いただけるならば、クリックを⇒ https://www.blogmura.com/

 一世を風靡した流行が、時流だか時代だかで雲散霧消してしまう、と言うのは時たま起こる事だ。一例を挙げれば「60年安保」と呼ばれる処の「日米安保条約改定反対運動」を挙げる事が出来よう。「アンポ、ハンターイ」が流行語となり、国会議事堂をデモ隊が包囲する騒ぎとなり、「戦後最大の大衆運動」なんて評価もあるらしい。
 日米安保条約は10年ごとの延長であるから、「60年安保」の次は「70年安保」になる筈だが、「70年安保反対闘争」なんて「60年安保」に比べたら「何かあったのか?」と思うほど小規模で、80年安保、90年安保、2000年安保、10年安保となると、ウイキペディアに項目が無い位にマイナーな「活動」。やる人は何やらやっていたそうだが、「大衆運動」なんてお世辞にも言えない程度。60年安保に比べたら、「雲散霧消」と評するほかあるまい。
 まあ、「60年安保」なんてのは、半世紀以上昔の話だが、最近の事例でいえば「○○を占拠せよ!」と言うスローガンで有名な「Occupy運動」を挙げられそうだ。アメリカでこそ「我々は99%だ!」と称し、「ウオール街を占拠せよ!」と息巻いた「大衆運動」だが、日本では「その他大勢と合わせてのデモ行進」にしかならず(※1)、ガード下のホームレスの方が余程「占拠している」ぐらい盛り上がらなかった。米国はじめ諸外国でも「一部が暴徒化した」事件以来、とんと報じられない。今でもどこやらを「占拠している」のかも知れないが…「占拠する事」は手段であって、目的では無かろう。その目的が明確でない、どころか「目的って、何だ?」なんて間抜けな疑問を発しているようでは、99%がさらに100%になったところで「成功」する訳が無い。目的が無いのに、目的達成は不可能であり、空騒ぎも良いところ、なんだが(※2)、これまた「一時は一世を風靡した流行」と言い得よう。

 無論、「福島第一原発事故を経てなお原発推進論者」であり、「我が国で脱原発なぞ、愚挙にして暴挙」と主張し続けている私(ZERO)としては、「脱原発運動も、一世を風靡しながら雲散霧消する”大衆運動”の一つ」と主張したい/希望したい処であるが、「そう簡単ではなさそうだ」と言うのが、以下の報道である。


<注釈>

(※1) それも、Occupy運動が辛うじて掲げていた「格差是正」とは全く結びつかない(が、当時の流行ではあった)脱原発・反原発とつるんだ「流行追求・大衆迎合」路線ではな。 

(※2) また更にはそれ故に、必然的にOccupy運動は雲散霧消する他ないのだが 



原発再稼働、半数が不支持=時事世論調査
http://jp.wsj.com/article/SB10001424127887324195104578601300645924638.html

 時事通信の7月の世論調査で、原発の新しい規制基準の施行を踏まえ「新基準に適合する原発は再稼働させる」とした安倍内閣の方針への賛否を尋ねたところ、「支持しない」と答えた人は49.7%に上り、「支持する」の41.1%を上回った。規制強化にもかかわらず、再稼働に慎重論が根強いことが改めて浮き彫りとなった。

支持政党別にみると、「支持しない」は生活の党とみどりの風の支持層でいずれも100%。以下、社民党87.5%、共産党76.9%、みんなの党6
8.2%、民主党66.7%、公明党57.9%、日本維新の会57.1%と続いた。無党派層は52.0%。自民党支持層は「支持する」が56.4%で、「支持しない」35.5%を唯一、上回った。

[時事通信社]

