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 「精神論」と言うと、戦後この方悪い意味で使われる事が多いようだ。「合理性を無視した精神論に依拠して、太平洋戦争なんて愚行を為した」とする「戦前への反省」から、「精神論」と言うと悪玉・悪口とされる傾向にあった。

 「知性と理性こそ人類最強の武器」と信じる私としても、「不合理な精神論」は批難の対象である(※1)。が、精神論そのものは批難の対象ではない。精神論も方法論の一つであり、「精神論が全てを解決する」と言うのは誤りだが、「精神論で解決できる範囲がある」事は認めるべきだろう。「気合で乗り切れ!」ってのは時として不合理・不条理な命令だが、それでなんとかなる事だってある。「断じて行えば、鬼神もこれを避く」と言う事も、起こりえる事は認めるべきだ。それを「必ず起こる事」と想定するのは、殊に戦争なんて言う「リスキーな事象」に於いては、避けるべきであるが、「物理的条件ですべてが決まり、根性や精神は不要」と言う「唯物論」もまた極端に過ぎよう(※2)

 とは言え、東京新聞が温暖化対策=二酸化炭素排出量削減に求めるものは…まあ、御一読の程を。

<注釈>

(※1) 急いで付け加えるならば、「殆ど生まれつきの右翼」たる私としては先の大戦・大東亜戦争(太平洋戦争)に対して全く異なる評価をしている。 

(※2) 武器弾薬食料その他で圧倒的優位でも、度胸が無いためからっきし役に立たないって事が、あるんだよ。 



転載開始=========================================


【東京社説】 温暖化対策会議 脱原発と両立できる
2012年12月3日
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2012120302000131.html


 脱原発は省エネとともに進む。ドーハの気候変動枠組み条約第十八回締約国会議(COP18)は、ポスト京都議定書への橋渡しをする重要な会議だ。フクシマを経た日本こそ、存在感を示すべきだ。

重要な節目の会議である。

温室効果ガスを削減するための唯一の国際ルール、先進国にまず削減義務を課し
た京都議定書は、この年末で約束の期限が切れる。ところが、それに続くルール
は、途上国と先進国の利害がかみ合わず、いまだに決まっていない。だが、少しず
つ前へは進んでいる。

一昨年のメキシコ・カンクン会議(COP16)では、気温上昇を国際社会全体で、産業革命前と比べて二度以内に抑えるという南北共通の長期目標を確認できた。

昨年の南アフリカ・ダーバン会議(COP17)では、京都議定書の延長を決めた。ただし、単純延長ではなく、参加各国が自主的な削減目標を提出し、それを達成する義務を負う。南北すべての国が削減に参加する新たなルールは、二〇一五年までに採択し、二〇年の発効を目指すことにした。

どの国もルールの空白期間は望んでいない。ドーハ会議は、先進国の削減目標に合意して、第二約束期間の船出を図る場所である。

ところが日本は、中国などの参加なしには温暖化防止の実効性がないとして、第二約束期間の削減義務受け入れを拒否している。

昨年世界の二酸化炭素(CO2)排出量は、過去最高を記録したという。京都議定書を離脱した米国でも、十月末に東部で猛威を振るったハリケーンなどの異常気象を体験し、気候変動への危機感を強めている。近い将来、南北を問わず高い削減義務を受け入れなければならない時が来る。

原発停止による化石燃料消費の増加が、高い削減義務を掲げられない理由にされている。しかし、原発停止は、企業や家庭に省エネを定着させた。省エネすなわち、温暖化対策ではないか。

オフィスビルや事業所に独自のCO2削減義務を課す東京都では、3・11以降、削減率が大幅にアップした。中には全体で四割減らしたビルもある。

九〇年比25%減という国際公約の看板を、やすやすと下ろすべきではない。脱原発と温暖化対策を両立させ、低炭素社会へ向かう自治体レベルの取り組みをアピールしつつ、政府には、ポスト京都の交渉をリードするきっかけを、ドーハでつかんでもらいたい。


