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日中再戦なるか、あるいは新たな日中戦争は回避しうるか、現状においてはいずれとも断言できるものではない。
むろん我が国に「憲法9条」がある限り、我が国から仕掛ける日中戦争は、憲法上大いに阻害される。しかしながら、憲法は憲法でしかなく、改正も、廃棄も、あるいは無視ないし停止さえも、不可能と考えるべきものではない。況や、中国側から我が国に戦争を仕掛けるのに、憲法上の制約なぞありはしない。従って、少なくとも憲法や憲法9条は、「日中再戦争はあり得ない」とする根拠足り得ない。まあ、当たり前の話だ。
「日中間の経済的依存度」を日中再戦不可能の理由とする者もありそうだが、笑止と言うべきだ。我が国は鉄鋼の材料を米国の屑鉄に依存し、それ以上に多くの動力源とエネルギー源をABCD包囲網が握る原油に依存していたが故に窮地に立たされ、大東亜戦争(太平洋戦争)開戦を余儀なくされた。すなわち、経済的依存は戦争回避に働くとは限らない。況や中国が日中開戦を決意した際に、日本併呑まで構想しているならば、「経済的依存」の高さはむしろ戦争誘因となろう。
国連や外交が戦争回避の手段となることもあるのは事実だが、常に有効とは限らないからこそ、この世は戦争と紛争に満ちている。況や中国は、モンゴルやチベットを併呑したまま、台湾から尖閣諸島まで「核心的利益」と称して侵略宣言を出している国。なおかつ国連で拒否権を有する常任理事国だ。国連の有効性はきわめて限られるし、外交とて常に成功すると考えるべきではない。いずれにせよ、日中再戦争の可能性はあるし、それに備えるべきである。
ならば、その日中再戦争、「21世紀の日中戦争」は、如何なる形を取り、それに我が国は如何に備えるべきだろうか。本稿は小説・仮想戦記(?)の形を取り、日中再戦争を考察する。
次なる一戦
日中戦争勃発するとき、その発端、火蓋を切ることになるのは何処だろうか。中国「漁船」が体当たり攻撃を仕掛けて「核心的利益」と称し始めた尖閣諸島あるいは沖縄であろうか。元寇の昔に真っ先に血祭りに上げられた対馬であろうか。或いは全く別の形態を取るのであろうか。
可能性としては何れもありうるだろうし、さらに可能性を考察し、有りとあらゆる事態に備えようとするのが国防の基本でもある。治に居て乱を忘れず、百年兵を養うもただ一日が為。なれど、「日中開戦の形」を決めるものは、開戦に至る理由が最も支配的であろう事から、「開戦へ至る経緯」を考察することで、より蓋然性の高い「開戦シナリオ」は描けるに違いない。尤も、先述の通り、この「開戦シナリオ」に拘泥するのは危険であり、そのほかの開戦形態、或いは戦争形態にも、備えは万全を尽くすべきではある。
その上で、なにが起これば日中開戦と言う状態に至るだろうか。
一つには最もオーソドックスな中国による武力侵攻である。先述の通り中国には「憲法9条」などと言う制約条件はないし、中国共産党政権がその領土拡大・影響力拡大に武力及び武力恫喝を大いに実践してきたことは、チベット、モンゴルの併合から南シナ海、尖閣諸島、沖縄に至るまであまたの実績がある。従って、このケースによる日中開戦は、「最も蓋然性が高い」か否かは議論の余地があるものの、蓋然性が(少なくとも)比較的高いのはまず間違いないところであろう。
もう一つには上記の裏返しともいうべき「日本側からの武力攻撃」という可能性が考えられる。無論このケースには「憲法9条」という問題があるのだが、先述の通り「我が国の自存自衛のためには、現行憲法とて停止もしくは無視されるべき」と考える私としては、この選択肢は放棄すべきでも無視すべきでもない、と考える。ただし、その蓋然性が低いことは否めない。「軍の突出」とて、開戦に必要な物理的準備の前には文民統制を離れるのは困難であろうし、文民統制下での、国を挙げての「憲法9条を無視しての開戦」は、前・民主党政権ならずとも、想像することすら難しい。
