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②【北京青年報】108人の在中日本人「それでも中国に住む理由」を語る
108人の在中日本人「それでも中国に住む理由」を語る(1)
「窓」をつなぐ

  http://j.people.com.cn/94473/8407727.html

 笈川幸司さんは清華大学と北京大学の日本語教師だ。昨年9月、当時の野田佳彦首相が釣魚島(日本名・尖閣諸島)の「国有化」を発表したころ、笈川さんは北京のタクシーで日本人だと名乗るたび、ほぼすべてのドライバーに「釣魚島は中国領か、日本領か」と問われたという。北京青年報が伝えた。
 この1年にわたり中国で生活を送ってきた日本人の多くは、笈川さんのように多くのことを経験してきたが、それでも中国での仕事と生活を選択し続けている。笈川さんを含む108人の在中日本人たちはこのほど、「在中日本人108人のそれでも私たちが中国に住む理由」という本を出版し、自らが中国に残る理由を語った。本書は今月より日本で発売開始されている。このシンプルな表紙の本の販売数は、アマゾンの「外交・国際関係」の1位になり、すでに2回再版されている。
 ◆108人が真実の中国を語る、嫌中ムードの緩和を希望
 本書の編集者の一人である原口純子さんは中国で長期間生活しており、本書のアイデアも彼女によるものだ。原口さんはこのほど取材に応じ、「108人の筆者は中国の18の異なる都市で生活を送っており、ビジネスマン、主婦、学生、芸術家、写真家、俳優、寿司職人、日本語教師など異なる職業に従事している。その中には矢野浩二さんや佐藤愛さんのような、中国で有名な日本人もいれば、ごく普通の日本人もいる。筆者の多くは、十年さらには数十年にわたって中国で生活している」と紹介した。
 本書は阪急コミュニケーションズが出版し、日本での正式な発売開始日は今年8月29日とされている。原口さんは本書出版の動機について、「他の編集者2人と世間話をしていた時、中日関係が悪化した一年間における、在中日本人の真実の見聞を明らかにする必要があると感じ、筆者に連絡を取り始めた。彼らは快く応じてくれた」と語った。
 朝日新聞は、「原口純子さんはより多くの日本人に、中国の豊富で多彩な一面を理解してもらい、日増しに高まる嫌中ムードを変えたいと願っていると語った」と伝えた。
 本書の書名は、全員の作品を集めてから決められた。なぜなら108人が、図らずも同じこのテーマについて触れたからだ。
◆メディアの偏向報道 中国人に殺されるなという忠告も
 本書を読み、筆者を取材した結果、中国をよく理解しているこれらの日本人筆者たちは皆、日本メディアの中国に関する報道が全面的でなく、客観性に欠けると考えていることが分かった。中日関係が悪化した場合、日本メディアは負の情報しか報じないのだ。
 本書の筆者の一人である笈川さんは例を挙げ、昨年9月の野田佳彦前首相による釣魚島の「国有化」が、一部の中国人の抗議を引き起こした際、日本メディアは日本車や百貨店が破壊されるシーンばかりを繰り返し放送したと述べた。これにより笈川さんの姉やその他の親戚・友人が心配し、電話の中で「中国人に殺されるな」と注意してきたという。笈川さんは、「こういう時に、彼らの見ているものと、私の体験していることが異なると感じる。実際に私はいかなる危険にも遭遇したことはない」と語った。
 もう一人の筆者、中国で広告会社を経営する山本達郎さんは記者に対して、「日本メディアの報道により、私の家族は中国全体が抗議デモを行っていると思った。私の周囲の日本人は中国との戦争を絶対に望んでいないが、日本メディアからは非常に強硬な開戦の態度が見て取れる」と話した。
 山本さんが目にしたある日本メディアの記事によると、中国に進出した日系企業の70%以上は、中国に引き続き留まり自社の経営に専念すると表明した。しかし同記事の見出しは、「30%の日本企業が中国撤退を検討」とされていた。山本さんは、「同じことでも異なる角度から見れば、異なる結論と印象が導き出される」と指摘した。
 ◆中国の肩を持つのは勇気が必要
 山本さんは、「中国で生活した経験を持つ日本人は少なく、108人の筆者の考え方は日本社会では主流ではない」と述べた。笈川さんは、このような本を書くためにはある程度の勇気が必要だと語った。実際に本書の出版後、原口さんは世論からの圧力を受けており、一部の日本の右翼分子は彼女の本書出版の動機を非難している。
 原口さんは本書の売れ行きについて、「本書は出版からわずか半月で、アマゾンの外交・国際関係の1位になり、すべての本の中で最高で24位になった。8月30日の出版から現在までに、すでに2回再版されている」と語った。将来的に本書が中国語訳される可能性があるが、具体的な内容については未確定だ。このほど北京で開催された交流会では、見本が売り切れとなった。
 笈川さんは、「本書を読めば、日本人は自分の知っていることが本当に少ないことに気づくだろう」と指摘した。物書きの多くは文章の力を信じるものだ。編集者と筆者らは、本書が両国関係の冷え込みを阻止することに期待している。
 当然ながら本書は108人の在中日本人の歌った「中国の賛歌」ではない。「反日デモ」、「PM2.5」といったセンセーショナルな言葉が表紙に現れており、また中国の暗部を反映する挿絵も本書の中に登場している。108人が書いた文章には、中国や中国人に対する不可解な点や、恨み事も含まれている。本書は最後に丸2ページを費やし、中国のテレビに登場した抗日ドラマのスクリーンショットを掲載した。しかし上述した内容も含め、本書は正と負の面の印象を組み合わせることで、在中日本人にとっての真の中国を反映することに成功している。これは本書が日本でベストセラーになった理由の一つでもある
。(編集YF)
 「人民網日本語版」2013年9月23日
 
