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 俗に「連帯責任は無責任」と言う。「誰某が責任者」と責任者が一意に決まって居る訳ではない、若しくは責任の序列が明確でない場合、「複数の責任者が並列する場合」、お互いに「自分以外の誰かがやるだろう/誰かが責任を取るだろう」と考え、結局誰も責任を取らない状態に陥る事を指す。まま、ありそうな話だし、ある話だ。だからこそ信賞必罰をことのほか重視する軍隊組織では指揮官=責任者/優先責任者は明確に示され、参謀や副官が補佐する事は有っても、責任は指揮官が一意に背負う。「連帯責任」だの「合議制」だのは基本的に無縁であり、仮に「参謀会議の多数決」で決断を下したとしても、その決断の責任は指揮官が取る。少なくとも、それが建前だ。
 
 従って軍隊の指揮系統と言うのは、一面「非民主的」である。端的に言えば「軍隊は民主主義で動くものではなく、民主主義で動かす必要もない。」と言う事である。
 
 軍隊の指揮系統は上記の如くであるが、政策を決める政治となると「民意」とか「民主主義」とかは重視され、幅を利かせてくる。私とて、我が国が曲がりなりにも民主主義体制を取っている事を寿ぎ、誇りとする者だ。だが、衆愚政治化や「民意の暴走」に対しては、民主主義は民主主義であるが故に厳戒が必要である。
 
 殊に、昨今「脱原発」「原発ゼロ」なんて美辞麗句ばかりが踊りまくる、我が国エネルギー政策については、最大限の注意が必要だろう。


転載開始========================================= 

①【産経・一筆多論】
政治的延命の道具とする悪質な菅氏の「脱原発」

2012.8.13 07:33 [一筆多論]   http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120813/stt12081307380000-n1.htm
「近いうち」に実施される衆院総選挙では、大半の候補者が「脱原発」もしくは「脱原発依存」を掲げる事態が予想される。すぐに「原発ゼロ」が可能だという政党や候補者を、安易に信用してはいけない。

「反消費増税と脱原発で戦える」ともくろむ“選挙が第一”の新党もそうだが、特に無責任で悪質なのは、自らの政治的延命と責任回避の道具として「脱原発」を言い出した菅直人前首相である。

そもそも、菅氏には「脱原発」を語る資格はない。

定期点検に入った原発が長期間停止している現在の異常な状態は、菅政権がストレステスト(耐性検査)を再稼働の条件として課したからだ。ストレステストを経た原発をすみやかに稼働させる責任は、条件を課した政府にあり、“言い出しっぺ”の菅氏は首相を退いても、同じ責任を負い続ける。

異例の首相要請で運転を停止させた中部電力浜岡原発の再稼働に関しては、菅氏の責任はさらに重い。

昨年5月の首相要請で菅氏は、東海地震の切迫性を理由に「防潮堤の設置など中長期の対策を確実に実施することが必要」として、浜岡原発の運転停止を求めた。法律上の規定のない首相要請であり、国会や民主党内での熟議を経たわけでもない。これを中部電力が受け入れた段階で、要請者としての責任と義務が生じている。

防潮堤の設置などの条件をクリアしたとき、浜岡原発の再稼働を保証する責任は、独断で超法規的な要請を突きつけた菅氏個人が負うのが筋だ。

9月に新設される原子力規制委員会のもとで、ストレステストをはじめとする原発再稼働の手続きは、粛々と厳格に進められなければならない。浜岡原発も、防潮堤の設置などの地震・津波対策が進められており、そう遠くないうちに再稼働の条件は整う。首相時代に背負った責任を放棄し、再稼働を妨げるような脱原発論を振りかざす菅氏は、政治的にも道義的にも許されるものではない。

原発事故から1年5カ月が過ぎた。福島の人たちの苦難を思い「原発は早くなくした方がいい」との心情を多くの人が抱くのは理解できるが、その心情につけ入ろうとする無責任な政治家に、日本の将来を託してはなるまい。

将来的に「原発ゼロ」を目指すにしろ、一定規模で維持するにしろ、私たちは原子力と向き合っていかなければならない。性急な脱原発で、原子力に背を向けるのは最も危険な選択だ。

日本が原発から撤退すると、原子力を制御する技術は核兵器保有国だけが持つことになる。強大な「原子力ムラ」になる恐れは生じないか。

核保有国と同等以上の技術力を持つことで「ムラ」の形成に歯止めをかけ、原子力の安全性向上と健全化に寄与できる国は日本だけだ。そのためには、原子力技術を向上させていく土壌が不可欠である。

脱原発を急ぐあまり、国際社会への大きな貢献の道を閉ざしてはならない。(論説委員・中本哲也)


②原発再稼働、政府関与せず=「電力会社が地元説明」-枝野経産相
  http://www.jiji.com/jc/zc?k=201209/2012092800456&rel=y&g=pol
 枝野幸男経済産業相は28日の閣議後記者会見で、原発の再稼働について「安全性について原子力規制委員会がゴーサインを出し、地元自治体の了解が得られれば重要な電源として活用する」と述べた。その上で、地元に再稼働の必要性を説明するのは「(電力)事業者だ」とし、政府が再稼働の判断に関与しない考えを示した。 
 枝野経産相は、原発について「革新的エネルギー・環境戦略の中で、原発依存からの脱却を図るまでの間、重要な電源ということで必要性は整理してある」と強調した。戦略策定前に再稼働を決めた関西電力大飯3、4号機とは異なり、今後は個々の原発の再稼働に当たり、政府による地元への説明は必要ないとした。(2012/09/28-12:22)