=================================転載完了

「節電で二酸化炭素排出量削減かつ脱原発」は、空虚な「精神論」でしかない



 さて、如何だろうか。

 「流石は脱原発原理主義の東京新聞」と評するべきだろうか。或いは、「東京新聞の脱原発原理主義が新ためて裏書きされた」と評するべきだろうか。何しろこの千字程をかけた社説でタイトルの「温暖化対策会議 脱原発と両立できる」とした具体的な「脱原発と両立できる二酸化炭素排出量削減策」は、唯一つ「節電(省エネ)」しかないのである。

1〉 原発停止は、企業や家庭に省エネを定着させた。省エネすなわち、温暖化対策ではないか。
2〉 オフィスビルや事業所に独自のCO2削減義務を課す東京都では、3・11以降、削減率が大幅にアップした。
3〉中には全体で四割減らしたビルもある。

とまあ、中には4割の節電に成功したビルもあると言うのを根拠に日本の国としての二酸化炭素排出量25%カット」の「看板を下ろさずに脱原発もしろ」と言うのだから、恐れ入る他ない。

 鳩山由紀夫が、いつも通りの思い付きで口走った(※1)「二酸化炭素排出量25%カット」を打ち出したときには、「原発による発電を現在の3割から5割にまで引き上げる」計画だった。それを「現在の3割を維持」どころか東京新聞が金科玉条不磨の大典と仰ぐ原理「脱原発」と両立させようと言うのは、少なくとも「原発5割への拡大から脱原発に大変更した」分だけ、その実現が困難になる、と言う事だ(※2)。

 その困難を克服する方法が「節電(省エネ)」だけ、と言うのに私が「恐れ入る」のは、「節電(省エネ)は二酸化炭素排出量削減につながる」が、「二酸化炭素を排出するのは火力発電ばかりではない」、即ち自動車、航空機、船舶などの内燃機関や工場からも二酸化炭素は排出されているから、「節電(省エネ)量が二酸化炭素排出削減量ではない。」ため。仮に日本全国すべての家庭、オフィスビルから工場、鉄道まで「4割の節電」に成功したとしても、それは最大に見積もっても「発電に起因する二酸化炭素排出量40%カット」にしかならない。

 かてて加えて、当該東京新聞社説がおどろおどろしく取り上げる異常気象の原因が二酸化炭素排出量にあるのならば、「日本の二酸化炭素排出量」を議論する事も、削減する事も、大した意味はない。何故ならば、大口の二酸化炭素排出量国、分けても中国共産党政権が二酸化炭素排出量をどんどん増やす気でいるのだから。以前記事にもした通り(※3)、中国は「GDP当たりの二酸化炭素排出量を削減する」目標を掲げているが、そのGDPが「年率8%以上ないと社会が不安定になる(※4)」と言うのだから、GDPの拡大・経済成長に合わせて二酸化炭素排出量そのものはうなぎ上り。「中国以外の主要国14か国が全て二酸化炭素排出量25%カットと言う「日本並み」の目標を達成したとしても、トータルの二酸化炭素排出量は増える」始末である。

 即ち、世界の二酸化炭素排出量を減らすためには、真っ先に中国をどうするかが大問題であり、「日本の二酸化炭素排出量25%カット」なんぞ、脱原発と両立しようが相反しようが、些事にしかならない。

 その、「世界の二酸化炭素排出量」と言う点では些事にしか過ぎない、「日本の二酸化炭素排出量25%カット」を、脱原発と言うさらに困難な条件を付けた上で「節電(省エネ)」で実現しろと、斯様に正々堂々社説で、新聞社の主張として、世間一般に公開できてしまうんだから…全く、原理主義ってのは度し難いな。

4〉 脱原発と温暖化対策を両立させ、低炭素社会へ向かう自治体レベルの取り組みをアピールしつつ、
5〉政府には、ポスト京都の交渉をリードするきっかけを、ドーハでつかんでもらいたい。

…言うだけならタダ。新聞記者とは、気楽な稼業と来たモンだ。

 だが、そんな「気楽な新聞記者」では、オピニオンリーダーたりえないし、たる可きでもないぞ。


<注釈>

(※1) としか私には思えない。

(※2) 理由は改めて書くまでもないだろうが、原発は火力発電所と違って発電するのに二酸化炭素を出さないから。 

(※3) 中国の暴走-COP15直前  

(※4) と言うよりは、「中国共産党統治の正当性が危うくなる」が正しかろう。