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 東京新聞と言う新聞社を、私は(未だ)「アカ新聞」とは呼んでいない。私だ「三アカ新聞」と呼んでいるのは、朝日新聞と沖縄二紙=琉球新報&沖縄タイムスであり、朝日に勝るとも劣らない事さえままある東京新聞(※1)や毎日新聞は、アカ新聞並みではあるが、この二紙を含めて「五アカ新聞」とするには未だ至っていない。まあ、それは、東京や毎日に朝日よりも「マシな部分があるから」と言うよりは”三アカ”の語感が”三馬鹿”に通じるから」と言うのが主な理由ではある(※2)

 まあ、「アカ新聞」と言うのに明確な定義を示して居る訳ではなく、相当に恣意的な基準なのであるが、タイトルにもした「平和ボケ」の方はそれに比べてハッキリしている。軍事的なモノ、戦争に関するものを忌避し、タブー視し、そうすることで平和が実現するとか平和的であるとか考える、盲信・迷信と言える。従って「平和ボケ」と言うのは思想の左右と少なくとも直結していない(※3)筈である。これに対し「アカ」と言うのはイメージ的に左翼・左派と直結しているから、後掲する東京新聞コラム【私説・論説室から】の平和ボケぶりは「東京新聞をアカ新聞と呼ぶべきか否か」の判断材料とすべきではないだろう。

 だが、その平和ボケと来たら、正気を疑うほどで・・・・まずは御一読の程を。


<注釈>

(※1) 特に、再三取り上げる通り、東京新聞の脱原発原理主義ぶりは突出している。 

(※2) って事は、沖縄二紙の代わりに毎日・東京を入れれば、「(新)三アカ新聞」と呼べる訳であるが。 

(※3) そりゃまあ、「右翼にして平和ボケ」と言うのはちょっと想像しがたいが、平和ボケしているのが左翼とは限るまい。 



転載開始=========================================
【私説・論説室から】集団的自衛権のトリック
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/ronsetu/CK2013010702000135.html

安倍晋三首相らが憲法で禁じた集団的自衛権行使を容認するべきだと主張する際に持ち出す「自衛艦と並走する米軍艦艇の防御」「米国を狙った弾道ミサイルの迎撃」の二類型は、どう考えてもおかしい。
日本海海戦のような密集陣形を想像しているのだろうが、現代の艦艇は潜水艦への警戒から点々と散らばり、無防備に並走しない。攻撃に使われるのは魚雷と対艦ミサイル。とくに魚雷は一発で撃沈させる威力があり、ひそかに狙われたら防御どころではない。
米艦艇と並走するのは洋上補給の場面だが、ここで攻撃されたら自衛艦は集団的自衛権行使を意識するまでもなく、自らの防御のために反撃するだろう。
米国を狙った弾道ミサイルを迎撃する手段が現状で存在しないことは前の自民党政権当時、久間章生元防衛相が国会答弁している。迎撃できるようになるのは開発中の迎撃ミサイル「SM3ブロック2A」がイージス艦に搭載可能となった後の話である。
迎撃ミサイルを搭載できるイージス艦は自衛隊に四隻しかないが、米軍は二十六隻保有し、さらに増やす。米政府には自前での対処をお勧めする。
より大きな疑問は世界中の軍隊が束になってもかなわない米軍にいったいどの国が正規戦を挑むのかという点にある。ありもしない話はレトリック(修辞法)というよりトリック(ごまかし)である。 (半田滋)


=================================転載完了

東京新聞記者・半田滋氏の正気を疑う


 さて、如何だろうか。

 短いコラムだが要約してみよう。コラムタイトルは「集団的自衛権のトリック」であり、日本政府の見解として「有しているが行使はしない」とされている集団的自衛権に対し積極的な安倍新政権に対する非難・批判である。此処では集団的自衛権を我が国・我が自衛隊三軍が行使を検討すべきとされる条件の内二つの類型=「自衛艦と並走する米軍艦艇の防御」「米国を狙った弾道ミサイルの迎撃」を「トリック」とタイトルで評し、「どう考えてもおかしい」と明記している。だが、その理由・根拠を要約すると・・・

