応援いただけるならば、クリックを⇒ https://www.blogmura.com/

 俗に「惚れてしまえば痘痕も笑窪」などと言う。「恋は盲目」と言うのもある意味同義語だろう。要は恋愛感情によって相手の欠点が見えなくなったり、欠点が長所に見えてしまったりすることを揶揄した言葉。古今東西何処も同じ、「遠くて近き」男女の仲に適用される言葉であるが、チョイと拡大解釈すれば男女間に限らない。琉球新報と鳩山由紀夫の関係にも、適用できそうである。

転載開始=========================================

【琉球新報社説】 鳩山元首相引退 「県外」追求は正当だった
2012年11月22日
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-199496-storytopic-11.html

鳩山元首相引退 「県外」追求は正当だった
2012年11月22日        
2009年の政権交代の象徴だった鳩山由紀夫元首相が政界引退を表明した。消費増税などに反対を貫き、民主党の公認を得られる見通しがなくなったことで、「名誉ある撤退」を図ったとされる。
沖縄の最大懸案である基地問題で功罪相半ばする鳩山氏の引退に、県民は複雑な思いに駆られているだろう。09年の衆院選前の沖縄遊説で、鳩山氏は米軍普天間飛行場の返還・移設問題をめぐり、「最低でも県外移設」と強調した。
県民は、県内移設の呪縛にとらわれた日米両政府の基地政策に風穴が開くという期待感を高めた。
1996年の日米の返還合意以来、1ミリも動かない普天間飛行場の危険性と過重な基地負担にあえぐ県民の声に耳を傾け、鳩山氏が従属的な対米関係の見直しなどを模索したことは正当だった。
だが、米国と気脈を通じて「県外移設」つぶしに暗躍した外務、防衛官僚らに包囲網を敷かれ、鳩山氏は2010年に辺野古移設に回帰した。指導力の弱さを突かれ、沖縄社会を大いに失望させた。
鳩山氏は歴代首相で初めて、日本の安全保障政策の官僚支配の病弊と、沖縄への基地偏在に潜む差別的構造を可視化した。基地負担をこれ以上引き受けないという沖縄の民意がかつてなく強まるきっかけをつくった点で、歴史に刻まれることは間違いない。
鳩山氏が対米関係を揺るがしたとみなす在京大手メディアは、普天間問題を鳩山氏個人の責任に矮小化することで、結果的に「県外移設」は困難と印象操作に走っている。木を見て森を見ない、アンフェアな見方と言わざるを得ない。
今年5月の本土復帰40周年記念式典に出席した際、鳩山氏は本紙のインタビューで県外移設が実現できなかった最大の要因について「防衛、外務官僚は米側を通して辺野古でないと駄目だという理屈を導いた」と証言した。
鳩山氏は引退後、沖縄などに平和研究所を設立する考えを示している。首相に面従腹背していた官僚や政治家の内実を具体名を挙げて後世に示すことが最初の務めであろう。
消費増税反対の議員を押しやるなど、危うい純化路線に走る野田佳彦首相らに対し、鳩山氏はつっかい棒のような存在でもあった。
総選挙を機に、沖縄の民意に背を向けた基地押し付けがさらに強まることを警戒する必要がある。

 
=================================転載完了

想像しうる限り最大級の悪罵「鳩山由紀夫」


 さて、如何だろうか。ようやっと「議員引退(*1)」を表明した鳩山由紀夫に対する琉球新報社説の評価は。

 一言で言えば「べた褒め」である。絶賛と言って良い。

1〉  沖縄の最大懸案である基地問題で功罪相半ばする鳩山氏の引退に、県民は複雑な思いに駆られているだろう。
2〉 09年の衆院選前の沖縄遊説で、鳩山氏は米軍普天間飛行場の返還・移設問題をめぐり、「最低でも県外移設」と強調した。

と、なんとまあ沖縄の最大懸案である基地問題で功罪相半ばすると言うのだから、恐れ入る。一体何がどう「功」なのか、と考えると、上記2〉09年の衆院選前の沖縄遊説で(中略)「最低でも県外移設」と強調した」 かららしい。当時民主党党首の地位にありながら、民主党公約ではなく「民主党党首としての( 勝手な口 )約束」として打ち出したこの最低でも県外のために、琉球新報は鳩山由紀夫に「一目惚れ」ならぬ「一言惚れ」してしまったようだ。

