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 トルコやサウジアラビアに対する我が国からの原発輸出推進については、先日取り上げた朝日新聞社説も批判していた( 若しくは慎重さを求めていた。)が、その批判理由が「核不拡散の為」としか言わない/言えない情け無さに「脱原発運動の黄昏」を見た(※1)。先行記事の論旨を要約するならば、以下の通りである。

 (1) トルコやサウジアラビアには、韓国もフランスも(※2)原発を売り込んでいる。従って、我が国が原発輸出を止めたとしても、トルコもサウジアラビアも他の国から原発を買うだけであり、核不拡散には何ら寄与しない(※3)。

 (2) 当該朝日社説が主張するのが「日本製原発輸出阻止」ではなく「日本製原発輸出の際には、核不拡散のための条件を付けるべきだ。」であるとしたら(※4)、朝日新聞自身が「日本の原発輸出を容認した」と言う事である。もしそうならば、従来の一連の「脱原発」社説との齟齬を、説明すべきである。

 (3) 何れにせよ、「日本の原発輸出」に対する批判根拠が「核不拡散」でしかなくなった(※5)点に、「脱原発運動の終焉=黄昏」を感じる。

 「福島原発事故を経てなお原発推進論者」であり、それ以上に「脱原発原理主義糾弾者」である私(Zero)にしてみれば、正直「ザマァミロ」と言う処であるが、脱原発原理主義筆頭・東京新聞の、同じく我が国原発輸出に対する批難はと言うと・・・


<注釈>



(※2) 当該朝日新聞社説が認める通り。尚且つ当該社説に依れば、「核不拡散のための厳しい条件」は付けていない様だ。 

(※3) 「我が国が核拡散に寄与してしまう事」だけは止められる。ソリャ、何にもしないのと同じことだが。 

(※4) タイトルや、この社説だけからは、そう読める。が、以前から連綿と続く朝日新聞の「脱原発」社説を想起すると、とてもそうは読めない。 

(※5) 「危険だぁぁ!」とか、「放射能を考えると環境に悪影響が大きい!」とか「廃炉や事故の際の補償を考えるとコストが高い!」とか「将来に対する負の遺産だ!」とか、種々あった筈の「脱原発/反原発」理由ではなく。 



【東京社説】原発政策 国内外で使い分けるな
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2013051102000144.html
2013年5月11日 (〈〉内はZeroの付けたパラグラフ番号)

〈1〉 安倍晋三首相がトルコに原発を売り込んだ。福島第一原発事故の詳細な検証が終わっていないのに「原子力安全への貢献は日本の責務」と言い切った。原発政策の国内外での使い分けは慎むべきだ。

〈2〉 首相はサウジアラビアやトルコなど中東諸国を歴訪した。サウジでは原発技術を平和利用に限る原子力協定締結の検討で合意し、アラブ首長国連邦とは協定に署名した。トルコでは三菱重工業と仏アレバとの企業連合による原発建設に優先交渉権が与えられ、受注が固まった。

〈3〉 原発四基、合計出力四百五十万キロワット。二〇二三年に1号機の運転開始を目指す総事業費約二兆円の巨大プロジェクトだ。安倍政権は大胆な金融政策や民間投資を促す成長戦略など、「三本の矢」を掲げた。成長戦略は海外需要の取り込みにも重きを置いている。

〈4〉 原発も含むインフラ輸出を柱に据えているが、首相が語る原発輸出政策は国の内と外とを使い分けていると受けとめざるを得ない。

〈5〉 首相は同じ地震国のトルコで「日本の最高水準の技術、過酷な事故を経験した中での安全性に期待を寄せられた」と語ったが、原発機器損傷や水素爆発の原因が地震か津波なのかは不明のままだ。

〈6〉 福島の事故原因の本格調査は東日本大震災から二年以上もたった今月に始まったばかり。それどころか、貯水池から大量の放射能汚染水が漏れ出し、今なお巨大な原発システムを制御できないぶざまな姿をさらけ出している。

〈7〉 首相の歴訪には三菱重工業や、輸出を資金面で後押しする国際協力銀行のトップも同行した。じり貧にある原発の国内新増設を、輸出で肩代わりしようとする経済優先の姿勢を映し出している。

〈8〉 「代替エネルギーを確実にし、原発依存度を減らしていく」。首相は国民の原発批判に押されてか、昨年の自民党総裁選ではこう語ったが、今や口にしなくなり、「事故の教訓を世界と共有する」などと目を海外に向け始めた。

〈9〉 脱原発路線を走るドイツや日本が原子力と距離を置けば生産能力の維持が困難になる。代わって続々と新規建設を進める中国やロシアなどに技術的主導権を奪われ、核不拡散に影響を及ぼしかねないという米国の安全保障政策への配慮かもしれない。

〈10〉 福島では十六万もの人たちが故郷を追われた。原発は人間の生存さえ脅かす危険な装置でもある。原発政策を使い分けして自国の繁栄を追い求めるときではない。

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「国内外で使い分けるな」のタイトル以外意味不明


 さて如何だろうか。

 要約するほども無い、と言うより「タイトルで言って居る以外の事は殆ど言っていないか、意味不明な社説」である。一応要約するならば、以下の様になろう。(〈〉内はZeroの付けたパラグラフ番号 

