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当ブログで「三アカ新聞」と言えば、朝日新聞+沖縄二紙(琉球新報&沖縄タイムス)であるが、「脱原発原理主義」と言うと真っ先に東京新聞が上がり、朝日、毎日と続くところだ。沖縄電力は日本で唯一原発を擁しない電力会社であるが、沖縄本島の電力需要が原発一カ所で賄える程度とあってはそれもうべなる可し。従って、沖縄二紙の「脱原発論」は、以下の何れかの理由に依るものと推定できる。
①朝日新聞に続いた
②為にする「脱原発」である(※1)
③日本の脱原発は中国様の利益だ
特に沖縄の場合地理的条件から「脱原発」を説くべき相手は、大陸は支那である可きだが、そんな気配もないのは「上記③が沖縄二紙脱原発論の理由だから」と、示唆している。まあ、大陸や半島の原発及び原発大躍進について隻言半句もあるかどうかというのは、朝日、東京、毎日でも同じだが。
さる3月11日は、東日本大震災の「三回忌」であった事もあり、各紙が社説で「福島原発事故を忘れるな!脱原発を目指せ!!」と主張して居る。東京と朝日の社説については既に取り上げたんだから、毎日を取り上げないのは片手落ちと言うモノだろう。
言っている事は殆ど変らないんで、つまらないと言えばつまらないんだがね。.
<注釈>
(※1) 脱原発原理主義においては、「脱原発の自己目的化」は当然であり、必然でもあるのだが。
【毎日社説】震災から2年―原発と社会 事故が再出発の起点だlhttp://mainichi.jp/opinion/news/20130311k0000m070114000c.html
毎日新聞 2013年03月11日 02時30分
東京電力福島第1原発で、約3500人の下請け社員が、放射能の脅威にさらされながら作業を続ける。
あの事故から2年。水素爆発を起こした3号機の上層は、ひしゃげた鉄骨がむき出しのままだ。放射線量も高い。4号機脇の土手は津波でえぐられ、海岸側には横転したトラックが放置されていた。廃炉まで40年も続くとされる収束作業の出口は、まったくうかがえない。
安倍晋三首相は、民主党政権が掲げた「2030年代に原発ゼロ」という目標を見直すという。経済界を中心に早期の原発稼働を望む声も強まる。しかし、「原発ゼロ」からの後退は認められない。再出発する原子力政策の起点は、あの事故であることを忘れてはならない。 未来にツケを回すな 福島第1原発では、溶け落ちた核燃料を冷やすための注水が続く。建屋からは放射能に汚染された水が毎時30?40トンも排出される。汚染水は敷地内のタンクに貯蔵される。東電はタンク増設を計画しているが、それもあと2年あまりで満杯になる。
水素爆発で建屋の上部が吹き飛んだ4号機は、1500本余りの使用済み核燃料を入れたプールが露出している。プールから燃料を取り出す作業は11月にも始まるが、敷地内に一時貯蔵した後の処分方法は決まっていない。
こうした問題は、原発が抱える矛盾そのものだ。原発を稼働させるのであれば、放射性廃棄物の処分問題は避けて通れないはずだ。
安倍政権は、使用済み核燃料の再処理を国策として継続するという。しかし、再処理して原発の燃料にする「核燃料サイクル」は行き詰まっている。
日本原燃が青森県六ケ所村に建設中の再処理工場は、10月に完成予定だが、トラブル続きで工期は19回も延期されてきた。再処理で取り出したプルトニウムを使うはずの高速増殖原型炉「もんじゅ」(福井県敦賀市)も、トラブルで止まっている。技術や安全性、コストを考えれば核燃サイクルには幕を引くべきだ。
高レベル放射性廃棄物は、地下数百メートルの安定した地層に埋める考えだ。しかし、放射能が十分に下がるまでの数万年間、地層の安定が保たれるかは分からない。原子力発電環境整備機構が最終処分地を公募しているが、応じた自治体はない。
その結果、全国の原発には行き場のない使用済み核燃料がたまり続けている。未来にこれ以上「核のごみ」というツケを回さないためにも、できるだけ速やかな「脱原発依存」を目指すべきだ。
ところが、安倍政権は原子力・エネルギー政策を3.11以前に戻そうとしているかのようだ。象徴的なのが原発にまつわる審議会の人選だ。
経済産業相の諮問機関である総合資源エネルギー調査会総合部会は、原発を含む中長期のエネルギー政策について審議する。民主党政権時代に同じ役割を担った同調査会基本問題委員会では、24人の委員のうち7人が明確な脱原発派だった。ところが今回は委員が15人に絞られ、脱原発派は2人に減った。原発の立地県の知事も新たに加わった。
◇被災地の声を生かせ
前政権時代の委員会は、33回にわたって激しい議論を交わした。その様子は公開され、国民の関心を高めた。結論の一本化はできなかったが、「国民的議論」も踏まえて定めたのが「2030年代に原発稼働ゼロ」という目標だったはずだ。
政権交代したとはいえ、この目標をあっさりほごにしたのでは、国民の理解は得られまい。
地球温暖化対策など環境関連の政策を調査審議する環境相の諮問機関「中央環境審議会」でも、委員に内定していた脱原発派の3人が、政権交代後に就任を取り消された。
脱原発派を外した審議会で、政策変更のお墨付きを得ようというのであれば、大きな考え違いだ。
首相は施政方針演説で、「原子力規制委員会の下で、新たな安全文化を創り上げ、安全が確認された原発は再稼働する」と明言した。
