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 「1Q84」って村上春樹の小説の新刊がちょっと前に発売されて、大いに売れたそうだ。「ベストセラーに良書なし」と言う言葉をある程度信じている(※1)私(ZERO)は立ち読みすらもしていないが(※2)、その執筆のきっかけとなった(らしい)のが、ジョージ・オーウェル作「1984」で、こちらの方は読んだことがある。

 「読んだ事がある」所か、私の出会った印象的な本ベスト10に入るのが、小説「1984」である。1948年にある種の「未来小説」として書かれた(※3)「1984」は、社会主義一党独裁下で厳格な情報統制下にある事の恐怖がヒシヒシと伝わって来る「ディストピア(※4)小説」で、分けても情報統制の権化「真理省」の恐ろしさが印象的だ。

 個人が日記をつける事さえ禁じられた「1984」世界(※5)の真理省は、一切の情報を統制し、過去を支配する者は未来まで支配する。現在を支配する者は過去まで支配する。をモットーに、日々、党の正当性・無謬性を実証するための歴史改竄・記録改変し続けている。無論、そんな事を続けていれば論理的破綻や矛盾は免れようも無いのだが、それは国民に強制された二重思考=究極のダブルスタンダードによって回避されている実に、恐るべきことに。

 真理省の徹底ぶりには程遠いが、新王朝が樹立するたびに旧王朝の悪口と新王朝の正当性を「正史」として記録する事を繰り返してきた大陸の歴史も、相通じるものがあろう(※6)。秦の始皇帝が実施した「焚書坑儒」も、真理省的情報統制法の初歩と言える。

 どの事例(※7)も、言論の自由無き情報統制と歴史統制・改竄の恐ろしさを、「魂の自由愛する者」に伝えるモノだが、半島にあって曲がりなりにも自由主義体制をとる民主主義国家である筈の韓国(※8)も、「1984」世界の真理省を理想としているらしい。

<注釈>


(※1) 無論、例外はあろう。 

(※2) 今回、ウィキペディアで「荒筋」を知って、益々読む気を失くした。 

(※3) 出版されたのは、1949年。だが1948年中に脱稿したそうだから、タイトルの「1984」は、1948年の下二桁を逆転させたのだろう。 

(※4) ユートピア・理想郷の反対語。アンチ・ユートピア、暗黒郷とも呼ばれるそうだ。「恐るべき世界」とでも訳すべきだが、小説「素晴らしい新世界」がその代表とされる。

(※5) って事は、当然、ブログもHPも無しだな。 

(※6) 否、寧ろ、大陸の一連の「正史」がジョージ・オーウェルにヒントを与えたのかも知れない。だとすると、真理省は大陸歴代皇帝・帝国の拡大発展型と言えよう。 

(※7) 現実、史実、空想を含めて。 

(※8) 北朝鮮は、ハナッから1984世界の出来損ないだ。国名は「朝鮮民主主義人民共和国」なのにな。ああ、それこそ正に、「1984」的か。「戦争は平和である」「無知は力である」何れも北朝鮮にぴったりのスローガンだ。 



.【正論】「不都合な歴史」書き換える韓国
筑波大学大学院教授・古田博司
2013.8.20 03:18 [正論]
http://sankei.jp.msn.com/world/news/130820/kor13082003180001-n4.htm

 言うまでもないことだが、歴史の中に未来はない。もしあれば、将来の得を取ろうとしてみなが歴史学者になってしまう。そんなことにはならないので、「歴史の中に未来はない」のである。

≪歴史の中に未来ありと信じ…≫

そうではなく、「歴史は乗り越えるもの」としてある。歴史を研究するには史料を読む。すると出てくるのは、これまでの経緯説明と、民族の行動パターンだけである。この経緯を知り、パターンがまずければ変更し、別の方向へと超え出ていく。知らなければ未来へと進む方向すら分からないから過去を研究するのである。