逆に言えば、想像を絶するほどの事態であれば、我が国から日中開戦の火蓋を切るであろうし、切るべきだ、と主張する。我が国危急存亡の瀬戸際という「危機意識の共有」は、そんな「想像を絶する事態」=日本からの先制攻撃を、可能としよう。かつて、日露戦争がそうであったように。
第3のケースとして「武力行使によらない「新たな戦争形態」を考えるべきだろう。具体的には「サイバー戦争」と呼ばれる形態などはその一つだ。コンピューターが情報技術ITとして普及し、それに対するサイバー攻撃が実社会に影響を及ぼしうる今日、「サイバー攻撃による開戦」と言うのは、十分想定しうる。無論、この「新しい形の戦争」の一つの特徴は、開戦の手続きだとか、宣戦布告だとか、さらには開戦第一撃の攻撃すら、不明瞭・不明確としうることである。サイバー戦争を仕掛ける側からすると、攻撃目標と定めた国にサイバー攻撃を仕掛け、効果が上がれば自国からの攻撃と認めて、改めて開戦理由となった要求を宣する事が出来る。思うほどにサイバー攻撃の効果が上がらなければ、名乗りを上げず、「サイバー攻撃首謀国」と追求されたとしても、知らぬ存ぜぬとシラを切れる。あるいは、サイバー攻撃によって生じた混乱を突いて、物理的・従来型の武力攻撃を仕掛ける、「第1、第2の開戦との併用」も想定しうる。実際、ロシアのチェチェン侵攻にはサイバー攻撃が併用されたのだから、「サイバー戦争」はSFの話ではなく、現実の話だ。
さらには、第1の中国軍武力攻撃による開戦にせよ、第2の我が自衛隊による攻撃から始まる開戦にせよ、サイバー攻撃・サイバー戦争の併用は、あると考えるべきであって、従来型・物理的な武力攻撃一辺倒と考えるべきではないだろう。そう考えるべき理由は、ひとえに「サイバー攻撃が秘匿性・隠匿性に優れ、且つその効果に期待しうるから、であるが。
また、戦争目的が我が国の一時的経済麻痺ぐらいならば「サイバー戦争」で達成可能であろうが、尖閣諸島なり沖縄なりの占領もしくは割譲や日本併呑を「サイバー戦争」で達成できる可能性は低い。すなわち、一定以上の戦争目的を達成するには、サイバー攻撃のみではなく、現実の武力による侵攻・介入が不可欠であろう。
となると、開戦の様相は以下のようになろう。
第一幕 開戦
其れは、パソコントラブルから始まった。極端に動作が遅くなったかと思ったら、膨大な通信量を外部に発信し始め、ウイルス対策ソフトやOSの修復などの対策も虚しく、やがてOSすら起動しなくなる。そんなパソコントラブルはさして珍しいものではないが、其れが日本中のパソコンで、時期を同じくして、なおかつほぼ日本限定で起きるとなると、これは尋常ではない。日本に対するサイバー攻撃と、推定まではし、宣言もした日本政府であるが、その対策となると、民間ウイルス対策ソフト会社と自衛隊電子情報隊にほとんど丸投げの状態。しかし、両者とも其れどころではない事態に陥っていた。民間ウイルス対策ソフト会社は、日本に対するサイバー攻撃と時期を同じくしてサイバー攻撃にさらされていた。こちらは日本の会社に限定されて居らず、シマンテック社もカスペルスキー研究所も攻撃され、外部との通信にも業務にも支障を来していた。自衛隊電子情報隊の方はもっと深刻だった。外部につながっている回線からのサイバー攻撃だけでも十分厄介だったが、自衛隊独自の情報ネットワークまで攻撃されている兆候があり、その防戦に注力せざるを得なかった。このネットワーク上の戦いに敗れると、情報伝達は昔ながらの音声通話か、下手すると伝令にまで後退せざるを得ない。そうなってはただでさえ数的劣勢に立たされた上「専守防衛」政策により戦闘地域への集中さえままならない自衛隊はさらに苦しい立場に陥る。電子情報隊はそんな悪夢を防ぐべく、悪戦苦闘していた。「何者かによる日本に対するサイバー攻撃」が社会インフラや経済活動に影響し始めた頃、電子情報隊の奮闘もあって未だ機能を保っていた空自レーダーサイト群が、無数の「国籍不明機」を映し出した。西側から一路我が国土を目指す輝点を見ながら、空自士官は呟いた。「奴らが来た。」彼は正しかった。レーダーサイト群が捕らえたのは、人民解放空軍の対日第1撃を担う長距離爆撃機群だった。
