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 小泉元首相の「原発ゼロ」発言については、毎日新聞が10/5に社説に取り上げ、オッペケペーな「脱原発称賛論」を主張していたので、 先行記事「小泉元首相頼み、狂気の脱原発原理主義―【毎日社説】:小泉氏のゼロ論 原発問題の核心ついた http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/38555431.html 」でぶった切った処。
 他方で読売新聞が「小泉原発ゼロ発言」を非難する社説「小泉元首相発言 「原発ゼロ」掲げる見識を疑う」を10/8に掲げた。これに対し小泉元首相自身から反論が出たとの報道もあったが…報道される限りでは、毎日社説といい勝負の政治家は、大方針さえ示せば良いと言う無責任極まりない楽観論。こりゃ小泉元首相の反論全文が欲しいと思っていた処が、10/22に今度は朝日が小泉元首相「原発ゼロ発言」を絶賛擁護する社説を掲げた。
 これだけ間が空いたのだから、脱原発原理主義者たる朝日でも、新たな知見や見解が期待出来るか、と思いきや・・・

 
①【朝日社説】元首相発言―トイレなき原発の限界
 H25/10/22
 小泉純一郎元首相が、ここにきて積極的に「原発ゼロ」を訴えている。
 放射性廃棄物という「ごみ」の始末に道筋がついていない以上、原発を続けるのは無責任。自然エネルギーや省エネを生かした循環型社会を目指すべきだ――といった内容である。
 「トイレなきマンション」になぞらえられるこの問題は、私たちも社説で折に触れて指摘してきたところであり、小泉氏の主張はもっともだ。
 日本のエネルギー政策を見直すうえで、根源的かつ早急な対応を迫られている課題である。そのことを、政府はしっかり認識してもらいたい。
 安倍首相は今国会で、野党の質問に答える形で「可能な限り原発への依存度を下げる」と繰り返している。
 だが、発言とは裏腹に、政府内で進められている議論は「原発回帰」が鮮明だ。
 年末に向けたエネルギー基本計画の見直し作業でも、原発の必要性を強調する議論ばかりが先行している。原発の後始末にかかる政策は、いっこうに具体化が進んでいない。
 とくに、放射性廃棄物を深く地中に埋める「地層処分」の候補地については、02年から公募を続けているが、手をあげる市町村がない。福島の原発事故を目の当たりにしたのだから、なおさらである。
 安倍首相はきのうの国会答弁で、地層処分について技術面でさらなる検討を加える意向を示したが、問題の根本は原子力政策そのものへの国民的合意がないことにある。
 脱原発とセットで廃棄物処理の具体策を検討すべきだ。
 その点で、日本学術会議がまとめた提言は参考になる。
 まず、廃棄物を地表か浅い地中で暫定保管する方針に切り替える。そのうえで、ごみの量が増加し続けないよう総量の上限を設ける。
 私たちは核燃料サイクル事業もやめるべきだと考える。使用済み燃料棒は不安定なプールではなく、「乾式キャスク」と呼ばれる強固な入れ物に移し、地表で暫定管理する。
 そうした環境を整え、最終処分法についての研究や社会の合意形成をじっくり進めていくのが現実的だろう。
 暫定保管とはいえ、安全基準を定め、法律を整備し、貯蔵のための設備を製造・構築するにも時間がかかる。条件を満たせない原発は運転を認めない、といった規制も必要になる。
 後始末なき原発回帰は、「国の責任」からほど遠い。
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②【読売社説】小泉元首相発言 「原発ゼロ」掲げる見識を疑う(10月8日付・読売社説)
   http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20131007-OYT1T01518.htm
 首相経験者として、見識を欠く発言である。原子力政策をこれ以上混乱させてはならない。
 小泉元首相が講演で、「原子力発電に依存しない、自然を資源にした循環型社会」の実現を唱え、政府に対し、「原発ゼロ」の方針を掲げるよう求めた。東日本大震災を機に自らの考えを変えたという。
 小泉氏の発言は、政府・自民党の方針と異なる。政界を引退したとはいえ、看過できない。
 安倍首相は、安全性が確認された原発は再稼働させ、民主党政権の「原発ゼロ」路線を見直す意向だ。自民党も原発再稼働の推進を選挙公約に盛り込んだ。
 小泉氏は原発の代替策について「知恵ある人が必ず出してくれる」と語るが、あまりに楽観的であり、無責任に過ぎよう。
 現在、火力発電で原発を代替している結果、燃料の輸入費が増え、電気料金は上昇を続けている。このままでは、家計や経済活動に与える影響が大きい。
 火力発電は、二酸化炭素(CO2)を多く排出し、地球温暖化が進む大きな要因である。
 太陽光や風力を利用した再生可能エネルギーは、天候に左右されるなど弱点があり、主要電源になる展望は見えていない。原子力、火力を主力にバランスの取れた電源構成を目指す必要がある。
 「原発ゼロ」が政策になれば、福島第一原発の廃炉などに必要な技術者も確保できまい。
 小泉氏は、「原発ゼロ」の理由として、原発から生じる放射性廃棄物の扱い方を疑問視し、「核のごみ処分場のあてもないのに、原発を進める方がよほど無責任ではないか」と主張した。
 使用済み核燃料や、それを処理した際に出る放射性廃棄物の処分法は技術的に決着している。
 専門家は地盤の安定した地層に埋めれば、安全に処分できると説明している。日本を含め各国がこの方法の採用を決めており、フィンランドでは建設も始まった。
 放射能は、時間を経ると減り、1000年で99・95%が消滅する。有害性が消えない水銀など重金属の廃棄物とは事情が違う。
 問題は、廃棄物を埋める最終処分場を確保できないことだ。政府と電力業界は候補地を募ってきたが、自治体や住民の理解を得る努力がなお足りない。
 処分場の確保に道筋が付かないのは、政治の怠慢も一因と言える。首相だった小泉氏にも責任の一端があろう。処分場選定を巡る議論を進めるべきである。
(2013年10月8日01時47分 読売新聞)
 

