応援いただけるならば、クリックを⇒ https://www.blogmura.com/

  率直に言おう。半島のマスコミときたら、酷いものだ。

 これが大陸は支那・中国共産党政権や、同じ半島でも北朝鮮・朝鮮民主主義人民共和国(※1)のような一党独裁政権下で、「報道機関は(政権)党の口舌=宣伝機関」と公言され実践されているような状況では、「言論の自由が無い」訳だから、報道機関・マスコミの品質劣化低下は「止むを得ない」。そもそも、報道機関ではなく宣伝機関である事が「存在理由」…と言うか、「存続するための必要条件」となるのだから、少なくとも情状酌量の余地がある。

 だが、韓国は、曲がりなりにも民主主義体制を標榜し、一定の言論の自由も確保している。左様な状況下で「言葉狩り」や「魔女狩り」の様な「自主的言論統制」を実施し甘受するのは、自由主義体制下にある報道機関・マスコミ・メディア各社の「自由裁量」であるし、そんな不自由な言論空間では低下劣化せざるを得ない「報道機関・マスコミの品質」もまた、報道機関・マスコミ自身の自己責任だ。

 即ち、以下掲載する中央日報社説の品質・レベルは、まず第一義的には中央日報自身の責任に負っており、他の何処にも持って行きようが無い。

 まあ、言論の自由がある程度保証された環境下での言論とは、まず第一に発言者の責任である事は、理の当然ではあるが。

<注釈>

(※1) いつもながら、吹き出しちまいそうな国名だな。「朝鮮」「人民」は兎も角、「民主主義」で「共和国」と来たもんだ。国家元首が世襲でも、王様や皇帝じゃなけりゃ「共和国」かよ。笑わせてくれる。 



[中央日報社説】安倍内閣、8・15に靖国参拝しないことを
2013年08月12日08時39分
[中央日報/中央日報日本語版]
http://japanese.joins.com/article/social_article.php?total_id=174930&pgi=1&refer=japanese.joins.com%2Farticle%2Fj_article.php%3Faid&sort=bad

【】はZEROが振ったパラグラフ番号

【1】 日本の安倍晋三内閣の一部の閣僚が、太平洋戦争の終戦記念日である15日に靖国神社を参拝する模様だ。すでに参拝の意思を明らかにした稲田朋美行政改革相と新藤義孝総務相に続き、古屋圭司拉致問題担当相も参拝の可能性を示唆したという。安倍首相は「閣僚が個人として靖国神社を参拝するかどうかは心の問題であり自由だ」と話しているが、卑怯で無責任な詭弁だ。現職閣僚の靖国参拝が持つ意味と波紋を考慮すれば、内閣を統轄する首相として他人事のように言い逃れるような話にはならない。

【2】   いくら宗教色を重ねて覆っても、靖国が日本の軍国主義の象徴だという事実は変わらない。神風“自殺”特攻隊員は「靖国で会おう」という言葉を残して戦闘機に乗った。しかも靖国には、太平洋戦争のA級戦犯14人が合祀されている。軍国主義的侵略の被害者に少しでも配慮する心を持っているならば、8月15日に合わせたように靖国を参拝するような挑発的行動はできないはずだ。靖国を訪れる代わりに、誤った過去を反省して謝罪する声明を発表することが安倍内閣の正しい選択だ。

【3】  日本の良識ある市民が、なぜ先週末に東京都内で靖国参拝に反対するろうそくデモを行ったのか、安倍首相はよく考えてみなければならない。どうしてデモ参加者の口から「(靖国)戦死を祝賀する価値観を持つようにしてから戦争で死ねる人間をつくり出す思想的な装置」だという批判が出てくるのか、反すうしてみなければならない。平和憲法の解釈を変える見せかけの形で集団的自衛権を行使しようとする意図が、閣僚の靖国神社参拝を放置する安倍首相自身の下心と一脈相通じるものではないのか、自問してみなければならない。

【4】   安倍首相自身は終戦記念日に靖国神社を参拝する計画がないとしても、それだけでは不十分だ。閣僚も参拝できないようにしなければならない。それが歴史と周辺国との関係を考える最小限の良識ある行動だ。安倍首相の賢明な判断を促す。 .