日中開戦に関する考察
パソコンの調子が悪くなる、と言うのは、パソコンを使っている人ならば誰しも経験したことがあろう。だが、日本中のパソコンがほぼ同時期に、一斉に「調子が悪く」なったら。これは偶然や自然現象では説明しがたい。何らかの作為が働いて、一定のトリガーで活発化する悪質なウイルスが仕掛けられたものと考えるのが自然である。いわゆるサーバーテロ・サイバー攻撃で、被害範囲が我が国にほぼ限定されるならば、我が国に対するサイバー攻撃/サイバーテロと断じるべきだろう。「被害範囲を我が国に限定」する方法としては、我が国限定で普及しているソフトをトリガーに仕込む事で可能となろう。それでも完全には限定し難そうだが、サイバー攻撃を仕掛ける側が、そんなに「被害範囲の限定」に留意するものとは思われない。それにその「被害範囲の曖昧さ」は、サイバー攻撃者の特定を、さらに難しくする。
左様、サイバー攻撃の最大の利点は、サイバー攻撃者が誰か、特定個人なのか、秘密結社なのか、あるいは国家なのか、容易には特定されないことである。この意味するところは、サイバー攻撃による先制攻撃は、宣戦布告なしで実施される公算大と言うことである。
であるならば、我が国に武力攻撃を掛けてでも影響力を行使しようと言う中国共産党政権が、サイバー攻撃をもって開戦第一撃ないし「開戦への瀬踏み・探り撃ち」としない道理はない。そうでなくとも、「宣伝戦」や「法戦」を標榜する人民解放軍なのである。その人民解放軍が、対日攻撃にサイバー攻撃を仕掛けない理由があるとすれば、「奇襲効果が薄れる事」ぐらいしか想像できないし、サイバー攻撃によってその奇襲効果が高められる可能性もあるのだから、その理由とて怪しくなろう。
上記「第一幕」に出るであろう最大の異論は、「人民解放軍の第一撃が有人機によるか?」という点だろう。即ち「奇襲効果という点でも弾道ミサイルによる第一撃の方が効果的であり、可能性が高いのではないか。」
奇襲効果という点で弾道ミサイル攻撃の優位は確かだろう。事実、大量の弾道ミサイルを人民解放軍は保有している。固定目標を攻撃するのならば、中国が開発中と噂も高いが技術的成立性に疑義があり、大量配備はそれ以上に難しい「対艦弾道ミサイル」すら必要ない。
だが、中国本土での弾道ミサイル大量発射は、間違いなく即座に米軍の監視網にかかる。其れは、米中全面核戦争の引き金ともなりかねない。米中間で何らかの密約を交わしてから後の対日開戦ならば、そんな「弾道ミサイル先制攻撃」も可能であろうが、其れは同時に「米軍に対する奇襲効果」を失うことになる。
むろん、中国の対日戦争という点では「何らかの、一時的でも虚偽でもよいから米中合意」を取り付けた上での対日開戦が理想であろう。其れは詰まるところ、中国が対日戦争で得ようとしている要求を、米国が飲むか、米国が飲めると中国が考えうるか、にかかっている。
米中合意・米中密約の下での日中開戦は、我が国にとって最悪の悪夢である。これについては後ほど別途検討することとしよう。ここでは米中間の密約はなく、為に中国は弾道ミサイルならぬ有人機による先制攻撃を仕掛けてきた、と仮定して話を進めよう。むろん、この仮定が、我が国及び我らが自衛隊にとって有利な仮定であることは否めない。