原発の代替は、二酸化炭素垂れ流しの火力発電しかありませんが、何か?

 さて、如何だろうか。
 いや、上掲①朝日社説と来た日には、力が抜けるったらないな。毎日はまだ「放射性廃棄物処理問題」の他に「政治家の掲げる旗印」に触れていた。これもまた夢想的妄想的な「言えば出来る」に近いものだが、「別の切り口」であろう。これに対し上掲①朝日社説は、小泉元首相「原発ゼロ」発言を「放射性廃棄物処理問題」を理由に絶賛肯定する点では毎日と同様だが、
 
①1>  私たちは核燃料サイクル事業もやめるべきだと考える。
 
と、放射性廃棄物そのものを減らせる可能性がある技術を否定して、
 
①2>  まず、廃棄物を地表か浅い地中で暫定保管する方針に切り替える。
①3> そのうえで、ごみの量が増加し続けないよう総量の上限を設ける。
 
と、言わば新方式の小さなトイレ」を提案する、だけ。
 
①4>  脱原発とセットで廃棄物処理の具体策を検討すべきだ。
 
と言う主張は、放射性廃棄物が脱原発で一気に増える(*1)点からは「正しい主張」と言い得るが、上記①2>~3>で「小さなトイレを提案し、上記①1>で放射性廃棄物圧縮技術を否定しているのだから、脱原発原理主義としてはそれで良いのだろうが、原発代替電源に全く触れていない(*2)点も含めて、説得力も論理も無い。ただの脱原発アジテーションだ。
 一方上掲②読売社説の方は…あまり付け加える事は無いな。ほぼ「我が意を得たる」と言って良い位。
 興味深いのは上掲①朝日社説の言う「トイレ」事放射性廃棄物最終処分上に対する両紙社説の違いだ。
 
