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切り口[1] 霊魂の問題
根源的な疑問になるのだが…上掲①記事を書いた人民日報記者は、果たして、霊魂と言うモノを信じているのだろうか?
先述の通り、マルクスの言に従う「共産主義者」であるならば、「宗教は民族のアヘン」と断じてしまうぐらいだから、霊魂なんか信じない筈だ。上掲記事①パラグラフ【5】「「亡霊参拝」の茶番」と表記し、「靖国参拝は茶番」と断じる処に、「霊魂の否定」を読む事も出来る(※1)。だが、霊魂が無いのならば、英霊達を祀る靖国神社なんてものもナンセンスの筈で、「偶像」以外の何ものでもなくなる。靖国参拝は、文字通りの「偶像崇拝」と解釈する他ないから、軽侮の対象ではあるかも知れないが、「感情が傷つく」訳が無い。直接的には、上記根拠〈2〉は、無効となる。
さらに間接的には、「存在しない霊魂を「祀る」偶像たる靖国神社を参拝」した処で、「歪んだ歴史観」を示した事にはなるまい。上記根拠<1><4><5><6>さえ、大いにその有効性を減じる。残る根拠は<3>「政治的得点を稼ぐ」だけしかない。が、「偶像崇拝で日本の政治家が政治的得点を稼ぐ」のは、日本の政治家の勝手だろう。
霊魂と言うモノを信じ、仮定すればこそ、その霊魂が合祀されている靖国神社への参拝が問題視できる。「A級戦犯分祀論」なんてのも、霊魂と言う仮定・信心があるからこそ。尚且つ上記根拠〈2〉の通り「アジア人の感情が傷つく」と明記しているのだから、上掲①記事を書いた人民日報記者は「霊魂を信じている」と考える事も出来る。だがそうなるとその記者(※2)は、少なくともマルクス的共産主義者ではない、事になる。あまり唯物史観的では無い様だな。
ま、「人間の顔をした共産主義」なんて標語もかつてはあった(※3)んだ。「霊魂を信じる共産主義」があっても良かろうさ。
些か邪推をめぐらすならば、「第三の解釈」もあり得る。即ち「中国共産党及び上掲①記事記者は霊魂を信じないが、それ以外は霊魂を信じているが故に、靖国参拝は、共産主義的見地からは「偶像崇拝」でありながら、霊魂を信じるアジア人の感情を傷つけている。」と言う解釈。これならば上記根拠<2>は幾分有効になろう。そうは言っても、上掲記事①が「傷ついた(であろう)アジア人の声を代弁している」程度であるが。この場合、上記根拠<1><4><5><6>が「復活」するのが大きいだろうな。
だが、そうなると、靖国参拝する理由・背景とされる「歪んだ/誤った歴史観」が、問題となる。
<注釈>
(※1) 意見が分かれるであろう事は、承知だが。(※2) 十中八九、中国共産党員だが。(※3) 殆ど即座に、ソビエト連邦によって滅ぼされたが。
切り口[2] 「歪んだ/誤った歴史観」の問題
「私の歴史観」シリーズ第1弾「『私の歴史観』観」に明記し、以来何度か繰り返している処であるが、私(ZERO)の考えでは、「歴史観なんてのは、人の数だけある」。人それぞれ、十人十色、百人百様な、多様なものだ。無論、そんな多様性が許される、一定の民主主義体制・自由主義体制(※1)下にある事が前提だが。
故に、そんな多様であるべき歴史観に、善悪正邪なんて恣意的な判断基準を持ち込み、「正しい歴史観」などと主張する者には、警戒警報発令だ。その「正しい歴史観」なるモノは、きっと「正しい」のではなく、「何者かにとって都合が良い」歴史観に違いない。少なくとも、その可能性を想起し、左様疑ってかかるべきだ。
一党独裁体制では条件が異なる。殊に、「皇帝による専制支配」が交替するような大陸では、その時々の政権・王朝を正当化する「正史」が「正しい歴史観」であり、それ以外は「野史」とされ、下手すると歴史上から抹殺される。焚書坑儒なんてのは、その一例であるし、映画「300」でペルシャ皇帝クセルクセスが傲岸不遜にも宣した通りだ。
で、現状我が国は曲がりなりにも民主主義体制・自由主義体制にあり、一定の言論の自由、学問の自由、思想信条の自由を確保している。対する中国共産党政権は…言うもサラナリ。相変わらずの「皇帝による専制支配」で、皇帝が世襲でなくなろうが、多少の集団体制になろうが、大差はない。
その中国共産党の機関紙が上掲①記事の通り、「歪んだ/誤った歴史観」を「正せ」と要求する事の意味は、明らかだろう。
中国共産党による、日本への思想侵略。
何しろ大陸の「正史」は、その時々の政権・王朝を正当化するためのモノと言って過言ではない。そんな「正史」を日本の政治家に強制しようと言うのだから、「思想侵略」と評するのが至当であろう。ああ、民主党議員をはじめとして、そんな「思想侵略」が不要(※2)か既に完了した議員もあろうが、それは「思想侵略完遂」を許容するものでは無い。
即ち、上掲記事①が求める「中国共産党による、日本への思想侵略」に対し、我が国は断固、戦わねばならない。
1> 「国のために命を投げ出してくれた人に敬意と感謝の意の念を払わないのはおかしい。靖国神社を参拝すべきだ」
Any trouble BOY?
<注釈>
(※1) もっと言うならば、民主主義、自由主義こそが、「人類の良識」と言われるべきだろう。(※2) 誰であれ、自由意思でそんな思想侵略を「甘受」する事を止める理由は、民主主義/自由体制には、無い。それは民主主義/自由主義体制の弱点ではあろうが、思想・信条・意見の多様性を確保する為の”受容すべき危険”でもあろう。原則としては、だが。