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 「原理主義」とは、原理を至上至高のモノとし、他の全てよりも優先する思想・思考と定義できそうだ。ならば「脱原発原理主義」とは「脱原発こそ至上至高のモノとし、他の全てよりも優先する思想・思考」となる。

 「脱原発原理主義」に限らず、「原理主義」なるものは、ある種の思考停止である。この原理が目に入らぬかぁぁぁぁぁっ!となれば、全てのモノは平伏する/平伏する筈と言う思想だから、「原理」が登場した瞬間、思考は停止せざるを得ない。「ちょっと待てや」なんて異論も異説も「異端」とかナントカ言われて排撃排斥しまう。だから原理主義者は原理主義者である限り、その「原理」を至上至高に祀り上げている限り、反省なんかしようがない。その祀り上げる原理が、至上至高至尊と信じているのだから、「それを祀り上げない奴・環境・社会・情勢が悪い」だの「悪魔の妨害」だのと「他者に責任転嫁」してしまう。

 であればこそ「脱原発原理主義」に限らず、「原理主義」なんてものは度し難いのである。

 その「原理」に祀り上げられているものが「宗教的原理」であるならば、これはもう議論の余地が無いと言うか、議論しても無駄なモノであろう。回教原理主義にせよ、キリスト教原理主義にせよ、異教徒にとってはせいぜいが「そう考える人もあるさ」としか考えようがない。宗教と言うのはある意味「恋愛」に似ていて(*1)、それは確かにその当人にとっては生死や人生に関わる大問題ではあるが、傍から見る第三者にとっては「どうでも良い事」としか思われないことが、ままある。だから、宗教的原理主義者は、異教徒にとっては良くて「変な人」、下手すりゃ「気違い」としか思われない。が、逆に言えば、「変な人」ならば宗教的原理を原理として祀り上げ、「宗教的原理主義者」となる事は、理解できる。

 脱原発」と言うのは「原発推進」と同様に「エネルギー政策の一方針」にしか過ぎない。そんな「エネルギー政策の一方針」を、何をどう考えたら「至上至高のモノ」と考えてしまえるのか、これは私なんぞには全く理解できない。全く理解できないが…確かに、それは居る様だ。散々記事にしている通り、東京新聞は「脱原発原理主義者」と私は断じており、その原理主義ぶりは先日の衆院選挙結果でも揺らがないらしい。

<注釈>

(*1) こう書くと、それこそ宗教的原理主義者に殺されそうだが。

転載開始=========================================

【東京新聞社説】国民をよく畏れよ 自民圧勝、政権交代へ
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2012121702000179.html
2012年12月17日


 自民党が圧勝した衆院選。民主党政権への厳しい審判だ。今回の政権交代は三年前と比べて高揚感はないが、国民の選択を政治の前進につなげたい。

三年前、民主党への歴史的な政権交代を成し遂げた民意は今回、野田佳彦首相に退場を迫った。

衆院選マニフェストに反する消費税増税の決定を強行し、国民を裏切ったからには当然だ。「政治家主導の政治」「緊密で対等な日米同盟関係」など国民との約束も果たせずに終わった。

かといって、民意はかつてのような自民党政治への回帰を積極的に支持したわけでもなかろう。

◆民主への懲罰投票
今回、再び政権交代に至った要因に挙げられるのはまず、公約を破り、誠実さを欠く政権運営を続けた民主党には投票しない「懲罰的投票」が多かったことだ。

同時に、民主党分裂や日本維新の会など第三極の候補者擁立で、この懲罰的投票としての民主党批判票が分散し、結果として自民党が「漁夫の利」を得た。

共産党が小選挙区で候補者を絞り込み、反自民票の多くが民主党に流れた前回衆院選とは逆のことが起こったのだ。

しかし、政権交代という政治の節目を迎えたにもかかわらず、三年前のような高揚感に乏しい。自民党が野党の三年間で自己変革を成し遂げ、磨き上げた政策への圧倒的な支持で政権復帰を果たしたわけではないからだ。

そのことは、政党支持の指標となる比例代表の獲得議席数を見れば明らかである。

例えば、自民党が圧勝した二〇〇五年衆院選の比例獲得議席は七十七、〇九年の民主党は八十七だったが、今回、自民党の比例獲得はそれらに及ばなかった。

自民党はまず、この厳しい現実を直視すべきである。

◆脱原発は引き継げ
それでも勝利は勝利だ。

自民党内では投票日前から、安倍晋三「首相」の年明け訪米に向けた調整や、安倍「内閣」の閣僚就任を目指した猟官運動も始まっていた、という。

円滑な政権移行には事前準備が必要だとしても、それ以前に考えておくべきことがある。政権をどう運営し、政策を実現するかだ。

安倍氏は十六日、自公連立の上で「理念・政策が一致する党に協力をお願いする」と、政策課題ごとに野党と協力する「部分連合」で対応する考えを表明した。

自公両党が衆院で三分の二以上の議席を得ても、参院では過半数に届かない「ねじれ国会」であることを考えれば妥当だろう。

国民が政治に期待するのは、生活がよりよくなるような政策を一つでも多く実現することである。

これまでのねじれ国会では予算関連法案を人質にしたり、野党多数の参院で首相や閣僚の問責決議を乱発して政権を追い込んだりする手法が横行した。党利党略による不毛な対立は見るに堪えない。

