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 大陸は支那における「(中国共産)党の口舌=宣伝機関」であった筈の南方週末紙に起きた「社説すり替え」事件が「思わぬ」影響を生じた件は、既に当ブログでも取り上げた所。「中国共産党支配の黄昏―「南方週末」誌・社説すり替えを巡って」として記事とし、タイトルにした通り、斯様な騒動を、「中国共産党支配の黄昏」と表現した。

 南方週末紙騒動に「中国共産党支配の黄昏」を感じたのは、私ばかりでは無いようだ。

転載開始=========================================

【中国紙社説すり替え】
石平のChina Watch 中国共産党の強権的言論統制の終焉

http://sankei.jp.msn.com/world/news/130117/chn13011711070003-n1.htm
2013.1.17 11:07

中国広東省の週刊紙「南方週末」の10日付紙面(河崎真澄撮影)
今月初旬に中国紙・南方週末の紙面が地元の広東省共産党宣伝部の指示によって改竄(かいざん)された事件で、当事者の編集者や記者たちが当局の横暴に対して果敢な戦いを挑んだことが多くの報道によって知られた。本欄が「反旗を翻した中国メディア」と題して、中国の国内メディアが政府の言論統制に反抗し始めたことを報じたのは2011年8月のことだったが、それから1年数カ月がたった今、反乱はより本格的になってきている。

事件が展開している中で、筆者の私が興味深く注目しているのはむしろ、反対の政権側の動き方である。紙面の改竄を主導したのは間違いなく広東省共産党宣伝部であったが、実は、改竄の対象となる文章の担当編集者や記者が休暇中という隙を利用して実行されたという。休暇が終わって職場に戻った編集者たちが異変に気がついて直ちに抗議行動を始めたのが事件の始まりである。

共産党の絶対権力をバックにしてメディアに君臨しているはずの党宣伝部が、いつの間にか「コソ泥」のような風情で本来の職務である言論統制をこそこそと遂行している光景は滑稽にも見えるが、彼らはどうやら、自分たちの力と仕事の正当性に対して自信を失っているようである。

さらに面白いことに、事件が発生して全国のネット世論が改竄行為を厳しく批判している中で、当事者の広東省党宣伝部の責任者が公の場に出て自分たちのやったことの正当性を主張することは一度もなかった。広東省党宣伝部の上位機関である共産党中央宣伝部にしても、全国で広がっている批判に対して反論したりすることは一度もない。

中央宣伝部の行った最大の反撃はすなわち、環球時報という御用新聞紙が掲載した政権擁護の社説を、全国の新聞に転載を強いたことだ。

だが、政権側に立ったこの環球時報の社説には、「紙面の改竄は正しい」と正面から宣伝部を擁護するような文句は1行も書かれていない。社説が政権のために行った唯一の弁明はすなわち、「広東省の党宣伝部は実は、紙面差し替えに関与していない」ということである。

つまり、中央宣伝部にしても御用新聞の環球時報にしてももはや、共産党による言論統制を「正しいこと」として堂々と主張できなくなっている。彼らはむしろ、全国からの批判にさらされている中で「自分たちはやっていない」と逃げ腰の弁明に躍起になっているありさまである。

そこにはもはや、絶大な権威と権力を持って言論を完全に圧殺できた往時の党宣伝部の姿はない。彼らは依然、絶大な権力を持っているものの、人々から認められるところのイデオロギー的正当性や権威のかけらもない。今まで抑圧されてきたジャーナリストや一般民衆が声を上げて堂々と抗議活動を展開している中で、共産党の権力者たちはむしろ身を縮めて民衆からの批判をかわすのに精いっぱいという情けない立場に追い込まれている。

ここまで来ると、共産党宣伝部による言論の統制はすでに破綻寸前の末期状態であるといえよう。やっている本人たちが「それが正しい」と主張できなくなるような仕事が、どうやって長続きするのだろうか。おそらく党宣伝部のみならず党の最高指導部も、このままでの言論統制はもはや無理であることを悟っているはずだ。そういう意味で南方週末改竄事件は、共産党政権による強権的言論統制が終焉(しゅうえん)を迎えようとしていることを告げた歴史的な事件であるかもしれない。言論の自由と民主化の流れはもはや誰も止められないのだ。