今の韓国の狂騒のような反日は「歴史の中に未来がある」と思い込んでいる結果、自分たちにとってまずかった歴史自体を変えたいとの意欲から起きてくる。

この根は金泳三大統領の「歴史の立て直し」運動にある。ソウルの朝鮮総督府の建物を破壊し、竹島を政治宣伝に利用し始め、果ては日本人が植民地時代に地中に杭を打ち込み韓国人の元気の素の風水の地脈を断っていったとし、全国杭抜き運動まで始めた。

盧武鉉大統領時代の2005年には、「真実・和解のための過去事整理基本法」という史上例をみない過去遡及法を成立させた。さらには植民地時代の親日派の子孫を弾圧すべく、彼らの財産を没収する特別法が施行された。

最近になり、1965年の国交正常化時の日韓請求権協定で既に解決済みの問題が蒸し返され植民地時代の徴用工への賠償を日本企業に命じる判決が出されたり、盗まれた対馬の仏像の返還を拒んだり、「旭日旗バッシング」が起きたり、朴槿恵大統領が「加害者と被害者の歴史は千年変わらない」と言ったりするのも、「歴史の中に未来がある」と思い込んでいる結果、自分たちにとってまずかった歴史を変更したいという逆向きの未来を志向していることから起こるチグハグなのである。

≪日本による近代化移植を否定≫

日本人なら誰でも勝手に歴史認識を変えてしまってはいけないと思うことだろう。だが、本当は日本人誰でもがそうなのではない。例えば「歴史の中に未来があるのだから過去をたどればよい」という間違った思想は、世界中の左翼には実はおなじみのものである。マルクスの「今日までのあらゆる社会の歴史は、階級闘争の歴史である」という歴史観は、現代の階級闘争を過去にまでさかのぼらせたものであり、そうした思想を信じた歴史教科書では、日本の貴族と武士が階級闘争をしているように描かれたことがあった。

韓国でも、李氏朝鮮時代は素晴らしい時代で、後期には資本主義の芽生えがあった、それを摘んでいったのが日本だという「資本主義萌芽論」はおなじみで、検定の世界史教科書に常識のように現れる。李朝末期は日本人も外国人も写真機を持って朝鮮に渡った。染料がないため白衣の人々が仕事もなく不潔な市場に集まっているような写真は、ネットを開けば今やどっと出てくる。近代化は日本が朝鮮に移植したのである。

韓国人はそれを認めるのが嫌で日本時代を否定したい、歴史を変えたいという衝動が先に立つ。本当は旭日旗どころか日の丸も否定したい。自分たちのブルーとレッドの日の丸をじっと見つめた方が良い。あるいは、旭日旗が社旗の朝日新聞社に相談するか。

法を変えて過去を断罪しようとすれば、法治国家の資格を失う。近代法も日本が韓国に与えたものだ。それが証拠に、韓国の法律用語のほとんどは日本由来のものである。せっかくもらった近代法の定着と運用で、韓国はうまくいかなかったのだ。自国に批判的だからといって、日本に帰化した女性評論家の入国を拒否するなど、盧武鉉左翼政権時代の青瓦台統一外交安保首席秘書官だった現在の外相の尹炳世氏などはどう考えるのだろうか。

≪中韓北では思うモノは実在≫

もう一つの問題は韓国のみではなく北朝鮮にも中国にもある。3カ国はいわば超(ウルトラ)実念論の国々だ。これは「思っているモノは実在だ」という思想によって生じる。中国共産党の「核心的利益」がそれで、チベットもウイグルも南シナ海も東シナ海も尖閣諸島も沖縄も何百年も前から中国の「領土」だった。だから中国人のものだという。論理にも何にもなっていないので、日本人には不思議に思える思想である。

韓国も歴史的に共有する。風水を信じ、日本人が杭を打ち込んで断脈したに違いないと思うと全国杭抜き運動が始まり、出てきたという杭が並べられ、やっぱり日本人は悪辣(あくらつ)だと結論づける。

