して強大な圧力をかけ続けることは、正しい道理と正義を守ることであり、アジアと世界の平和に対する責任である。

【13】 歴史を銘記するのは、歴史の悲劇を繰り返させぬためであり、平和を求める心がいつまでも人々に宿るようにするためだ(*7)。(
編集NA)
 「人民網日本語版」2013年10月18日

 

<注釈>

(*1) 安倍政権発足からまだ1年たっていない。という事は「過去2年間」の約半分は、民主党政権時代の筈だがね。
 
(*2) 自分で「冷静な反応など示していない」と認めるのは良いけれど、「だから、"冷静な反応"を示さないのは正しい」とは限るまいに。これでも人民日報と言う、相応に権威ある"新聞"のコラムかね?いくら「党の口舌」=中国共産党の宣伝機関とは言え、強弁詭弁が過ぎれば、宣伝効果も薄かろうが。
 
(*3) そりゃ国土も人口も大きいけどさ。所詮アジアの一国だろう。 

(*4) 「中国共産党中央」の声なんざぁ、中華人民共和国全土さえも代表していないじゃないか。
 
(*5) くくりとしては一番大きいようにも受け取れるが、製剤が「中国大衆の声」と称せるまで、だろう。
 
(*6) 勝手に決めつけてやぁがる。 

(*7) ふーん、天安門広場で、あの日何があったか、検索もさせまいとする国が、良く言うよねぇ。 
 

つまり春の例大祭でも、8/15でも、「袋叩き」にはなっていない

 さて如何だろうか。

 先ず章題にもした通り、上掲人民日報コラムタイトル亡霊参拝行為は袋だたきにせねばならないと宣しているからには、「現状は、まだ袋だたきには至っていない」と断じる事が出来る。実際、靖国神社秋の例大祭に多くの国会議員と幾人かの閣僚がすでに参拝し、安倍首相から真榊が奉納されたが、騒いでいるのは例によって例の如くの半島と大陸ばかり。そりゃ言論の自由も思想の自由もある西側自由主義世界の中には、そんな半島や大陸に同調するお調子者だかオッチョコチョイだか売国奴だかも居ろうが、ごく一部にとどまっている。事実、上掲人民日報コラム・パラグラフ【5】にある通り、「日本メディアと共同通信」は、その「"亡霊参拝"袋叩き」に参加していないと、上掲人民日報コラム自身が認めている。
 
1〉 日本の様々な亡霊参拝行為を袋だたきにするのは完全に必要な事なのであり、
2〉曖昧さはみじんも残してはならず、
3〉悪いことをしても大目に見てもらえるとの幻想の余地を日本に与えてはならないのである。
 
と上掲人民日報コラムは主張するが、上記1〉「完全に必要」且つ上記2〉「曖昧さはみじんも残してはならない筈の袋叩きが、サッパリ盛り上がらないからこその力説強弁であろう。繰り返すが章題にもした通り、我が国国会議員や閣僚による靖国神社参拝は、春の例大祭や8月15日ににも実施されているが、「袋叩きにはされて居ない」からこそ「袋叩きにすべき」なのだろう。
 まあ、精々頑張って「袋叩きキャンペーン」でもやってもらおうか。我が国はじめとする西側自由主義世界には、ある範囲の言論の自由があるから、同調する者もあろうさ。

 その言論・思想の多様さこそが、民主主義の強みなんでね。中国共産党が、恐れてやまない、らしい。
 
 「心に闇を持つ者は、照らされたとき、弱いよ。」―サトリ@「うしおととら」―
 
 さはさりながら、上掲人民日報コラムには、気になる記述がある。
 
1> 供物奉納と自ら参拝することとは完全に性質が同じであり、何の違いもない。
 
 先行記事断じて行えば鬼神も之を避く-靖国神社秋の例大祭を巡る毎日社説の愚かさと安倍首相の正しさhttp://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/38571640.html 」では朝鮮日報報じる韓国外交部・趙泰永(チョ・テヨン)報道官によって毎日新聞社説の甘い希望が粉砕されていたが、上掲記事1>によって、中国共産党宣伝紙・人民日報コラムもまた「毎日新聞社説の希望」を撃破してくれている。
 言い換えれば、、
 
毎1〉 中韓両国にも参拝見送りを前向きに受け止めるよう求めたい。
毎2〉靖国問題を利用してナショナリズムをあおるような言動は慎むべきだ。
毎3〉お互いに大局を見すえ、関係を再構築してもらいたい。
 
と言う【毎日社説】「靖国と首相 参拝見送りは妥当だ」に示された「毎日新聞社説の希望」は、中韓両国によって、完全撃破された形だ。まあ、私(ZERO)に言わせれば「予想通り」ではある。かかる毎日社説は、誤報・虚報とは言われまいが、ミスリードではあろうな。
 筋論で言うならば、世論をミスリードするような社説を掲げた新聞社は、弁明なり謝罪なりを為すべきであるが、日本の新聞社でそんなことする事例はまことに希有だから、毎日新聞にも期待は出来ないな。