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 やあ、我ながら逆説的なタイトルをつけたものだ。再三繰り返す通り、大陸は支那・中国共産党政権下のマスコミ・メディアなるものは、本質的に「党の口舌=中国共産党の宣伝機関」なのであるから、「京華時報」とてその例外ではない。その「党の口舌/中国共産党宣伝機関」に安倍首相の靖国参拝支持論を「見て」しまおうと言うのだから、夢か現か幻か、って処だ。

 でもねぇ、モノは考え様なんだぜぇ。

【京華時報】日本の政治屋の亡霊参拝は人に言えない企みがあるから
http://j.people.com.cn/94474/8353494.html

 日本が今後どのような外交政策、安全保障政策を選択し、どのような道を歩むのかが実に懸念される。もちろん、中国は亡霊を恐れない。亡霊のようにこそこそと悪行をはたらく日本に対処するに十分な実力と不動の精神力が中国にはある。(文:賈秀東・京華時報特約論説員。京華時報掲載)

日本の敗戦と降伏の日が近づくにつれて、日本の政治屋による靖国神社参拝に関する報道が相次いでいる。稲田朋美行革相は8月15日に靖国神社を参拝する可能性がある。下村博文文科相はすでに文科相として靖国神社を参拝した。安倍晋三首相は8月15日の「終戦記念日」に靖国神社を参拝するか否かについて言葉を濁し続けているが、国会議員多数が集団参拝することは間違いない。

靖国神社は東条英機らA級戦犯14人と、B級、C級戦犯2000人余りの位牌を祀っており、日本軍国主義の亡霊が消えてなくならないことの象徴であり、日本が侵略の歴史を歪曲し、隣国国民の感情を絶えず傷つけるための道具であり続けている。第2次大戦終結後、米国は冷戦に対処する必要上、日本軍国主義を徹底的に清算せず、日本が誤った歴史観を継続する原因を残した。現在の日本極右勢力は日本軍国主義が死の間際に残した子だ。彼らの「亡霊参拝」は本質的に日本の対外侵略の否認、日本の対外戦争の美化であり、かつての日本の「輝き」をいつの日か取り戻そうとする企てである。

近年、日本の右傾化の流れが一段と顕著になっている。1980-90年代には、閣僚が日本の侵略の歴史について極端な誤った発言をすれば、しばしば日本国内から強烈な反対の声が上がり、引責辞任することもあった。現在、日本国内ではますます政治屋の誤った発言を大きく取りざたしない政治環境になり、靖国参拝に反対する人が減り、右翼勢力の歴史問題での頑迷な姿勢に対する牽制が小さくなり、高官の誤った発言に対する日本政府の弁護も大胆不敵になり、正しい歴史観を持つ進歩的な政党や人が社会の隅に追いやられている。

今年春季には1989年以来最多となる168人の国会議員が「亡霊を参拝」した。麻生太郎副総理は「日本はナチスの憲法改正の手口に学んだらどうか」との発言で野党の激しい怒りを招いたが、簡単にその場をしのぐことができ、今にいたるもいかなる政治的代償も支払っていない。安倍氏は閣僚の「亡霊参拝」を繰り返し弁護し、靖国参拝は「当然のこと」「わが閣僚はどんな脅しにも屈しない」と公然と言明。最近も靖国参拝問題について「各閣僚は自らの信念に基づき判断をしてほしい」と再度公に表明し、閣僚の靖国参拝事実上黙認、支持した。

日本が「亡霊を参拝する」のは、心の中に亡霊のように人に言えない企みがあるからだ。安倍氏が今回自ら「亡霊参拝」に行こうと行くまいと、安倍氏本人と日本政府および右翼勢力の行為と意図について、アジア隣国と国際社会は強く警戒すべきだ。領土問題、歴史問題、憲法改正問題、および中国や韓国との関係における安倍政権の硬直化した、頑固な立場と結びつけて考えると、日本が今後どのような外交政策、安全保障政策を選択し、どのような道を歩むのかが実に懸念される。

もちろん、中国は亡霊を恐れない。亡霊のようにこそこそと悪行をはたらく日本に対処するに十分な実力と不動の精神力が中国にはある。もし引き続き誤った歴史観を堅持し、自他共に害することを続けるのなら、日本はますます自ら孤立し、経済的回復と政治的復活の可能性を自ら葬り去るだけだ。
(編集NA)