②1> 使用済み核燃料や、それを処理した際に出る放射性廃棄物の処分法は技術的に決着している。
 
と、きっぱり断言した上掲②読売社説は、
 
②2>  問題は、廃棄物を埋める最終処分場を確保できないことだ。
②3> 政府と電力業界は候補地を募ってきたが、自治体や住民の理解を得る努力がなお足りない。
 
と、上記②2>の事態に対し、上記②3>「政府・電力会社の自治体や住民の理解を得る努力」を解決策としているのに対し、朝日社説は上記①2>~3>新方式の小さなトイレしか解決策としていない。まあ、脱原発原理主義者にすれば、「政府・電力会社の自治体や住民の理解を得る努力」なんてのは「脱原発に反する、神をも恐れぬ所業」なのだろうが現実的なのはどっちだよ
 社説対決の勝敗は、言うまでも無いな。

 

<注釈>

(*1) 少なくとも、現有原発を稼働させ続けるよりもはるかに早いペースで原発廃炉に伴う大量の放射性廃棄物が発生する。 
 
(*2) 直接は。間接的には小泉元首相発言の「自然エネルギーや省エネを生かした循環型社会を目指すべきだ」中に入るかも知れないが…太陽光や風力など、水力以外の自然エネルギーは現状発電量の1.6%しか占めていない。「省エネを生かす」?そりゃ電力需要の圧縮でしか無かろうさ。 
 
 

私の原発推進論&「自然エネルギー推進論」

① エネルギー政策の目的は、見通せる将来に渡って「電力の安定供給」である。電力を電力需要にあわせた必要充分な電力量を停電させずに安価に安定した電圧で給電する事である。
 
② 現時点においては大容量の電力を蓄電する技術は、無い。精々が揚水式水力発電の上の方のダムに水として蓄える程度である。また、将来的に大容量蓄電技術が確立普及したとしても、蓄電して取り出す電力には必ず損失が付きまとう。
 
③ 大容量蓄電技術が普及するまで、電力は、必要量に応じて発電し送電しなければならない。
 
④ 必要に応じて発電できる、制御可能な発電力は、火力、原子力、大分落ちて水力である。
 
⑤ 「再生可能な自然エネルギー」太陽光、風力、地熱、潮汐力などは、「態と発電しない」ことしか出来ず、原理的に制御不可能な発電力である。これは、発電コストが如何に安くなろうと変わりようが無い。
 
⑥ 従って、大容量の蓄電技術が普及するまで、「再生可能な自然エネルギー」は発電の主役たり得ない。
 
⑦ 少なくとも大容量の蓄電技術が普及するまで、発電の主役は、火力、原子力、大分落ちて水力である。これに付け加えられるとすれば、バイオマス火力発電ぐらいである。この中で原子力は、制御のレスポンスが鈍い恨みはあるモノの、比較的狭い敷地で大きな発電量を二酸化炭素排出なしで発電できる利点を持つ。また発電コストとしても、「福島原発事故に対する補償や対策を加味して漸く火力に負けるかも知れない」程度であり、水力に対しては依然優位である。
 
⑧ 従って、火力と原子力は共に不可欠な発電方であり、水力以外の「再生可能な自然エネルギー」の発電量は、全体の1割程度とすべきであろう。尚且つ我が国では、水力発電の開発が進んでおり、水力発電の劇的増加は望めない。
 
⑨ 以上から当然ながら、我が国に原発は不可欠である。我が国の現時点での脱原発なぞ、愚挙にして暴挙である。
 
⑩ ドイツやベルギーがお気楽に「脱原発」を実施できるのは、電力が足りなければフランスの原発から電力を輸入できるからである。これら西欧諸国の「脱原発」は、「ナンチャッテ脱原発」と呼ばれるべきであろう。