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 「ブラセボ」と言う医学用語がある。日本語では「偽薬(ぎやく)」と言うらしい。新薬の効果を人体実験で確かめる際、その新薬と形・色・味を合わせた「毒にも薬にもならないモノ」も作る。これが「ブラセボ」で、新薬人体実験の際には、それと知らせずにブラセボを投与するグループも作り、効果のほどを比較検証しないといけない。即ち、「新薬はブラセボよりも(明らかに)薬効がある」と証明しないと新薬として認定されない。
 なぜこんな事をするかと言うと、成分上毒にも薬にもならない筈のブラセボが投与されて、「薬効が現われてしまう」事があるから。「ブラセボ効果」と呼ばれるモノで、「病は気から」の「気で治ってしまう」現象。新薬の薬効はこの「ブラセボ効果」を上回らないと、新薬と認定されない。まあ、新薬は新商品でもあるのだから、理の当然だな。

 大きな声では言わないが、私(ZERO)は、世にある「健康法」の相当部分はこの「ブラセボ効果」なんじゃないかと考えている。「信じる者は救われる」とはキリスト教の教えだが(※1)「信じるからこそ効果がある」のが「健康法」なんじゃないかと、考え、疑っている(※2)。それを「大きな声では言わない」のは、ブラセボ効果だろうがなんだろうが、効果は効果。薬効は薬効。「信じている当人にだけ健康法」だって「健康法」としてアリだろうと考えるが故。なにも折角効果のある「ブラセボ健康法」を、無効にすることは無いだろう、と考えるから。

 であるならば…こんな「健康法」ならぬ「治療法」も、ある程度は許容さる可きだろう、とは思うが・・・

<注釈>

(※1) ああ、再三繰り返す通り、私は逆立ちしたってキリスト教徒ではないが。 

(※2) であるからして、世にある健康法の一定範囲は私(ZERO)には「効かないだろう」と予想し、覚悟している。 



.【AFP】インド貧困層で続く「汚れた血を抜く」治療
2013年07月31日 16:21 発信地:ニューデリー/インド
http://www.afpbb.com/article/life-culture/health/2959062/11112197

インドのデリー(Delhi)の青空診療所で、治療のための切開を施す、「医師」モハメド・ギャス氏の息子のモハマド・イクバル氏(2013年7月2日撮影)。(c)AFP/MANAN VATSYAYANA

【7月31日 AFP】インド、オールドデリー(Old Delhi)の暑い日差しの中、3児の母リラバティ・デビさんは、微動だにせず立つ。その腕の血管を、施術者と助手が探る。やがて、施術者はカミソリを手に、デビさんの肌に慎重に切り目を入れて「汚れた血」を流れ出させる。

デビさんは、持病の関節痛が、「医師」モハメド・ギャス氏(82)による伝統治療の「瀉血(しゃけつ)」で治ると信じている。

血が流れ出る手に助手が冷水をかけ、灰色のハーブ粉末をまぶす中、デビさんはAFPの取材に「科学と近代医学では治らなかった」と語った。イスラム教徒のギャス氏による治療だけが「深刻な関節痛を止められる唯一の方法だった」という。

瀉血は数千年前から19世紀末まで続いたが、近代医学によってうち捨て去れ、取って代わられた。

しかし、医療費が支払えなかったり、医師を信頼できなかったり、診療のために長期間待たなければならないようなインド国内の一部の貧困層や遠隔地の共同体では、瀉血のような手法が好まれている。

インド最大のモスク、ジャーマ・マスジッド(Jama Masjid)の裏手にある青空診療所には、毎日約50人の患者が列を作る。ギャス氏は、まひから糖尿病、果ては子宮頸がんまで治療可能だと述べている。

■汚れた血が全ての疾患の根本

「治療の基本教義は、全ての疾患の根本が汚れた血にあるという考えだ。汚れた血を除去すれば、健康問題は解決される」と、ギャス氏は語る。ギャス氏は父親から治療方法を学び、この診療所で40年以上治療をしてきた。

「汚れた血の流れを追うことが最も必要な技術。切開は無作為ではない。全ての血管を調べる必要がある」とギャス氏は説明する。

施術者は血管の閉塞やもつれ、塊やこぶを発見し、切開して除去し、血流を改善する。

ギャス氏は患者から治療費をとらない。患者の多くが貧しいからだ。だが、患者は助手におよそ40ルピー(約60円)ほど支払うという。「私のもとを訪れる人々はほとんどお金を持っていない。そのような人々から何を取り立てるというのか」

ギャス氏は、店舗経営をしている息子から生活の支援を受けている。別の息子は後継者として修行中だ。

「私たちの治療は他の伝統医療と同じ。人々の健康が大切だから、営利目的の医師にはならない」と、息子のモハマド・イクバル氏は語った。

インドには世界レベルの医療施設があるが、国民の多くは治療費を支払うことができない。10年間の急速な経済成長により、政府の貧困層や遠隔地共同体への支出も増えたが、人口12億人のニーズをかなえるほどの公共医療制度はまだ存在しない。

だが、瀉血治療を受ける人の全員が、安価な最後の手段として利用しているわけではない。治療の成功例などを聞き、治療効果に期待して受ける人もいる。

4年前、交通事故で身体に障害を負ったジャヤント・クマルさん(42)は「前は立つことも、座ることも出来なかった」と語る。「今では支えてもらわずに歩くことだって出来る」
(c)AFP/Rupam NAIR

.祈祷だって、呪いだって、治療効果さえあれば何でもアリだが・・・


 さて、如何だろうか。

 タイトルにもしたが、「瀉血(しゃけつ)」である。「血を抜く」のである。「なんて野蛮な!」と眉を顰める向きもあろうが、近代医学発達前は西洋でも存外メジャーな民間治療法だったから、目くじら立てるほどの事は無い。

 また、上掲記事になっている通り、実際「治療効果」を挙げている事例もあるのだから、その効果に第三者がケチをつける謂われも無い。上掲記事にもある通り、「瀉血」治療の費用の安さを選ぶのも、患者の自由だ(※1)。
 補足説明しておくと、近代医学でも治療法の一つとして「瀉血」を行う事はある。だから、一見おぞましいようではあるが「血を抜く」のも時には治療法たり得るし、実際に(※2)「治療実績」があるならば、それはそれで「結構な事」だ。

 だが、私自身は斯様な治療を受ける気にはならないし、お勧めする気にはもっとならない。

 科学と医学とて、万能とは程遠いのは重々承知であり、かような「民間治療」から、将来の「画期的な医学治療法」が確立される可能性も否定はしないが、先人の知見を蓄積し、体系づけ、検証して理論づけるという点に於いて、科学に基づく近代医学に勝る医術・治療術があるとは思われないから、だ。


<注釈>


(※1) 無論、貧困により、「瀉血」治療しか選択しえないと言うのは、ある種悲劇であるが。 

(※2) ブラセボ効果でもなんでも