【プロフィル】石平

せき・へい 1962年中国四川省生まれ。北京大学哲学部卒。88年来日し、神戸大学大学院文化学研究科博士課程修了。民間研究機関を経て、評論活動に入る。『謀略家たちの中国』など著書多数。平成19年、日本国籍を取得。

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類似の現状認識と、異なる将来予測


 さて、如何だろうか。

 当ブログの先行記事と比較すれば明らかだろうが、上掲記事における石平氏の現状認識と、先行記事で披瀝した私の現状認識には、多く点で共通している。最大の共通点は「中国共産党の大陸支配力が低下している」と言う点であろう。尤も私の方が今回の南方週末紙事件を通じてそれを感じたのに対し、石平氏は、

1〉  本欄が「反旗を翻した中国メディア」と題して、
2〉 中国の国内メディアが政府の言論統制に反抗し始めたことを報じたのは2011年8月のことだったが、
3〉 それから1年数カ月がたった今、反乱はより本格的になってきている。

と言うから、私なんぞよりは余程先行している。

 だが章題にした通り、そんなほぼ共通する現状認識から出発しても、将来予測は異なってしまうのだから、人間と言う奴ぁ面白い。

 先行記事で私は、南方週末紙事件に見る中国共産党の支配力低下を「二重の歓び」と表現した。「中国民主化への期待を込めた中国人自身にとっての歓び」と「中国共産党政権の弱体化への期待を込めた我が国を含む中国周辺諸国民にとっての歓び」と言う意味で。

 その上で前者「中国民主化への期待」を甚だ虚しいものと断じたのが、先行記事に示した私の将来予測であるのに対し、上掲記事に現れた石平氏の未来予測は、

4〉 ここまで来ると、共産党宣伝部による言論の統制はすでに破綻寸前の末期状態であるといえよう。
5〉 やっている本人たちが「それが正しい」と主張できなくなるような仕事が、どうやって長続きするのだろうか。
6〉 おそらく党宣伝部のみならず党の最高指導部も、このままでの言論統制はもはや無理であることを悟っているはずだ。
7〉 そういう意味で南方週末改竄事件は、共産党政権による強権的言論統制が終焉(しゅうえん)を迎えようとしていることを告げた歴史的な事件であるかもしれない。
8〉 言論の自由と民主化の流れはもはや誰も止められないのだ。

と上掲記事を〆ている。即ち、私が儚くも虚しいものと切って捨てた「中国民主化への期待を込めた中国人自身にとっての歓び」を、石平氏は上記8〉言論の自由と民主化の流れはもはや誰も止められないのだ。」とし、確固たるものと考えている訳だ。

 無論、石平氏は上掲記事プロファイルにもある通り、今は帰化して日本人であるが、生まれは中国人。私なんぞより「中国人自身にとっての歓び」に関心があるのは当然だろう。また、石平氏が確信する「中国民主化」が、我が国にとっても望ましい事であるのも確かだ。

 だが…先行記事にした通り、「中国民主化」は確実に「中国共産党支配の更なる弱体化」を意味し、さらには「中国共産党支配の終焉」を意味する可能性がある。それもまた我が国にとって望ましい事態ではあるが、中国共産党自身にとっては望ましいどころではないだろう。

 従って、これも先行記事にしたところだが、中国共産党が「中国人の幸福のために、権力を自ら放棄し、自己解体する」と言う殊勝な覚悟を有する/有するようになる事が無い限り、弱体化したとはいえ未だ現役権力者たる中国共産党は、それこそありとあらゆる手段で「中国民主化」を阻止しようとするだろう。

 「ありとあらゆる手段」には、「周辺諸国に戦争を仕掛け、その”勝利”で”愛国心”を高揚させる」なんて手段も含む。中華人民共和国には「憲法9条」なんて縛りはないから、「国益と称する党益の為の戦争を仕掛ける」のだってお茶の子さいさい。実績だって、半島からベトナムまで、たんとある。

 であるならば、結論は例によって例のごとく。

 Parabellum! 戦いに備えよ。

 対中戦争に備え、対中冷戦を覚悟せよ。