 

「日本で中国の肩を持つ」のは「半島や大陸で親日を唱える」よりは、はるかに楽ですが、何か?

 さて、如何だろうか。
 
 タイトル副題にした通り、「それでも中国に住む理由」なるベストセラー本についての上掲①News Week誌上掲②北京青年報の記事である。付け加えるなら北京青年報は「中国共産主義青年団北京市委員会の機関紙(出典ウイキペディア)」だそうだから、押しも押されもせぬ「党の口舌=中国共産党の宣伝機関」。その「党の口舌」推薦図書たる「それでも中国に住む理由」は、ベストセラーでもあるのかも知れないが、タイトルにした通り「中国共産党にとって都合の良い本」である事も間違いなさそうだ。つまりは、恰好のプロパガンダ材料だ。
 
 間違ってはいけないのだが、「プロパガンダ」と言うのは「虚偽・虚構ばかりではない」という事だ。事実に基づいたプロパガンダの方が、虚偽・虚構に基づくプロパガンダよりもはるかに強力である。それがたとえ局所的/一時的な事実であっても、プロパガンダには充分だ。言い換えれば、事実であるか無いかは「プロパガンダであるか否かの判断材料」ではない。ある意図・方向・主旨に沿ってさえいれば、虚偽・虚構であろうが、事実であろうが、局所的/一時的事実であろうが、プロパガンダの役に立つ。プロパガン多とは「特定の意図・方向・主旨の強調ないし強制」なのであるから。
 上掲記事①及び②にある通り、この「それでも中国に住む理由」なる本が「外交官や日本メディアの北京特派員から日本語教師、自営業、ブロガー、俳優まで、108人それぞれが去年の9月のデモのときに見聞きしたことについてつづった体験談集」である事は、(多分)間違いないのだろう。この108人が「去年9月の反日暴動」にも拘らず「「それでも中国に住む」と決した事も(多分)事実なのだろう。
 尤も、上掲記事①NW誌上掲記事②中国青年報との差異は、記事の終盤で顕著になる。上掲記事②では「◆中国の肩を持つのは勇気が必要と小見出しにまでして、「それでも中国に住む理由」著者たちに対する風当たりを記載し、
 
②1〉 本書は正と負の面の印象を組み合わせることで、
②2〉在中日本人にとっての真の中国を反映することに成功している。
②3〉これは本書が日本でベストセラーになった理由の一つでもある。
 
と絶賛している。その「北京青年報の絶賛」が故に、私(ZERO)なんざぁ眉に唾付けずにはおられないのだが。プロパガンダは、プロパガンダと知っていればこそ活用できる。プロパガンダと知らず、鵜呑みにする事が、最も危険だ。尤も、この世の報道は須らく何らかのプロパガンダ、と考え、少なくとも疑ってかかるべき、ではあるが(*1)。
 
 上掲記事②は、昨年来の嫌中・反中で「思考停止した日本人」を非難しながら、「思考停止」と言うならば、「日中友好」の美名のもと、国益も主権もないがしろにして来た「日中国交回復40年」の方が、余程思考停止である事を認め、媚中-反中両面からの思考=思考停止の解除を求めている。
 「思考停止の解除」は、私(ZERO)も同意し、求めたい処である。
 
 外交は、「外国と仲良くするための手段」では無い。
 外交は、戦争と並んで国益追求の手段だ
。「外国同士を争わせるのが外交」と言う説だってあるぐらいなものだ。
 
 外交を駆使して求めるべきは、我が国益であって、「友好関係」と言うのは、その一手段だ。
 それは、日中間の外交とて、例外である訳が無い。

 

<注釈>

(*1) それを言うならば、読者にとっての当ブログ記事とて、例外ではない。当ブログをは私(ZERO)の意見を色濃く反映しており、「ZEROのプロパガンダ」と見られ、扱われて、然るべきだろう。私(ZERO)自身に「プロパガンダと言う意図・意識は無い」としても、だ。