電力の供給力確保や経済性の面から当面、再稼働を認めるにしても安全の確保は大前提だ。原子力規制委員会は、7月までに新たな安全基準を策定する。既存の原発施設にも最新基準の適用を義務づける「バックフィット制度」を盛り込むなど厳しい内容になる。
規制委が進めている原発敷地内の活断層調査では、推進派から評価や運営方法に批判も出ているが、規制委に高い独立性を求めたのは、野党だった自民党だ。規制の厳しさを嫌い、安全性の判断に干渉することがあってはならない。
エネルギーの将来像をめぐって安倍首相は「3年間に代替エネルギーにイノベーションを起こすべく国家支援を投入する」と述べている。大震災の被災地では、再生可能エネルギーを復興の手がかりにしようとする取り組みが生まれている。そうした成果も尊重しながら国民本位の原子力・エネルギー政策をまとめるよう求めたい。
少なくとも「発狂した国民」にエネルギー政策を委ねられない
さぁて、如何だろうか。
大筋は先行する朝日や東京新聞の主張と同工異曲。だから、大筋の方は先行記事と同じ批判となり、重複は無駄だ。勢い今回の毎日社説では、細かい処を「斬る」事になる。
1〉 廃炉まで40年も続くとされる収束作業の出口は、まったくうかがえない。
事故発生から数えてもまだ2年でしかないのだから、「40年も続くとされる収束作業」に対し「出口は、まったくうかがえない。」のは、当たり前。一体、何を望んで/期待しているんだ。
2〉 日本原燃が青森県六ケ所村に建設中の再処理工場は、10月に完成予定だが、
3〉トラブル続きで工期は19回も延期されてきた。
4〉再処理で取り出したプルトニウムを使うはずの高速増殖原型炉「もんじゅ」(福井県敦賀市)も、
5〉トラブルで止まっている。
6〉技術や安全性、コストを考えれば核燃サイクルには幕を引くべきだ。
「原発憎けりゃ再処理まで憎い」のだろうが・・・まず上記2〉~3〉で言えば、「トラブル続きで19回延期」であろうとも、完成は完成だろう。それは「続いたトラブルがまがりなりにも解決した」と言う事。
大体、「トラブル」や「トラブル続き」程度で技術開発を放棄するような敗北主義で、一体どれほどの新技術が開発出来ようか。
今追及している核燃料サイクル技術は、ついに実用化しないかも知れない。だが、捨てなければならない「核のゴミ」を減らせる技術であり、未だ発想すらも無いような「魔法の技術」を唯待つよりは、遥かに建設的だ。ソリャ核燃料技術開発にコストはかかろうさ。これに対して「タダ”魔法の技術”を待つ」方はコストはかからないが、貢献も無い。
「技術開発に徹底的に失敗する」のも、「徹底的」であれば、一つの貢献だ。
7〉 全国の原発には行き場のない使用済み核燃料がたまり続けている。
8〉 未来にこれ以上「核のごみ」というツケを回さないためにも、できるだけ速やかな「脱原発依存」を目指すべきだ。
ああ、実に俗耳に入りやすい論理だな。だが、大穴がある。「核燃料サイクル技術が確立していない」のは福島原発事故以前から変わって居ない。従って上記7〉「使用済み核燃料がたまり続けている。」のも福島原発事故以前から不変だ。であるならば、上記8〉「未来にこれ以上「核のごみ」というツケを回さないため」の「脱原発依存」は、福島原発事故以前から主張し続けていなければ、筋が通らない。
言い換えれば、「核のゴミを理由に脱原発依存を言う資格は、福島原発事故以前から脱原発依存を主張して居た者にしかない。」。これが個人ならば「知らなかっ」「気づかなかった」でもある程度許されよう。だが、新聞社に許される訳が無い。
9〉 前政権時代の委員会は、33回にわたって激しい議論を交わした。その様子は公開され、国民の関心を高めた。
10〉 結論の一本化はできなかったが、
11〉 「国民的議論」も踏まえて定めたのが「2030年代に原発稼働ゼロ」という目標だったはずだ。
12〉 政権交代したとはいえ、この目標をあっさりほごにしたのでは、国民の理解は得られまい。
…言っている事、書いている事が判って居るんだろうか。安倍総裁率いる自民党は、前政権・民主党の定めた「2030年代に原発稼働ゼロという目標」を否定して先の衆院選挙を戦い、勝って、政権交代を果たした。一方「2030年代に原発稼働ゼロという目標」を打ち出した民主党は惨敗し、それ以上に過激な「脱原発」を掲げた政党も数多あったが殆どが惨敗している。かかる衆院選挙結果を受けてなお上記11〉~12〉なる主張を為すのは、ある意味「民主主義の否定」だ。
さすがは脱原発原理主義。神聖にして犯すべからざる「脱原発」の前には、民主主義も衆院選挙結果も平伏すべきモノ、らしい。
無論、民主主義をいかに実現するか、と言う問題はある。「衆院選挙結果としての政権交代」は間接民主主義の実践だし、世論調査やパブ・コメなんてのは直接民主主義だ。だが民主主義が「国民による統治・決定」である以上、少なくとも投票なりコメントなりする瞬間の大半の国民が、真面に真面目に考え判断する事が大前提だ。
世論調査・パブコメに答えるときと、投票するときと、どちらが国民は真面目に真面に考え、決定するかは、殆ど自明ではないか。
13〉国民本位の原子力・エネルギー政策をまとめるよう求めたい。
などと尤もらしく上掲毎日社説は〆ているが、「電力の安定供給」に目途が無ければ、そもそも「エネルギー政策」と呼ぶにも値せず、国民本位」へったくれもないぞ。