 ① 通常の艦隊陣形では自衛艦と米軍艦艇には距離があり、「並走」しない
 
 ② 並走するのは洋上補給の場面だが、この場合並走艦が攻撃されれば個別的自衛権で対処できる
 
 ③ 「米国を狙った弾道ミサイルの迎撃」は現在開発中の「SM-3ブロック2A」が配備されるまで出来ない
 
 ④ 米海軍には多数の弾道ミサイル迎撃可能なイージス艦があるが、日本は4隻しかない
 
 ⑤ 米軍にいったいどの国が正規戦を挑むのか

こんなところだろう。

 先ず上記①と②「自衛艦と並走する米軍艦艇の防御」について考えよう。上掲コラム記者・半田滋氏はここで「並走」と言うのを「洋上補給のような至近距離での並走」と極めて狭い意味で取っているのだが…集団的自衛権とはとどのつまり「同盟軍と共闘・協力する/出来る権利」であろう。であるなえらば、「並走する同盟軍艦艇」と言うのは、洋上給油を実施中の艦艇に限るまい。距離が開こうが詰まろうが、同じ艦隊として陣形を組んでいれば、それは「並走する同盟軍艦艇」と呼ばれるべきだろう。何よりもそれは間違いなく、「集団的自衛権を行使して守る可き/共闘す可き同盟軍艦艇」だろう。それに集団的自衛権を行使するのは理の当然・(少なくとも)軍事的に合理的。そこで「距離が離れているから」と「集団的自衛権を行使しない(※1)」と言うのでは、「集団的自衛権を有している」などとは言われまい。

 集団的自衛権に関する議論を、憲法9条議論と同様の「神学論争」にしてしまうから、「並走」の定義を狭く曲解してまで「あくまで有するが行使しない集団的自衛権」に固執している。”トリック(ごまかし)”であるのは、「陣形を同じうする同盟軍艦艇さえ、艦艇間距離を理由に見殺しにすべき」と主張する、上掲コラムの方である。

 上記③と④「米国を狙った弾道ミサイルの迎撃」になるともっと酷い。上記③現時点でそのような集団的自衛権を行使する能力が無いとしか言っていない。なるほど、「能力が無い」ならば確かに「有してはいても行使はできない集団的自衛権」ではあろう。だが、早晩その能力を獲得する目途もあると言うのに、「現時点で能力が無い」事が「能力を獲得してもそれを行使しない」理由になんか、なる訳が無い。況や「能力を獲得した後はどうするか」と言う議論をしない/せずとも良いと言うのは、正に正気を疑わせるに足る暴論だ。
 上記④となると…コリャなんだ一体。集団的自衛権を行使する能力を獲得しても、その能力は米軍には遠く及ばないから、米国に対する集団的自衛権を行使するなと主張して居る…他に解釈のしようが無い(※2)。対弾道ミサイル防衛能力を有するイージス艦なんて、米海軍以外には我が海上自衛隊にしかなく、斯様な形での集団的自衛権を行使できるのは我が国のみ。米海軍の強大さには比肩すべくもないが、助太刀は出来ると言うのに「米政府には自前での対処をお勧めする。」とは、その傲岸不遜さもさることながら、「同盟国」とか「同盟軍」とか言うものを忌避しタブー視しているのではないかと疑わざるを得ない。繰り返すが、集団的自衛権」とは「同盟軍と共闘・協力する/出来る権利」である。能力が比較して大きいとか小さいとかは、その集団的自衛権行使の有効性には差異を生じるが、行使そのものの存否を決めるものではない。

 挙句の果てが、上記⑤である。コリャ「平和ボケ」通り越して「平和気違い」とでも呼ぶべきか。百年兵を養い、唯一日の決戦に備えるのが兵・軍備と言うもの。況や「米国を狙った弾道ミサイル」と来た日には、北朝鮮から「人工衛星」と称して発射される可能性を、想定しない/想像しない方がどうかしている。米中全面戦争だって、当然生起しうる事態として備えるのが普通である。一体どんな節穴を目に持つと

〉 世界中の軍隊が束になってもかなわない米軍にいったいどの国が正規戦を挑むのか

と断言してしまえるのか、私にはサッパリ理解できない。それどころか、章題にもした通り、当該コラム記者・半田滋氏の、正気を疑わざるを得ない。

 仮に半田記者が「平和ボケ」と言う狂気に陥っていたとしても、以下の点は指摘できる。

 (1) 「米国へ正規戦を挑む」ことなく米軍艦艇を攻撃したり、米国へ向けて弾道ミサイルを発射したりと言う事態は、在り得ると言う事。

 (2) 上記(1)の事態に備えるからこそ軍備であり、同盟軍はその軍備の補強あるいは補間たり得る事。

 (3) 上記(1)のような事態がやたらには起こらないのは、正にその攻撃が「米国へ正規戦を挑む」事になりかねないから、だと言う事。

 如何に、東京新聞・半田滋記者。

 尤もこの問いも、半田滋記者に未だ正気が残っているのならば、だが。


<注釈>

(※1) 能力的に「行使できる能力が無い」と言うのならば兎も角

(※2) 「他の解釈がある!」と言う方は、是非にも御教示いただきたい。