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お世辞にも上品と言いかねる本記事のタイトルには、チョイと説明が要るだろう。これは人類史上最長の映画シリーズとしてギネスブックにも記録されている「男はつらいよ」シリーズの主人公、故・渥美二郎演じる「フーテンの寅さん」こと車寅次郎の、「決め台詞」と言うか「売り口上」の冒頭部分だ。
「男はつらいよ」と言えば、昭和のノスタルジー溢れる人情喜劇として有名だが、主人公「フーテンの寅さん」の職業は、香具師(やし)。現代語で言えば「街頭販売員」とかナントカになるんだろうが、盛り場やお祭りや神社仏閣の境内に露店を開き、縁起物の人形だの、靴だのなんだのと、結構怪しい品物を売っている。そんな商売だから売り口上は調子よく、通行人を引き付けるモノでなければならず、こんなインパクトのある言い回しとして結実したのであろう。まあ、品があるとは言い難いが、要は「結構だ」と言うのを粉飾して言う言い方で、猫も灰も尻もクソも、あまり関係ない。
で、そんな「調子は良いが品は良くない」表現で「結構だ」と私が主張したいのは、中国共産党政権の我が国に対する態度、である。
転載開始=========================================
①「戦争の準備をせよ」対日想定…中国軍指導部が全軍に指示
http://sankei.jp.msn.com/world/news/130114/chn13011419050004-n1.htm
2013.1.14 19:03 [中国]
【北京=矢板明夫】中国人民解放軍を指揮する総参謀部が全軍に対し、2013年の任務について「戦争の準備をせよ」との指示を出していたことが明らかになった。14日付の軍機関紙、解放軍報などが伝えた。また、国営中央テレビ(CCTV)など官製メディアは最近、連日のように日本との戦争を想定した特集番組を放送し、軍事的緊張感をあおっている。
沖縄県・尖閣諸島周辺での自衛隊との軍事衝突を意識して、習近平新指導部がその準備と雰囲気作りに着手し始めた可能性がある。
解放軍報によれば、総参謀部が全軍に向けて出した2013年の「軍事訓練に関する指示」の中で、「戦争準備をしっかりと行い、実戦に対応できるよう部隊の訓練の困難度を高め、厳しく行うこと」と記されている。総参謀部は昨年も訓練指示を出していたが、「軍の情報化や部隊間の横の連携の重要性」などを強調する内容が中心で、今年のような戦争を直接連想させる表現はなかった。
中国指導部が戦争準備に向けて大きく一歩踏み込んだことがうかがえる。
同紙は今年の訓練目標について、昨年11月に就任した習近平・中央軍事委員会主席の重要指示に基づいて作成したと解説している。
また、中国の主要メディアは今年に入って、「尖閣戦争」を想定した番組を連日のように放送している。中国軍事科学学会の副秘書長、羅援少将や、元海軍戦略研究所長の尹卓少将ら多くの軍関係者が出演し、主戦論を繰り広げている。そのほとんどは習総書記と同じく太子党(元高級幹部の子弟)のメンバーで、習総書記の意向が反映している可能性が高い。
一方、日本と外交交渉を通じて尖閣問題の解決を主張する学者らはほとんどメディアに呼ばれなくなったという。ある日本研究者によると、最近北京で行われた尖閣問題に関するシンポジウムで、「論争の中心は対日戦争を小規模にとどめるか、全面戦争に突入するかが焦点になりつつある。小規模戦争を主張する人はハト派と呼ばれ、批判されるようになった」という。
共産党筋によれば、習近平総書記は昨年11月の党大会で、軍人事の主導権を胡錦濤国家主席が率いる派閥に奪われた。習氏は現在、軍内の保守派と連携して、日本との軍事的緊張を高めることで、自身の求心力を高め、主導権を取り返そうとしているとみられる。
②【風を読む】 論説副委員長・高畑昭男 中国がいやがる指針見直し
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130115/plc13011507400007-n1.htm
2013.1.15 07:40 [風を読む]
日米両政府は自衛隊と米軍の役割分担など日米安保体制下の協力のあり方を示す「日米防衛協力のための指針」(ガイドライン)の見直しに着手することになった。
指針が作られたのは1978年だが、冷戦後の97年に現行の指針に改定された。今回はざっと16年ぶりの再改定作業にあたる。
見直しの最大の要因は、21世紀の安保環境が激変したことだ。北朝鮮の核・ミサイル開発に加え、中国の力ずくの海洋進出が進んでいる。とりわけ尖閣諸島奪取を狙う実力行動は急速にエスカレートしてきた。
いずれも現行指針で想定されていなかった事態であり、日本の安全は急を告げているといえる。安倍晋三新政権の下でしっかりと指針を見直してほしいのはもちろんだが、忘れてならないのは、中国にいらぬ遠慮は禁物だということだ。
思い起こすのは、現行指針で周辺事態への対応が決まり、99年に周辺事態法を含む関連法が整備された当時の日本の状況だ。国会では「周辺地域には台湾を含むのか」といった神学論争が繰り返され、外務省の局長が更迭されたりした。
