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私(ZERO)は、魂の自由を愛する者だ。民主主義が絶対善だなんて全く思わない(※1)ながらも、我が国が曲がりなりにも民主主義体制をとる事を歓迎し(※2)、先々回衆院選挙結果=「民主党圧勝による政権交代」なんて事態(※3)に、「我が国、我が国民に於ける民主主義体制そのもの」に絶望しかけながらも辛うじて「失望」レベルに踏みとどまった(※4)のも、魂の自由を愛するが故である。
その「魂の自由を愛する」私(ZERO)からすれば、社会観・社会認識共々人の世界観を支える双璧を為す歴史観・歴史認識なるモノは「人の数だけあるモノ(※5)」。
すなわち、歴史観・歴史認識なんてものは、私(ZERO)と貴方で、違って当然。似てれば偶然。一致したなら奇跡と言うべきほどのモノ。同じ日本人同士であってもそうなんだから、外国人とは歴史観・歴史認識が違っているのが当たり前。史実は一つでも、解釈は多様なのだから、国境を越えて「歴史観・歴史認識を共有する」なんてのは、普通ならば出来る訳が無い。
であると言うのに、「正しい歴史認識」などと吹聴し、「人の数だけある(と、私(ZERO)は信じ、主張する )歴史観・歴史認識】に、善悪正邪と言う非常に恣意的だが「絶対的(※6)」な評価基準が適用されるという場合、意図されていることは明らか・自明と言うものだ。
「何者かによって、特定の歴史観・歴史認識が、都合が良いから。」だから「正しい歴史認識」なる強制力・圧力を働かせようとする。
ある種思想の統制であり、「思考犯罪視」と言う言い方も出来るだろう。
無論「正しい歴史認識」と言う主張を「歴史学者」が自由に(※7)為せるのは、タイトルにもした通り、我が国に学問の自由、言論の自由があるおかげ。
そのお蔭で、大陸は支那、中国共産党政権のおめがねに適う「日本人歴史学者」も、いる所には居る訳だ。
<注釈>
(※3) 後から知ったんだが、民主・社民・さきがけの連立予定三党共通公約には、「安全保障」と言う項目が、無かった。安全保障に対し何の共通公約も掲げない「連立予定三党」を、政権与党の座に付けてしまったのが、先々回衆院選挙結果だ。
(※6) と言うよりは、「断定的・断言的」だな。断言・断定はするが、”絶対”と信じるのは、断言・断定する当人ばかりだ。(※7) 繰り返す。「自由に」。特定の「正しい歴史認識」を強制流布する事は、全体主義国家の良く為す処。「自由に」が重要肝心だ。
【人民網】山口大学副学長:侵略の歴史を認めない「第二の罪」
http://j.people.com.cn/94474/8305744.html
私は2009年に『私たちの戦争責任』という題名の本を刊行した。この本で私は、日本政府と日本人は日本が歴史上発動した侵略戦争に対して確かに責任があることを、日本の若者に向けて繰り返し強調した。過去の侵略戦争を否認、曲解してはならない。過去の戦争に対して直接の責任がない現代の日本の若者には、未来の戦争や紛争を阻止する責任がある。(文:纐纈厚・日本国立山口大学副学長、人民日報掲載)
ドイツの著名な作家ラルフ・ジョルダーノ(※1)は侵略戦争の歴史を正しく伝えない姿勢を「第二の罪」と呼んだ。侵略戦争の否定は歴史の見直しと否認につながる。正しい歴史認識を持たなければ、国家が将来再び侵略戦争を発動することに無関心になる。正しい歴史認識を持たなければ、健全で平和的な国家と社会を構築するすべがなく、非常に悪質な影響が生じる。
遺憾なことに、現在の日本の若者は近現代史を正しく理解する意欲が強くない。その反対に、過去の戦争に対して全く無関心な若者が増えている。私はずっと大学で日本近現代史を教えており、歴史事実を真剣に学び、歴史を教訓として平和な未来を築く原動力が日本の若者に欠落していることを身をもって感じている。原因は日本の近現代史教育が不十分なこと、それにもまして日本政府および一部の国家指導者が歴史を正しく認識する姿勢を欠いていることにある(※2)。侵略戦争の歴史事実を否定し、過去の戦争を「正義の戦」と見なし、「大東亜解放戦争」だったと強調する……侵略戦争肯定論者が日本では大手を振っている(※3)。
