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当ブログが相当に「辛口」であると言うのは、多分「自他ともに認める処」だろう。少なくとも私自身は「辛口」と考えており、批判対象に対し相当に辛辣な記事を数多描いた、と言う自覚はある。
その当ブログの批難対象は、私自身の選定によるから、偏向があって当然。無ければ奇跡。当ブログは私の個人的ブログであって、報道機関では無いのだから、不偏不党も公平無私も、看板としてすら掲げてはいない。
ならば、その「偏向して選定した」に違いない批難対象となると、まあ、我ながら多岐に渡り、中には「世間一般では高い評価を得ている」人物・団体もある。原水禁なんてのは中々ケンカを売りにくい相手だし、先ごろの衆院選挙で「民主党に迫る議席数を獲得」した維新の会率いる橋下大阪市長なんてのも、そうだろう。
橋下大阪市長なんてのは、維新の会が躍進しようが、今でも尊敬に値すると思っている石原慎太郎前都知事と連携しようが、大衆迎合政治家=ポピュリストに見えて仕方がない。その「震災ガレキ受入れ政策」は人として正しい道であり、震災ガレキ受入れ反対なんてのは人非人の所業と断じているからこの点では橋下市長を評価できる。だが同時に、以前福島産の橋桁から放射性物質が検出された際にはその橋桁を受け入れ拒絶しており、この矛盾はポピュリズム=大衆迎合主義によってしか殆ど説明出来ない(*1)。
故に当ブログは今でも橋下大阪市長を信用しておらず、「胡散臭い大衆迎合政治家」と断じている。
どうやら、大阪市立桜宮高校入試を巡る問題でも、その認識を改めるどころか再確認できそうだ。
<注釈>
(*1) 他にあるとしたら・・・「福島産橋桁から検出された放射性物質の濃度が震災ガレキよりも高い」と言う理屈が成立しそう、ではある。だが、橋桁の使用法=「飲む訳でも食う訳でもその上に住む訳でもなく、普通は通過するのみ」を勘案すれば、そんなのは屁理屈だ。
(1.)転載開始=========================================
①「入試継続は大阪の恥」橋下市長、在校生に直接強調 同校を初訪問
http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/130121/waf13012111530008-n1.htm
2013.1.21 11:51 [体罰問題]
大阪市立桜宮高校バスケットボール部の男子生徒=当時(17)=の自殺問題に絡み、同校体育系2科の入試中止を市教委に求めた橋下徹市長は21日午前、同校を訪問し、在校生に対し「(学校のあるべき方向性が決まる前に)入試を継続するのは大阪の恥」などと述べ、改めて入試中止に理解を求めた。
橋下市長自身が学校に対する考えを直接語りかけることで、生徒間に広がっている動揺の沈静化を図る狙いがあったとみられる。問題発覚後、橋下市長が同校を訪れたのは初めて。
在校生への説明会は報道陣に非公開で行われ、市教委によると、橋下市長は同日午前8時半すぎに同校を訪れ、体育館で在校生に約1時間にわたり説明。市長は「スポーツ指導の中で手をあげることはものすごく遅れた指導方法だ」と強調したほか、入試中止については「高校があるべき姿を決める前に、新入生を受け入れるのはどうなのか」と持論を展開。生徒側からも意見があがったという。
市長による生徒への説明については、同校体育科の生徒の保護者らが「子供たちの目や顔を見て(入試中止の)大義名分を言ってほしい」と要望していた。
=================================転載完了
「権力は蜜の味」か
さて、如何だろうか。
「大阪市立桜宮高校バスケットボール部の男子生徒が自殺した件」について当ブログが取り上げるのは、多分これが初めてだろう。それだけ私の関心をあまり惹かない件であった事を、先ず認めなければならないだろう。所謂「三面記事」、ゴシップと言う奴に私は元々興味が無い。それによって「趣味が高尚」だとか「人格が清廉潔白」だとか、主張する心算は全くないが、芸能ネタと同様に「興味が湧かない」ものだから、「無理に沸かす必要もない」と思っている。そんなものに興味を持たなくても、この世は興味深い事象でいっぱいなのであるし、同事件以来かますびしい「スポーツと体罰の問題」にしても、「体罰絶対悪論」は胡散臭くて仕方がない。よし、当該生徒の自殺原因が体罰にあったとしても、またそんな体罰の背景に「体罰容認論」があったとしても、「全ての体罰は絶対的に悪である」と言う結論にはなるまいに。その意味では「体罰容認論」とて、あって当然、無ければ不思議。と言うより、著しく「不自然」だ。
