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承前)映画『パンドラの約束』特別インタビュー  なぜ環境保護派が原子力を支持するのか

ロバート・ストーン(映画監督)2013年08月28日(Wed)  WEDGE編集部
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/3112

――米国ではシェールガス革命が起きていますね。原子力より化石燃料に風が吹いているように見えますが。

私には日本の状況は分かりません。しかし、気候変動の問題については、世界中の大変多くの若者たちが高い関心を寄せています。気候変動の結果は、年を追うごとにより明確にあらわれてきています。アメリカにおいて、ガスが潤沢にある安い燃料であろうことは確かですし、それが原子力を含むエネルギー源のあらゆる選択肢に、とって変わろうとしつつあることも事実です。

私は、それほど遠くない将来、アメリカは中国から先進のモジュール型原子炉を購入するのではないかと思っています。そして日本もまた、同じことをするのではないでしょうか。

――太陽光や風力など再生可能エネルギーに頼ることはできませんか。

風力と太陽光は、エネルギーミックスに重要な役割を果たしており、場所によっては他の技術より、これらの発電方法に適している地域もあります。しかし、問題の鍵は、それらが化石燃料に代わることができる地点まで来ているかどうか、単純には測ることができないという点です。原子力とは異なり、再生可能エネルギーを使用するために電気システムをネットワーク化するとなると、化石燃料に置き換えて使えるレベルで実用化し、運用していくためには、エネルギーインフラ全体の完全な再構築が必要になります。これは莫大な投資であり、実際に実行に踏み切った国はまだありません。

また、再生可能エネルギー源(風や日光など)の確保が確実でない時のためのバックアップとして、我々は旧来の化石燃料インフラを引き続き維持していく必要もあります。これらは、再生可能エネルギーが実際に化石燃料にとって代わるのを妨げている深刻な問題であり、すぐには解決しそうもありません。他の国にも増して風力と太陽光に多く投資(20年間、数千億)したドイツでさえも、今日の電力供給源の割合は太陽光が5%、風力が7%という状況です。彼らはまだ石炭の生産能力も拡大させており、原子力発電所を廃炉にするという判断のおかげで、彼らの二酸化炭素排出量は実際に増えています(日本もそうであるように)。

風力と太陽光は、かつては大規模に発展しましたが、相当な数の反対意見にも直面しています。風力と太陽光で、全ての電力を供給できるため、原子力は必要ないという議論は危険な絵空事です。もしその説が真実ならば、数多くの良識ある人々が原子力発電を発展させ、支持しようとする必要はまったくないはずです。

私は、個人的な利益関心のために、原子力推進を唱えているわけではありませんし、原子力それ自体には関心がありません。私が原子力を推進しようと思うのは、それが、死や疾病を引き起こし、海の水を酸性に傾かせ、気候が制御できないほど乱れ始めている原因である、化石燃料の使用を締め出す唯一の手段であると気づいたからに他なりません。

この数十年に亘り、反核の活動家たちによって提示されてきたあらゆる定説や神話にかかわらず、原子力ははるかに優れた選択肢です。60年代に作られた原子炉が、未曾有の規模の津波によって流されたことで起きた、今回の恐ろしい(そして、防ぐことができたはずの)一回の事故を理由に、完全に原子力エネルギーを断念してしまうのはナンセンスです。

日本は、地球上で最も洗練された最新技術でもって、現在の原子力施設を取り替えることに投資するべきです。このことは、日本のエネルギー供給の自活を維持し、全く新しい輸出産業を発展させ、世界中の羨望を日本に集めるでしょう。

今日の状況のように、化石燃料に立ち返る一方で、エネルギーの自活を決してもたらさない再生可能エネルギー施策に浪費し続けるのはとんでもない大間違いである。私はそう考えています。

ロバート・ストーン監督
1958年イギリス生まれ、ニューヨーク在住。初監督作『ラジオ・ビキニ』(1987年)がアカデミー賞長編記録映画賞にノミネートされ高い評価を得る。その後、ディレクター、作家、編集者、カメラマンと幅広く活躍する傍ら、アメリカ史、大衆文化、マスメディアや環境問題などのテーマを独自の視点で鋭く切り取る作品を意欲的に制作。最新作『パンドラの約束』は2013年のサンダンス映画祭で上映され注目を集めた。6月12日より全米で公開。人生のほとんどを反核に捧げてきたにもかかわらず、考えを180度変え、原子力推進を訴え始めた著名な科学者や環境保護運動家、ジャーナリストらに主張の機会を与えている。
映画『パンドラの約束』
ロバート・ストーン監督 10月来日予定