パラグラフ4つ。言いたい事一つ。論理支離滅裂。


 さて如何だろうか

 大して字数の無い社説だが、例によってパラグラフ番号を振ったので、例によってパラグラフ毎に要約してみよう。

 上記【1】は、「安倍首相は靖国参拝せず、閣僚の参拝も禁じろ。」だろう。

 上記【2】は、「靖国神社は日本軍国主義の象徴だ。日本軍国主義の被害者に配慮すれば、靖国参拝など出来ない。」

 上記【3】は…要約しにくいな。箇条書きにしよう。①「日本でも靖国神社参拝反対デモがある」 ②「戦死を祝賀する事は戦争への道。靖国神社はその道具」 ③「集団的自衛権行使は、靖国参拝容認に通じるものがある」

 上記【4】は「安倍首相は靖国参拝しないだけでは不十分で、閣僚の参拝も禁じろ。」だから、上記【1】とほとんど同じだな。

 以上からすると上掲中央日報社説の言いたい事は唯一つ安倍首相は靖国参拝せず、閣僚の参拝も禁じろ。」【1】【4】であろう。残りの【2】【3】はその理由を説明する、形をとっている・・・んだが・・・・

 「言いたい事」は明白だ。その点では「優れた社説」とも言い得よう。だが、その根拠となる(らしい)上記【2】【3】と来たら、少なくともひどく偏っている。

 上記【3】①は、まず根拠にならない。言論の自由が一定程度確保されている我が国では、ありとあらゆる事象について賛否両論何れもあり得るから、賛否いずれのデモだってあり得る。「君主は何をやっても悪く言われる」とはキケロの言。政権与党党首・首相たる安倍晋三氏の行動に、反対論があるのは極当たり前だ。

 上記【3】②は、「それがどうした」と言い得る。大凡近代的な国民国家は、国のために命を捧げた戦死者に敬意を払うモノ。それが「次なる戦死者を準備するため」である事は少なくとも一面その通りだが、米国にアーリントン墓地あり、各国に無名戦士の墓や、赤軍兵士の墓があり、多くの国では左様な「次の戦争への備え」を怠りなく実施している。我が国が同じことを実施したとて、天地俯仰に恥じる処は無い。それとも韓国では「戦死者に敬意を払わない」のが通例なのかね?だとしたらご愁傷様だが、そんな「非近代国民国家的習慣」に我が国が付き合う義理は無い。

  上記【3】③も酷いものだ。集団的自衛権は、国家に認められた「基本的国権」だろう。それを我が国では「有するけれども憲法上行使できない」なんて訳の判らない状態に置いてきたのであるが、それは我が国の特殊事情でもあれば、我が国の勝手でもある。半島にどうこう言われる筋合いはないし、半島こそ集団的自衛権の恩恵で辛うじて国を保ったのであろうが。
 「集団的自衛権行使の容認」がある種の「戦争準備」である事は確かだし、その点で「靖国参拝」=「戦死者たちに敬意を表する事」と「相通じるものがある」事も認めるが、いずれも国としては当然の事。国として当然だから、我が国も実施する。昨年日本の閣僚が誰一人靖国参拝しなかったのは、民主党政権だったと言う特殊事情・異常事態・特異点のため、だ。

 で、とどのつまりは上記【2】日本軍国主義に行き着くんだろうな。
 だが、上記【2】「靖国神社は日本軍国主義の象徴」と言うのは暴論だ。靖国神社には明治維新以来の内戦・外戦に殉じた英霊達が祀られている。「内戦に殉じた英霊」、分けても明治維新の英霊が、何で「日本軍国主義の象徴」になるものか。そりゃ英霊達の圧倒的多数は大東亜戦争に殉じたのであるが、「多数決の問題」と言うのならば、A級戦犯なんざあ、極少数(※1)であろうが。

 まあ、「反日を叫んでいないと”親日”と糾弾されかねない」と言う状況に半島があるのならば(※2)、半島の北半分や大陸と同様の「一党独裁下」並みに情状酌量されるべき、かも知れない。だが、左様な状況は半島マスコミ自身が作り出したものであり、半島マスコミ自身が打破すべきモノであろう。また、左様な状況を打破すらせずにドップリ漬かりきりと言うのも、半島マスコミの選択であろう。

 だが、上掲中央日報社説にも、一つだけ良い点がある。即ち、安倍首相は靖国参拝しないだけでは不十分だ」と判定している点。これ即ち「安倍首相が靖国参拝を中止しても日韓関係改善にはつながらない(※3)」であり、「安倍首相が靖国参拝しても日韓関係悪化にはつながらない」である。

 安倍首相は、日本国首相なのであるから、靖国神社に参拝すべきである。
 それは日本国首相の、自衛隊三軍最高指揮官の、責務である。


<注釈>

(※1) 14人÷246万6532柱 = 0.0000568% 

(※2) また、その公算大であるが 

(※3) 無論、「閣僚の靖国参拝は、当然ある」と言うのが前提だが。