 ① 安倍政権は、その原発政策を国内外で使い分けるな。 【タイトル、〈1〉、〈4〉】

 ② 安部政権は海外への原発輸出を積極的に実施している。【<2>、<3>、<4>、<7>】

 ③ 原発は、福島の事故が示すように、人間の生存さえ脅かす危険な装置でもある。【<5>、<6>、<10>】

 ④ 従って、安倍政権は原発を輸出するな。【<10>】

 当該社説の〆の一文は、

1> 原発政策を使い分けして自国の繁栄を追い求めるときではない。

とあるから、明らかな「原発輸出批判」であり、その点、先行記事に取り上げた朝日社説よりも遥かに明白。「首尾一貫脱原発原理主義」とタイトルにもした所以だ。

 であるならば、当該社説タイトルにも在る上記①「国内外で使い分けるなの意味は、国外への原発輸出政策を、国内に合わせて禁じろ。」である筈だ。それ即ち東京新聞の認識では、「安倍政権は、国内では脱原発政策を実施している。と言う事になる。

 Reeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeealy!???????

 確かに、我が国内で50基以上もある原発の内、現在稼働中なのは大飯原発のみであり、限りなく「原発稼働ゼロ」に近い。その原発が稼働停止しているのは、技術的問題では全くなく、安全審査だのなんだのの政治的問題であるから、「政治的決断を以って原発再稼働させてはいない。」と言う点では、「現・安部政権は( 私(Zero)の様な )原発推進政策を実施していない」とは言えるだろう。

 だが、安倍政権は「国内では脱原発政策を実施している。」なぞと、言えるだろうか。

2> 「代替エネルギーを確実にし、原発依存度を減らしていく」。
3> 首相は国民の原発批判に押されてか、昨年の自民党総裁選ではこう語ったが、
4> 今や口にしなくなり、「事故の教訓を世界と共有する」などと目を海外に向け始めた。

と、東京新聞自身が上掲社説で認めているではないか。
 さらに付け加えるならば、上記4>「今や口にしなくなり「口にしなくなって」から後に、昨年末の衆院選挙があり、自民党が政権与党に返り咲き、安倍政権が発足している(※1)。さらに付け加えるならば、その衆院選挙で「脱原発」を公言した党は、「尽く」と言って良いぐらいに敗退している。他方自民党は、少なくとも原発容認の立場を打ち出し(※2)、そればかりが要因ではないだろうが、昨年末衆院選挙に大勝している。

 言い換えるならば、現・安部政権は「国内では脱原発政策を実施」なぞしていないその事は、上記4>の通り東京新聞自身が認識して居る筈だ。さもなければ、安倍政権発足以前、先の衆院選挙以前の「昨年の自民党総裁選挙の発言」なんて古証文・上記2>なんて、引用する筈がない。そんな古証文を引用せざるを得ない時点で、「安倍政権は、国内では脱原発政策を実施している。」と言う主張は崩壊している。


 それを、あくまでも「脱原発」のために安倍政権は、国内では脱原発政策を実施している。と無理矢理認識…じゃないな、仮定・仮想し、「原発政策を国内外で一致させよ」と尤もらしい理屈で「原発輸出も止めろ」と主張出来てしまうのだから。全く、脱原発原理主義の原理主義ぶりを見せつけると共に、原理主義が如何に「理性と知性」とは相容れない、思考停止の元凶たり得るかを、モノの美事に具現化している。ダブルスタンダードの究極形・ダブルシンク(二重思考)の恐ろしさだな。

 さはさりながら、私(Zero)は、当該東京新聞社説のタイトル「原発政策 国内外で使い分けるな」に、実は諸手を挙げて賛成なのである。

 「原発政策 国内外で使い分けるな」

 然り。海外には積極的に原発輸出すると共に、国内では原発再稼働し、以って電力の安定供給をこそ図る可きなのである。

 再三繰り返す通り、エネルギー政策の目的は、見通せる将来にわたって「電力の安定供給」だ。而して、「原発推進」も「脱原発」も「再生可能な自然エネルギー普及策」も、「原発政策」自身さえも、「エネルギー政策の一環」でしかない。

 言い換えれば、「脱原発」も「再生可能な自然エネルギー普及」も、「電力の安定供給」に一定の目途が無い限り、少なくとも「一定の目途を阻害しない」と確信できない限り、エネルギー政策として採用するに値しない。

 「脱原発」は、「原発推進」と同様「エネルギー政策」の一手段であり、絶対に、目的ではない!!!!・・・と、脱原発原理主義者に説いても無駄か。

 確かに東京新聞は、脱原発原理主義で首尾一貫しているのだが、「安倍政権は、国内では脱原発政策を実施している。」と強弁しないと原発輸出を批難できない様では、此処にも「脱原発運動の黄昏(※3)」が見えるぞ。


<注釈>


(※1) これは、少なくとも大規模な不正は「いまだ発覚していない=「ない」と期待できる」衆院選挙結果であり、これ以上を求めるのは難しいぐらいの「民意の反映」だ。
 「民意が常に正しい判断をする」なんて、期待すべきではないのは、I Agreeだが。 

(※2) 個々の候補については、「脱原発」を公言する候補もあった様だから、「党是」と言うほど強固なものでは無かったようだが。 

(※3) ソリャ私(Zero)は、繰り返す通り「福島原発事故を経てなお原発推進論者」だから、「脱原発運動」には「黄昏」を見たくて仕方が無い、と言うのは事実だ。また、そんな「黄昏さがし」=あら捜しも、している。