 だが、「最低でも県外」と表明しただけで上記1〉「功罪半ばとは、「痘痕も笑窪」も甚だしい。何しろ私は(*2)「個人ブログとしてはかなりしつこく普天間基地移設問題を追いかけて」おり、その経緯を追った記事だけで当ブログに30本近くアップしている。殊に、第2回日米首脳会談で鳩山由紀夫がTrust Me!と大見得切ってオバマ大統領を謀り、翌日に「普天間基地移設問題は辺野古移設を前提にしない」と「オバマ大統領は前提にしていただろうが」と認めつつ公言すると言う精神分裂とも瞬間強力記憶喪失とも評しがたい乱心振りを露呈してから、遂にめでたく日本国首相の座を追われるまでの期間は、相当綿密に同問題を追っていた。だが、この期間を通じて、さらにはその後から現在に至るまで、「鳩山由紀夫が普天間基地移設問題に対して払った努力」、少なくとも「努力の結果」は、一切、全く、何も、一片たりとも見出せないのである。

 忘れてはいけないな、奴は一昨年、繰り返す一昨年の「5月までに決着」、再び繰り返す決着」と公言し吹聴しながら、「決着」どころか、「普天間基地移設先の新たな日米合意」どころか、「普天間基地移設先の新たな日本政府案」どころか、「普天間基地移設先の新たな民主党案」一つまとめられずに首相の座を追われたのだぞ。社民党ですらオッペケペーとは言え「普天間移設先社民党案」を出したと言うのに、だ。

 斯様な事態を、

3〉 米国と気脈を通じて「県外移設」つぶしに暗躍した外務、防衛官僚らに包囲網
を敷かれ、鳩山氏は2010年に辺野古移設に回帰した。

と評するのであるならば、「「県外移設」つぶしに暗躍した外務、防衛官僚らの包囲陣」は閣僚ら民主党議員たちを本件については「操っていた」事になる。陰謀論も大概にするが宜しかろう。

 百歩どころか一万歩ほども譲って、「普天間基地移設先の辺野後回帰」が「外務、防衛官僚らの包囲陣」に閣僚ら民主党議員が操られた結果だったとしても、だ。目出度く首相の座を追われて一民主党議員となった鳩山由紀夫が、首相の座を追われる際に学べば学ぶほど米海兵隊は抑止力と知ったと抜かした鳩山由紀夫が、その首相の座を失った後に、”米海兵隊は抑止力”と言ったのは方便だったと言い出し(*3) 上掲記事の言う「鳩山証言」は、この頃のインタビューであろう。 )、しかる後に”方便”とは”真理に至る道”。”真理”とは”辺野古移設”とまで言い出した(*4)事実まで暗躍した外務、防衛官僚らの包囲陣の性にする心算かね。鳩山由紀夫は、その包囲陣とやらに「操られて」はいないのだろうに。

 「最低でも県外」を初めとして、鳩山由紀夫が何度も琉球新報軒を引くようなセリフを吐いたのは事実だろう。その「お気に入りの名せりふ」だけ聞いて、信じていれば「一言惚れ」を続ける事も出来るのだろう。事実、この社説からすると、続けているようだ。

 だが、良く目を見開いてみるが良い。鳩山由紀夫が、単なるリップサービス以上の努力を、掛け声をかける以上の事を、普天間基地移設問題に対して、実施した事あったか。

 無論、私はかねて公言する通り普天間基地移設問題については極めてドライに考えており、「県外移設なぞ論外」と主張して居る。だから沖縄タイムスとも、「最低でも県外」とも、真っ向から対立する立場にある。

 だが、鳩山由紀夫の普天間基地移設問題に対する取り組みの評価、「功績」評価は、そんな私の主張以前の問題だ。鳩山由紀夫には、本件に関し、一片の「功」も認める事が出来ないのである。

<注釈>  

(*1) 「ぬくぬく」さんも記事にしている通り、こやつの場合如何なる宣言も全く
信用できないのであるが。

(*2) 繰り返し過ぎで、いまさら繰り返すのも恥ずかしいが、






【参考】当ブログの普天間基地移設問題記事(抜粋)

 以下の普天間基地移設問題経緯シリーズは番号順になっており、(1)は「変心、変
身、また変針」まで遡る。

 (26)までの記事は以下URLに独立させた。