日本の核武装に欠けているのは政治決断のみ
http://j.people.com.cn/94474/8325137.html
反原発デモに参加する日本の民衆(6月2日撮影)
 「新しい原発着工は国民の理解が得られない」。公明党の山口那津男代表は、原発再稼働に向けて明確なシグナルを発した安倍晋三首相に直ちに疑問を呈した。こうした状況の中で、日本政府が原発再稼働の方針をこれほどまでに堅持するのはなぜか?その答えはぞっとするものかもしれない。人民日報海外版が伝えた。

■半世紀にわたる核武装の夢

2011年の福島第1原発事故後、原子力をめぐる日本の世論は変化し、現在では原発50基中わずか2基しか稼働していない。だが民衆のパニックを前にしても、原発発展への日本の決意は揺らいでいないようだ。

今週、日本の電力会社4社が5原発、10基の再稼働を申請し、安倍首相から「再稼働の取り組みの推進に努力する」との前向きな反応を得た。東京電力の原発が引き起こした災禍の暗い影はまだ去らないのに、このように彼らは平然と過去のことのように扱っている。「安全と金とどちらが大切なのか?」と日本の民衆が詰問するのも無理はない。

ある日本メディアは以前、日本政府が3月に「国内で核兵器を製造する可能性」について内部報告をまとめていたことをスクープした。日本で核兵器の保有が論じられたのはこれが初めてではない。日本国内では核武装をわめき立てる声がずっとあるのだ。1957年に岸信介首相(当時)が核兵器の保有を排除しないと明確に表明して以降、2012年に核兵器削減を目指す国連決議案への署名を拒否するなど、半世紀余りにわたり、日本には核武装の夢を抱く者が常にいる。日本は原子力の軍事利用に向けて地ならしをしているとの分析がある。

「日本は一体何を狙っているのか?」と疑念を抱かざるを得ない。

原料面も技術面も問題なし

安倍氏が原発再稼働を急ぐ理由について、椙山女学園大学客員教授の西園寺一晃氏は「安倍氏の着眼点は主に経済にある。現段階で安倍政権の原子力政策と日本が核兵器を保有するかどうかを結びつける必要はない」と指摘。「原発を再稼働しなければ、石油火力発電が増加する。これは電力価格の上昇を招き、日本経済にとって大きな痛手となる」と分析した。

「日本はまだ原子力から離れられない」と、清華大学現代国際関係研究院の劉江永副院長も同意。「日本にとって原発は輸入に依存しない唯一のエネルギーであり、原発の停止はすでに日本経済と国民生活に大きな制約をもたらしている。また、クリーンエネルギーを発展させ、炭素排出量削減の国際的約束を果たすためにも原発が必要だ」と分析した。

原子力の平和利用が主権国家の権利であることは否定できない。だが報道によると、安倍氏は日本は1週間以内に核兵器を製造できると述べたことがある。これは驚愕だ。

専門家によると核兵器製造には少なくとも3つの大きな関門を突破する必要がある。つまり核分裂原料、製造技術、運搬手段だ。日本にとってこの3つの関門はすでに難題ではない。「核施設、核技術、核材料の面から見て、日本の核武装には何の障害もない」と劉氏は指摘。「日本は現在プルトニウム発電を採用している。これによって生じる核廃棄物を濃縮処理すれば、核兵器製造に使用できる可能性が大きくなる」と説明した。

日本が原発の発展を通じて核兵器の原料を大量に備蓄する可能性を排除するのは難しいと言わざるを得ない。日本の六ヶ所再処理工場では核兵器に転用可能なプルトニウムを年間9トン生産できる。これは核兵器2000発を製造するのに十分な量で、米国に劣らぬ能力だ。

条件は全て揃っているが、ただ実現への後押しを欠いている。劉氏は「核兵器を製造するかどうかは日本の戦略的決断次第だ。決断さえすれば、速やかに核兵器大国になることができると言える」と指摘した。日本の核兵器保有までの距離は、政治決断の距離に過ぎないのだ。

政治決断の扉はいつ押し開けられるのか?