民自両党がともに与野党双方の立場を経験して迎えた今回の政権交代を機に、悪弊を断ちきることができれば、日本の民主政治にとって一歩前進だろう。

安倍自民党は勝利におごらず、野党の主張に耳を傾けて丁寧な国会運営に努め、地に足のついた政権運営を心掛ける必要がある。

集団的自衛権の行使容認など、党の主張は一時棚上げすべきではないか。政治を機能させるための忍耐は、恥ずべきことではない。

野党側も不毛な政権攻撃を繰り返すだけでなく、建設的な提案と合意形成に努めるべきである。

民主党は敗北したが、次期政権が引き継ぐべきものがある。それは原発ゼロを目指す方針だ。

「脱原発」勢力は半数に達しなかったが、自民党も原発稼働継続を堂々と掲げて勝利したわけではない。党内にも原発ゼロを目指すべきだとの意見もある。

そもそも、時期はともかく原発稼働ゼロは各種世論調査で常に半数前後を占める「国民の声」だ。

野田内閣は「三〇年代の原発稼働ゼロを可能とするよう、あらゆる政策資源を投入する」との戦略を踏まえ、エネルギー・環境政策を進めることを閣議決定した。
原発ゼロを実現するには十分ではないが、閣議決定であり、特段の状況変化がない限り、後継内閣が方針を引き継ぐのは当然だ。

◆課題処理こそ試練
巨額の財政赤字や、ずさんな原子力行政など「自民党は今の日本の課題を作り上げた張本人」(同党の小泉進次郎氏)でもある。

民主党の稚拙な政権運営に落胆した国民は、自民党がこれらの課題処理に政権担当能力をどう発揮するかにこそ注視している。

今回の政権交代は、政治は国民の手にあることを再び証明した。このことを自民党はもちろん、すべての議員が畏れるべきである。


=================================転載完了

毎度のことだが…この脱原発原理主義ぶりはどうだろう


 さて、如何だろうか。

 当該社説のの中で、東京新聞の脱原発原理主義ぶりが最も現れているのは、次の一節であろう。

1〉  「脱原発」勢力は半数に達しなかったが、自民党も原発稼働継続を堂々と掲げて勝利したわけではない。
2〉 党内にも原発ゼロを目指すべきだとの意見もある。
3〉  そもそも、時期はともかく原発稼働ゼロは各種世論調査で常に半数前後を占める「国民の声」だ。
4〉  野田内閣は「三〇年代の原発稼働ゼロを可能とするよう、あらゆる政策資源を投入する」との戦略を踏まえ、
5〉 エネルギー・環境政策を進めることを閣議決定した。
6〉  原発ゼロを実現するには十分ではないが、閣議決定であり、特段の状況変化がない限り、
7〉 後継内閣が方針を引き継ぐのは当然だ。

本当に、言っている事/書いている事が判っているんだろうか、東京新聞は。いや、判っているからこそ、の脱原発原理主義と言うべきか。
 上記1〉~7〉、「選挙結果よりも世論調査を優先しろと言う、凄まじいばかりの暴論だ。上記1〉自民党も原発稼働継続を堂々と掲げて勝利したわけではない。と抜かしているが、民主党、未来の党、社民党などが「脱原発を正々堂々と掲げて大敗北を喫した」のは覆しようのない事実だ。であると言うのにその選挙結果を上記3〉の通り「世論調査結果」で否定すると言うのは、選挙そのものの否定であり、議会制民主主義そのものの否定でもある。
 確かに、東京新聞社説がそんな暴論を発したことは今回が初めてではない。町長選挙でも、知事選挙でも(*1)、原発推進とは言わぬまでも原発容認派が勝利する度に「町内融和」だのなんだのかんだのと屁理屈を付けては「選挙結果を無視して脱原発への方針転換」を要求して見せた東京新聞だ。

 だが、今回自民党は「原発稼働継続を堂々と掲げて勝利したわけではない」としても、少なくとも有象無象の「脱原発」政党どもとは一線を画する「今後10年かけてのエネルギーベストミックス」を掲げての大勝利だ。これは、前政権たる民主党の「2030年代に原発ゼロを目指す」と言う空手形口約束(*2)とは全く異なるものである。その空手形発行人たる前政権の閣議決定を、なんだって現実的なエネルギー政策を掲げる新政権が、引き継げるものか。

 上記6〉特段の状況変化がない限りとは笑止千万。かかる閣議決定を為した民主党政権の、現状認識と将来見通しに、致命的なほどの誤りがあるのだから、その閣議決定そのもが誤りだ。従って、即刻破棄すべき閣議決定である。

 が、まあ、現状認識も何も、「脱原発原理主義」には「関係のない話」なのであろうな。

 だが、原理主義ならぬ通常のまともな考え方ならば、世論調査が選挙結果を覆す訳が無い。世論調査はせいぜいが「参考意見」にとどまろうが。

 如何に「脱原発支持」世論が強かろうが。

 如何に、東京新聞…と、原理主義者に問うのは無駄、か。



<注釈>


(*2) 「あらゆる政治的資産を投入」だの「再生可能エネルギー普及に150兆円投入」だのと、美事なほどの原理主義者振りを確かに発揮しているが、再生可能エネルギーが2030年代かそこらにまともな電力供給源とはなりえない。そのためには少なくとも大容量畜放電技術の開発と普及が必須だ。そのことにすら触れていないのだから、「革新的」と称する「エネルギー政策」は、出力の安定供給目途を立てておらず、「エネルギー政策」と呼ぶにすら価しない。そんな「エネルギー政策」しか掲げずに言う「2030年代までに原発ゼロ」なのであるから、これは空手形・口約束である。