だが、上掲記事は直接「体罰」を扱ったものではない。恐らくは私と同様の「体罰容認体制」下にあったと思われる「大阪市立桜宮高校」の今年の入試を実施するか否か、と言う問題。で、橋下大阪市長は導光の今年の入試を中止すると息巻いているんだそうだ。
どこかで見たような、聞いた様な話ではないか。
左様、田中真紀子前文科大臣が、今春設立される大学・学部を「白紙撤回」=「今春設立は見送り」させようとした時と状況は類似している。「入試中止」と「設立決定撤回」の相違はあるし、その理由も「現状の体罰容認体制」と「大学の数が多過ぎる(*1)」の相違はある。特に後者の相違点は大きいが、前者の相違点は「受験予定者が大慌て」と言う点では共通している。
さらには、時期の問題も指摘しない訳には行かないだろう。田中前文科相楽団の事件を起こしたのは昨年の事で、大学入試は2月末から3月頭であった。一方橋下大阪市長の「入試中止命令」問題は、今年になって発生し、大阪市立高校の入試は前期で2月下旬、後期で3月半ば。入試までの期間は今回の方が1から2か月短い。それだけ、受験生にとっても、学校側にとっても、切羽詰まった時期と言う事だ。
1> 「(学校のあるべき方向性が決まる前に)入試を継続するのは大阪の恥」
と、橋下大阪市長は大阪市立桜宮高校在校生の前で述べたそうだ。その故に「今年度の入試中止」を主張して居るらしい。だが、この主張にはいくつかの前提条件があろう。
(1) 大阪市立桜宮高校バスケットボール部の男子生徒が自殺した件は、同部の体罰が原因である。
(2) 同部の体罰は、同高校の「体罰容認体制」が背景にある。
(3) 同高校の「体罰容認体制」は改めなければならない。
(4) 同高校の「体罰容認体制」をどう改めるかが決まるまで、同高校な新入生を取るべきではない。
とまあ、これぐらいのステップを踏まないと「大阪市立桜宮高校バスケットボール部の男子生徒が自殺した件」は「同高校入試中止」に結びつかないだろう。それだけ「論理にギャップがある」とは言わないが、「ステップがある」事は否めない。
上記(1)~(4)のステップで言うならば、先ず(3)は異論の出そうにない処であり、私とて同意する。上記(2)も疑義の余地はあるが、まず「妥当な推論」とされるところだろう。
となると、問題となるのは、上記(1)の「そもそも自殺の原因は」と言う、可也プライベートでもあればセンシティブでもある問題と、上記(4)の「対処・解決法」であろう。
この二つの内上記(1)はそもそもの大前提であるが、はっきり言って水掛け論にしかならない。上記(1)を否定する事も、肯定する事も、根源的には自殺した当人しか出来そうになく(*2)、それ以外の者は当人の言動から推測するのみだからである。尚且つ上記(1)が否定されれば、そもそもこの問題は、同高校どころか同バスケ部の責任にもならないから、ここでは上記(1)を肯定したものとしよう。
となると問題は、上記(4)に絞られる。「同高校の体罰容認体制」に対し、「入試中止」と言う処分の可否である。それも、下手すると入試まで1ヶ月もない現時点に於いて、だ。何しろ現時点に於いても、また「入試中止」が為されたとしても、現状の同高校在校生の教育は、「体罰容認体制が決まらない」まま続行されているのだから、「体罰容認体制が決まらない」状態に「教育の場としての資格が無い」と断じられた訳ではなく、「新入生を受け入れる資格が無い」と言う主張でしかない。
で、ここが判らないんだが、一体「新入生を受け入れる資格が無く」且つ「在校生の教育を続ける資格はある」と言う状態は、どんな状態なんだろうか【Q1】。
「被害者の数を増やさない」と言う効果はあるかも知れない。だがそれは、「在校生と言う被害者を、少なくとも当面見捨てる」と言う事でもある。尚且つ「新入生を受け入れる資格が無い」事を「新入生を受け入れる事は、大阪の恥」とまで断言してしまうのだから、もっとわからない。ならば、「在校生の教育を続ける事」は、一体大阪の何なんだろうか??その点について、上掲記事の在校生への説明で、詳細が説明されたのだろうか?(トテモシンジラレナイ)
さらに、続報があって・・・
<注釈>
(*1) と言う、甚だ抽象的な一般論。それだけに、「根拠とした薄弱」とは言い得そうだが。
(*2) それとて、例え「恐山のイタコ」が当人の霊を呼び出したとしても、本当のところを話すかどうかは、全く別問題だ。