近代民法典を移植し、朝鮮の民衆を安堵せしめた日本が、李朝の人さらいのように暴力で徴用したり慰安婦狩りをしたりできるはずがない。それは北朝鮮の得意技だろう。だが、「思っているモノは実在だ」という思想が、彼らの近代的思考を常に阻害する。結局、中国と北朝鮮は共産主義の張り子の虎、韓国は自由主義の「はぐれ者」にしかなれなかったのだ。
(ふるた ひろし)

.日本人と生まれた喜びと不思議


 さて、如何だろうか。

 言うまでも無いだろうが、私は血の赤い日本人だ。日出る処・日本に生を受け、海と山が同時にあって当たり前の島国で、変化に富んだ四季を経て、ついでに台風やら地震やら火山噴火やらも珍しくも無い国土に生まれ育った。この世には、地震なぞ殆ど無い国や、台風が来ない地勢の国もあるが、「日本以外の別の国に生まれたかった」と思った覚えはない。まあ、お国自慢と言うのは人間の原初的感情であるから、郷土愛と言うのは、そういうモノであろうが。

 無論、気象条件や地勢ばかりが日本ではない。日本が民主主義体制をとる自由主義国家であり、言論の自由、学問の自由、表現の自由を一定範囲で確保している事を散々享受しているが故に、当ブログも成り立っている。前の民主党政権時代に政権与党を批判した記事は山ほどあるし、「鳩山由紀夫」を「そのフルネームで人知の及ぶ限り最大級の罵詈雑言」と認定したのも当ブログだ。

 ところが、私の生れ落ちる地が、玄界灘を挟んだ対岸にある韓国であったならば、上掲記事の通り、信じる者は存在する」し、「不都合な歴史は改竄する」と言う、真理省張りの歴史改竄が横行する「1984世界」に暮さねばならなかった訳だ。ああ、生まれた時から其処に居れば、それこそダブルシンク・二重思考も身に着けて仕舞ったかも知れないな。

 実に、恐るべき事に。

 私(ZERO)が上掲記事に描かれた韓国に生まれた場合を「恐るべき事」と評するのは、「ダブルシンク・二重思考を身に着ける」事が「洗脳の完成」を意味するから。例え、「不都合な史実を否定し、好都合な「史実」を捏造する」ためであり、「自由意思によるダブルシンク・二重思考」であろうとも、それは、「魂の自由を失う事」に他ならないから。

 無論、私(ZERO)の歴史観は、「私の歴史観」シリーズで記事にもしている通り、完璧ではありえないし、歪であったり特異であったりもしよう。だが、私(ZERO)は、「私の歴史観」を保持・公示しつつ、「他社の歴史観」にも耳を傾ける用意はしてある。それが上掲記事に描かれた韓国の様な「不都合な史実を否定し、好都合な「史実」を捏造する」歴史観であろうとも。歴史観は相容れずとも、その歴史観を議論する事は、可能だ。言論の自由、学問の自由、それらの前提あるいは結果となる魂の自由がある程度確保されているならば、だが。

 歴史を忘れた民族に未来は無いと横断幕をサッカー試合中に掲げたのは、韓国のサポーターであろう。
 「不都合な史実を否定し、好都合な「史実」を捏造する」事は、「歴史を忘れる」事に他なるまいに。ならば、「未来が無い」のは、韓国人に他ならなかろうが…洗脳を完了し、ダブルシンク・二重思考を身に着けた者には、かような論理・説得も無駄、か。

 ああ、無論、上掲記事【正論】が全くの事実無根であり、韓国に言論・思想の自由があって「1984」世界とは無縁、と言う可能性は、一応、あるだろう。韓国人のためにも、日韓関係のためにも、その方が良いんだが…どうも、望みは薄いな。

 如何に、韓国。