問い合わせ先:フィルムヴォイス(株)
03-5226-0168 担当:山森

海の向こうの「我が同志」


 さて、如何だろうか。海の向こうの「我が同志」のご意見は。

 「同志」と勢いで書いてしまったが、少なからぬ語弊があろう。上掲Wedge記事でインタビューを受ける映画監督・ロバート・ストーン氏と私は「原発推進/擁護論」と言う点では共通するモノの、その推進理由は、主として先述の通り ①高い発電力密度 ②火力並みに低い発電コスト ③発電量制御性 ④向上させ、許容しうる安全性・リスク性 であるのに対し、上掲記事のロバート・ストーン氏は、

1〉 私は、個人的な利益関心のために、原子力推進を唱えているわけではありませんし、
2〉原子力それ自体には関心がありません。
3〉私が原子力を推進しようと思うのは、
4〉それが、死や疾病を引き起こし、海の水を酸性に傾かせ、気候が制御できないほど乱れ始めている原因である、
5〉化石燃料の使用を締め出す唯一の手段であると気づいたからに他なりません。

とあり、「二酸化炭素排出量抑制のための原発推進」を明言している。上掲記事末尾の経歴にもある通り、「人生のほとんどを反核に捧げてきた」環境保護派と言う点も、私(ZERO)とは大いに異なろう。

 尤も、上掲記事の中で、私(ZERO)の原発推進理由上記①~④の内、②、③、④には同意頂けそうである。また、太陽光や風力の様な「再生可能な自然エネルギー」に対し無責任な狂気に近い期待を抱かないと言う点でも共通するモノがあろう。つまりは、生まれ育ちは随分違うが、現状認識と言う点では私(ZERO)と上掲記事ロバート・ストーン監督の間に、共通共有共感するモノが多そうだ。「話が合いそう」と言う処だろう。

 尤も、先行記事「中国の暴走-COP15直前 各国二酸化炭素排出数値目標の比較http://www.blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/30844339.html 」にした通り、この地球上の二酸化炭素排出量を抑制するためには、まず第一に中国を何とかするべきだ。それが出来なければ、例え日本の発電力を完全二酸化炭素フリー化=原発&水力化(※1)した処で、焼け石に水である。

 とは言え、日本の原発推進が、二酸化炭素排出量抑制の一助になる事も、また事実。鳩山由紀夫の数多ある空手形の一つ「二酸化炭素排出量25%削減」が「我が国の原発発電量シェア50%」を前提としていた事も、想起されて然るべきだろう。


<注釈>

(※1) 太陽光や風力発電も、二酸化炭素は排出しないが、発電力として役に立たない。 



私の原発推進論&「自然エネルギー推進論」

① エネルギー政策の目的は、見通せる将来に渡って「電力の安定供給」である。電力を電力需要にあわせた必要充分な電力量を停電させずに安価に安定した電圧で給電する事である。

② 現時点においては大容量の電力を蓄電する技術は、無い。精々が揚水式水力発電の上の方のダムに水として蓄える程度である。また、将来的に大容量蓄電技術が確立普及したとしても、蓄電して取り出す電力には必ず損失が付きまとう。

③ 大容量蓄電技術が普及するまで、電力は、必要量に応じて発電し送電しなければならない。

④ 必要に応じて発電できる、制御可能な発電力は、火力、原子力、大分落ちて水力である。

⑤ 「再生可能な自然エネルギー」太陽光、風力、地熱、潮汐力などは、「態と発電しない」ことしか出来ず、原理的に制御不可能な発電力である。これは、発電コストが如何に安くなろうと変わりようが無い。

⑥ 従って、大容量の蓄電技術が普及するまで、「再生可能な自然エネルギー」は発電の主役たり得ない。

⑦ 少なくとも大容量の蓄電技術が普及するまで、発電の主役は、火力、原子力、大分落ちて水力である。これに付け加えられるとすれば、バイオマス火力発電ぐらいである。この中で原子力は、制御のレスポンスが鈍い恨みはあるモノの、比較的狭い敷地で大きな発電量を二酸化炭素排出なしで発電できる利点を持つ。また発電コストとしても、「福島原発事故に対する補償や対策を加味して漸く火力に負けるかも知れない」程度であり、水力に対しては依然優位である。

⑧ 従って、火力と原子力は共に不可欠な発電方であり、水力以外の「再生可能な自然エネルギー」の発電量は、全体の1割程度とすべきであろう。尚且つ我が国では、水力発電の開発が進んでおり、水力発電の劇的増加は望めない。

⑨ 以上から当然ながら、我が国に原発は不可欠である。我が国の現時点での脱原発なぞ、愚挙にして暴挙である。

⑩ ドイツやベルギーがお気楽に「脱原発」を実施できるのは、電力が足りなければフランスの原発から電力を輸入できるからである。これら西欧諸国の「脱原発」は、「ナンチャッテ脱原発」と呼ばれるべきであろう。