③新大綱策定、中止決定=原子力委は「重要課題に提言」  
 内閣府原子力委員会(近藤駿介委員長)は2日の定例会議で、今後の原子力利用の基本方針となる「原子力政策大綱」の策定取りやめを決定し、有識者らで構成する新大綱策定会議を同日付で廃止した。
 政府が9月にまとめた革新的エネルギー・環境戦略で、今後の原子力政策は関係閣僚による「エネルギー・環境会議」を中心に確立するとし、原子力委に関しては廃止を含め在り方を抜本的に見直すとした方針を受けた。
 1956年設置の原子力委が策定する原子力開発利用長期計画や原子力政策大綱を、基本方針として踏まえてきた日本の原子力行政は、大きく変更される。
 決定は「原子力政策の審議体制が変更されるのだから、新たな原子力政策大綱の策定を見合わせるのが適当」と指摘。今後の原子力委の役割については、原子力政策の重要課題ごとに提言を行うとした。
 新大綱策定会議は、2010年11月に発足。審議は今年5月を最後に中断し、原子力委は革新的エネルギー・環境戦略の決定を待ち、再開を判断するとしていた。(2012/10/02-12:01)


④「再稼働の判断しない」原子力規制委が見解

http://www.asahi.com/politics/update/1003/TKY201210030371.html?ref=reca
関連トピックス原子力発電所 会見で質問に答える原子力規制委員会の田中俊一委員長=3日、東京都内
 
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原子力規制委員会は3日、原発の再稼働について安全性を確認するのが役割で、再稼働するかどうかの判断はしないとの見解をまとめた。一方、政権は安全性を判断し再稼働を認めるのは規制委としており、原発の再稼働の判断をめぐる責任を丸投げした格好だ。 

この日、原子力規制委の田中俊一委員長は「規制委は科学的、技術的な見地から安全基準を満たしているかの確認をする立場。電力需給や経済的観点を含めた原発の稼働判断は事業者かエネルギー政策を担当する省庁にしていただくべきだ」と述べた。 

藤村修官房長官は3日の記者会見で「規制委が独立した立場から安全性を確認した原発は、重要な電源として活用する」と述べ、政権として判断にかかわらない考えを重ねて表明した。 


⑤前原氏「再稼働は規制委が判断」 政府関与を否定
 http://www.asahi.com/politics/update/1004/TKY201210040480.html?ref=reca
 
前原誠司国家戦略相は4日、政府が原発再稼働の是非を判断せず、原子力規制委員会が安全だと確認した原発を再稼働させる方針を示した。規制委は「再稼働の判断はしない」と訴えているが、このままでは規制委の安全審査を通った原発は地元の同意があれば自動的に動き出すことになる。 

前原氏は朝日新聞などのインタビューに答え、「独立性の高い規制委が安全だと決めたものをまた国で判断するのは論理矛盾。規制委に申し出る事業者は原発を動かしたいのだから、安全が担保されたら再稼働する」と明言した。「各電力会社の中で必要という前提で規制委にはかられるのだから、安全性が確保されれば重要な電源として活用していく」とも述べ、規制委が来年7月までに新しい安全基準をつくった後は再稼働を進めていく考えを示した。 

規制委の田中俊一委員長は原発の安全性を判断するだけで「再稼働判断は事業者か国にしていただく」と主張している。だが、野田政権は「安全性が確認されたら重要電源として活用する」(藤村修官房長官)として規制委に判断を丸投げし、再稼働をだれが決めるかが宙に浮いている。(榊原謙) 


=================================転載完了

「決められない政治」極まれり


 さて、如何だろうか。
 
 上掲5本の記事の内、上掲①を除く4本の記事は、要は「原発再稼働の判断を、現民主党政権も原子力規制委員もしようとしていない。」と言う事。両者とも、「原発再稼働を判断する責任を回避している」と言う事だ。
 このままの状態で行くと、上掲記事⑤にある通り、
 
⑤1〉 このままでは規制委の安全審査を通った原発は地元の同意があれば自動的に動き出すことになる。 
 
らしい。
 無論、再三繰り返すとおり私は福島原発事故を経てなお原発推進論者だ。上掲記事①にもある通り、「政権延命のために原発を稼働停止に追い込んでおいて、再稼働に責任を取ろうとしない現・民主党政権」に対しては改めて怒りを増すが、それは「怒りを増す」だけで済む。上記⑤1〉の通り、安全審査と地元同意で原発再稼働が出来るのならば、それは朗報だ。
 
 問題は、そうはならないんじゃないかと懸念される事で、それが本記事タイトルにも繋がってくる。
 
 左様、「原発再稼働を、国民投票にかけよう」とかなんとか言いだす輩が出てきて、さらに悪い事にそれが実施され、その結果で原発再稼働可否が決定されてしまう事が、私の最大の懸念だ。
 勿論その「国民投票の結果」が「原発再稼働否定」となり、原発を再稼働できない事も大きな懸念だ。だが、それ以上の懸念は、「原発再稼働可否」と言う我が国のエネルギー政策に関わる重大事を「国民投票に委ねる」と言う事は、「究極の連帯責任」であり、「誰も責任を取らない」事が火を見るよりも明らかな事だ。