その背景には、指針や周辺事態法などに中国が強く反発し、日本が無用の配慮を重ねたことがあった。その後の在日米軍再編や沖縄への新型輸送機オスプレイ導入問題などでも「対中配慮」が顔を出す。
だが、中国が反応する理由は、日米の行動が軍事戦略的に中国に不利になるからだ。それを遠慮していたのでは、抑止の向上は望めないし、日本の平和も守れない。
尖閣諸島を守る攻防は、外交・安保の両面で長期の消耗戦になる。無益な挑発に乗る必要はないが、相手は一線も二線も越えて攻勢を強めている。こちらも相手がいやがるからといって遠慮すべきではない。
指針の見直しは日米の抑止力の実効性を高める上で欠かせない。同時に、中国の行動を牽制(けんせい)する外交的効果もある。そうした効果も含めて、しっかり踏み込んでいきたい。
=================================転載完了
As Planned. 計画通り進行中
さて、如何だろうか。
憂慮すべき事態だろうか、懸念すべき事態だろうか、あるいは大いに慌てふためき、「今こそ平和を!」と訴えるべき事態だろうか。
Negative!否定。その何れでもない、と私は主張する。だからこそタイトルにもした通り、「結構な事」なのである。
先ず言わねばならないのは、「国が戦争の準備をするのは当たり前だ」と言う事。「戦争の準備をする事」こそが正に国防であると言う事。逆に「戦争の準備をない」と言う事は、敗戦を招くばかりではなく、戦争そのものを惹起しかねないと言う事だ。
従って上掲①記事の通り「中国軍指導部が全軍に『対日戦争の準備』を指示」した事自体は、一般的には「異とするに足らない」。一般的な意味としては「国防を全うしているだけ」と評し得るし、また中国共産党政権も左様に主張するであろう。
問題があるとしたら、我が国には未だ日本国憲法と憲法9条と言う「縛り」があり、我が方から大陸に戦争を仕掛けると言う事は憲法上できない。故に、この日本国憲法下にある我が国に対し「対日戦争を準備する」と言う事は、唯一つの事しか意味しない。
それ即ち、中国共産党政権による、対日侵攻・侵略準備に他ならない。
無論、これすらも今更「異とする」には足らない。中国共産党政権が我が固有の領土である尖閣諸島はおろか沖縄まで「核心的利益」と言い出して領土的野心をあらわにして久しいのだから、その「中国共産党政権による対日侵攻・侵略準備」は、あって当然、無ければ僥倖。そんな僥倖を当てにして国家の安全保障を図るべきではないから、公言しようが秘匿しようが、「中華人民共和国には対日侵攻・侵略の準備を実施している」、少なくともその可能性があるモノとして我が国は対処しなければならない。万一の、まさかの事態のために備え、百年兵を養い、戦争に備える事こそ、正に軍備であり、国防なのである。
話し合い?外交?これまた結構だ。だが、それだけで全てが常に解決すると考えるべきではない。外交とて戦争と同様国益追求の手段であり、弾丸が使われず血が流れないだけで、ある種の戦争には違いない。而して「平和的な外交」とて軍事力と言う後ろ盾が奏功する事は多いのだから、「軍事力抜きの外交力」なんぞに頼ろう/任せようなどと言うのは愚の骨頂。我が国の安全保障は、我が国民の生命財産も懸かっているのだから、そんな愚の骨頂に頼るなぞ、論外だ。
無論、私は我が国の憲法よりも我が国の安全保障を優先目標と主張して居るから、現・日本国憲法はその「輝ける9条」を含めて必要とあれば破棄も停止もすべきであると主張して居る。その主張は上掲記事①の「中国共産党政権による対日戦争準備支持」に一定の「正統性」を与えうることは認めよう。だが、私のような主張は、我が国ではまだ少数派だ。安倍晋三首相のもと安倍政権が誕生し、憲法改正に一定の期待が高まっては居ても、自衛隊の「国防軍」と言う名称変更さえまだ目途が立たない状態での「対日戦争準備」は、やはり「対日侵攻・侵略準備」と見なされるべきである。また、我が国安全保障を担う者としては、そう見なすべきだろう。
而して、我が国は曲がりなりにも民主主義国家だ。「我が国安全保障を担う者」は、何も自衛隊三軍やその最高指揮官たる日本国首相ばかりではない。常に、ではないかもしれないが、少なくとも一定時期、我が国民一人一人が「我が国安全保障を担う者」たり得るし、また左様に自覚があってこその民主主義だ。
であるならば、結論はいつもの通りだ。
Parabellum!戦いに備えよ。
対中国戦争の準備をせよ。準備が成れば、日中間は冷戦で済ませる可能性があるし、その冷戦を冷戦のまま勝利する可能性も出て来よう。
準備を怠れば、或いは準備を忌避すれば、日中戦争は中国側から引き起こされるだろう。或いはもっと悪い事に、日中戦争にさえ至らぬまま、我が国が尖閣諸島以上のモノを失い、ひょっとすると我が主権そのものを失う事になろう。
「日中友好」などと言う幻想に騙されてはならない。日中国交「回復」40年の実績が、「日中友好」なるモノが如何に我が方には役に立たず、大陸側にばかり利益となり、虚しいものかを、厳然と語っているではないか。
如何に、国民。