「人民網日本語版」2013年8月6日

要は「安倍首相が靖国参拝してもしなくても関係ない」と言ってるんだよね


 さて、如何だろうか。

 上掲記事タイトルにもある通り、靖国参拝の事を、「亡霊参拝」と呼ぶのが、少なくとも「中国語」であるらしい。「亡霊」ってのは、多分「英霊」に対する蔑称なんだろうな。

 それにしてもこの「亡霊」なるモノ、上掲記事を見る限り、何ともいじましいと言うか、何と言うか。上掲記事を読む限り「亡霊」と言うのは、①「こそこそと悪行をはたらく」 ②「人に言えない企みを持つ」 モノであるらしい。蔑称だから仕方がないと言えば仕方がないが、全く「英霊らしく」も無ければ、「戦死者の魂らしく」も無い、小悪魔と言うより小悪党ってかんじの「亡霊」なんだが、どう言う訳か「亡霊参拝」するとたちまちパワーアップして、

<1> 日本の対外侵略の否認

<2> 日本の対外戦争の美化

<3> かつての日本の「輝き」を取り戻す

などの御利益があるのだ、と言う。ああ、こうなってくれば、確かに「英霊らしい」な。特に上記<1>は、「英霊たちの名誉の問題」なのだから、英霊たちも手を貸してくれそうだ。

 とは言え、そんな御利益も、中国共産党政権の御威光の前には「形無し」なんだそうで、

1〉 もちろん、中国は亡霊を恐れない。
2〉亡霊のようにこそこそと悪行をはたらく日本に対処するに十分な実力と不動の精神力が中国にはある。
3〉もし引き続き誤った歴史観を堅持し、自他共に害することを続けるのなら、
4〉日本はますます自ら孤立し、経済的回復と政治的復活の可能性を自ら葬り去るだけだ。

と、勇ましい宣言 上記1〉~2〉と、日本及び安倍政権に対するありがたーい「忠告」上記3〉~4>で、上記記事を〆ている。

 実に「ありがたい忠告」だが、同時に、「余計なお世話」と言うモノだ。第一、上掲記事半ばあたりに、

5〉 安倍氏が今回自ら「亡霊参拝」に行こうと行くまいと、
6〉安倍氏本人と日本政府および右翼勢力の行為と意図について、アジア隣国と国際社会は強く警戒すべきだ。

等と宣言されているのだから、章題にもした通り、安倍首相が靖国参拝してもしなくても関係ない」=「日本政府にはなんにせよ警戒すべきだと言うのが上記記事の趣旨。言い換えれば、安倍首相が靖国参拝しても事態は悪化しないし、靖国参拝しなくても事態は好転しない」と、上記5〉~6〉は宣言している。

 ならば、こちらの好きなように、都合の良いようにするのが、正であろう。

 無論、私は血の赤い日本人だから、靖国神社の英霊たちを、A級だのC級だのの「戦犯」を含めて「亡霊」呼ばわりしたりはしないし、我が国のために命を落とした方々として、相応の敬意を払う。機会ある度に靖国神社にも参拝している。

 我が国の首相や防衛相は、靖国神社に参拝してこその首相、防衛省であると主張し続けているし、当ブログにも記事を書いた。それが英霊たちに対する国としての敬意の表し方であるし、それを怠る事は、「英霊達に続く者」=「新たな英霊」「次世代の英霊」を減らす愚行であり、亡国への道である、と主張している。

 「戦争の正当性」なんて、「棺を覆って百年後」にでもならなければ、判りはしないのだ。

 それに対して今そこにある戦争は、我が国のために生命をささげる英霊を必要とするし、そんな英霊が供給されなければ敗戦・亡国は必至。
 故に国家は、「戦争の正当性」に関わらず「国に命をささげた英霊達」を必要とし、最低限の敬意を英霊達に払う。これは私の知る限り、国民国家の通例であり、我が国ではそれを靖国神社が担っている。

 故に、日本国首相が靖国神社に参拝するのは、合衆国大統領がアーリントン墓地に墓参するのと同じぐらい当たり前の事。アーリントン墓地に「戦犯」が祀られていないのは、東京裁判のような「戦争裁判」にアメリカ合衆国がかけられたことが無いからに過ぎない。

 過去の「栄光」ではなく、我々の未来のために、日本国首相は靖国神社に参拝すべきなのである。