「間もなく行なわれる参院選で安倍氏は何の心配もなく勝利できると言える。こうした状況の中、日本の原子力政策は間違いなくまた前進するだろう」と、中国社会科学院日本研究所外交研究室の呂耀東主任は予測する一方で、日本が原発の蓄積を他に転用するかどうかについては、まだわからないとした。

劉氏も「原発の推進と核保有を直接結びつけるにはまださらなる観察が必要だ」とする一方で、「日本の核保有に対して油断すべきではない。日本は政治的選択の扉を押し開けていないだけだ」と強調した。

朝鮮が核兵器の開発に力を入れ、日本も右傾化が進む中、西園寺氏も「『核武装論』勢力の影響力が増大する可能性は排除できない」と指摘した。

ただ確かなのは、日本は唯一の被爆国であり、核兵器の開発はひそかに進めるのであれ、公然と行なうのであれ、自らを一層損なうだけだということだ。

これについて劉氏は「日本の戦略的空間には限りがある。核戦争は言うまでもなく、原子力発電所が攻撃を受けただけでも核の災禍をもたらす。国際社会は現在みな核兵器保有を非難し、制裁を加えている。核兵器を保有した場合、国際的制裁は日本の将来の生存にとって大きな打撃となる」と述べた。

呂氏の指摘の通り「第2次大戦の教訓を汲み取り、アジア太平洋と世界の幸福の観点に立ち、原子力を平和利用することのみが日本にとって賢明な行動」なのだ。
(編集NA)

「人民網日本語版」2013年7月14日

即ち「脱原発運動扇動に失敗」か? 

  さて、如何だろうか。

 言うまでも無かろうが上掲①は「時事通信の世論調査」。原発再稼働について「不支持」が「支持」を僅かに上回り、支持政党別では自民党支持者以外では「不支持」が「支持」を上回ると言う。一方上掲②は、「日本に核武装の可能性があり、原発再稼働はその可能性を維持する」と言う人民日報記事。そこは「中国共産党の宣伝機関」だから、

②1〉 呂氏の指摘の通り
②2〉「第2次大戦の教訓を汲み取り、アジア太平洋と世界の幸福の観点に立ち、
②3〉 原子力を平和利用することのみが日本にとって賢明な行動」なのだ。

上掲記事②を締める。即ち上掲記事②の主眼(※1)は、日本核武装に対する牽制であり、その意味では上掲記事①との直接の相関は無い、筈だ。
 だが、上掲記事②は「反原発デモに参加する日本の民衆」の写真を掲げ、冒頭で「新しい原発着工は国民の理解が得られない」と言う公明党山口代表の言を引用し、「民衆のパニック」に関わらず原発擁護推進する自民党の「核武装疑惑」を煽る。参院選挙戦もたけなわのk頃だ。ある種のネガティブキャンペーンでもあったろう。

 上掲②記事から明白に言える事は、以下の通り。

【1】中国共産党政権にとって、日本の核武装は都合が悪い

【2】自民党の原発擁護・推進策は、日本核武装化の可能性を残す

 実に結構な事、と言うべきだろう。何をか、と言えば、「自民党の原発擁護・推進策」がであり、それが「中国共産党政権に、日本核武装化の可能性を感じさせるから」である。それこそは核抑止力の第一歩である。従って、自民党・安倍政権は、その原発擁護・推進策を堅持すべきである。以前からいくつか記事にした、価値観外交と同様に。

 と同時に、上記②3〉、「日本核武装を牽制」しながら、「日本の原子力平和利用」を肯定している。これ即ち「脱原発の否定」であり、「中国共産党政権ですら、日本の脱原発化を期待できなくなった」証左とみなせる。

 逆に言えば、「我が国で一世を風靡し、未だ燻る脱原発・反原発運動の背後に、中国共産党政権の影を感じさせる」とも言い得る。

 如何に、国民。

<注釈>

(※1) 少なくとも表面上の主眼