少し前に靖国神社を参拝した国会議員は、まさにこうした戦争観を持っている人たちだ。日本の若者はこうした参拝行為に少しも関心がなく、気にかけない。もし正しい歴史認識を持っていたら、こうした参拝行為に反対しに行くはずだ(※4)。
日本の若者に歴史の真相を理解させるため、私は『日中戦争とは何だったのか』を日本で刊行した。この本は後に中国大陸部と台湾でも出版された。この本で私は、日本が中国人民の抗日戦争によって敗北した事を正しく評価し、理解できなかったために、戦後の日本および日本人の極めて薄い対中意識がもたらされたと強調した。
私は研究の結果、日本が中国戦線に投じた兵力は、米国を相手とする太平洋戦線を遙かに上回ることを発見した。軍事費の額から見ても、中国戦線への投入の方が大きい。つまり日本の軍事力と国力は中国での抗日戦争でほぼ消耗され尽くしたのだ。歴史事実に基づき、私は先の戦争について「中国に敗北し、米国に降伏した」との最終結論にいたった(※5)。大変遺憾なことに、現在の日本の若者はこうした正しい歴史認識をまだ持っていない(※6)。日本は米国に負けたと誤解している。こうした誤った歴史認識に基づき、米国に過度に依存する日本の姿勢が形作られた。日本が米国と対等に付き合う方法を終始見いだせない原因はここにある(※7)。
正しい歴史認識を通じて、中国に代表されるアジア隣国との友好関係を構築することが、日本が失われる一方の信頼を取り戻し、アジアで一定の地位を勝ち取る唯一の手段だ。私は正しい歴史認識を持って初めて正しい未来を築くことができると、日本の若者に一貫して強調している(※8)。これは全ての国家と人々の友好的、平和的関係の構築に関わる重大な課題だ。(編集NA)
「人民網日本語版」2013年7月1日
<注釈>
(※1) 「著名な作家」と言うから、どんな作品があるのかと検索かけてみたが、問題の「第二の罪」しか引っかかって来ない。
(※2) 「日本政府および一部の国家指導者が歴史を正しく認識する姿勢を欠いている」事と、「日本の若者が近現代史を正しく理解する意欲が強くない」事が、どうして因果関係を以って結びつくんだ??それもこちらの方が「近現代教育が不十分な事」よりも影響力ある原因と言うのは、何故だ?「日本政府及び一部の国家指導者」が、何をどうすると、そんな事を引き起こせるのか???
(※3) 喜んで認める処であるが、私(ZERO)は大東亜戦争肯定論者だ。「大手を振っている」かどうかは定かではないが、斯様に自由に意見表明出来る事は、ありがたいと思っている。言い換えれば、自由主義社会では大概の学説は「大手を振るえる」筈であるし、これは人民網記事ではあるが、纐纈厚氏の説とて「日本で大手を振るえる」筈である。実際後述の通り、氏の著作は日本でも刊行されている。
(※4) これ即ち、後述の『日中戦争とは何だったのか』を刊行し、日本の若者に対する「正しい近現代史」教育に努め、山口大学副学長にまでなった纐纈厚氏の、敗北宣言だな。「こうした参拝行為に反対しに行くはずだ」は「参拝行為に反対に行く者が居なかった/極少数だった」の裏返しなのだから。(※5) なるほど、こりゃ支那様・中国共産党政権が、大歓迎する訳だ。「抗日戦勝利」は近年「社会主義市場経済による発展」がとみに怪しくなってきた中国共産党政権の、殆ど唯一最後の「存在理由」だから、な。(※6) 山口大学副学長と言うその地位には、その責任は、無いのかね?軽いのかね?(※7) 中国共産党は、我が国が米国に降伏した時点では、大陸を支配していませんが、何か?「中国に敗北し」の「中国」は、「中国国民党政府」ではないのかね。それが「中国共産党政府」だとする、根拠は何??戦後になってから大陸を占領したって、そりゃ火事場泥棒であって「勝利者」ではあるまいに。
(※8) で、そいつに失敗し続けている訳だな。山口大学副学長と言う、結構そうな地位は得たものの。