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 当ブログでは、東京新聞を「脱原発原理主義者」と認定し、散々槍玉に挙げている。無論、今の日本で「何が何でも脱原発」を主張する脱原発原理主義者は、朝日、毎日、沖縄二紙と、枚挙に暇がないほどであるが、首長選挙の結果を直後に否定してまで脱原発を社説で求めた東京新聞ほどの原理主義ぶりはなかなか見られない。従って、東京新聞こそは脱原発原理主義の筆頭、と、私は考えている。



転載開始========================================= 

【東京新聞社説】原発ゼロ社会 電気代高騰は本当か
 http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2012090402000113.html
   2012年9月4日

 
二〇三〇年の原発比率を決める議論が大詰めだ。国民の多くが「原発ゼロ」を望む一方、政府内には電気代高騰や電力不足を招くとの慎重論がなお残る。だが、その主張にまやかしはないのか。

「原発ゼロ」でも電力不足が生じないのは、今夏が証明した。東京電力管内は猛暑日が連日続いたが供給力は勝り、西日本でも関西電力大飯原発の再稼働なしで電力が足りたのは周知の通りである。

では、電力料金高騰の方はどうか。政府は家庭の電気代について三〇年に原発ゼロとした場合、一〇年を月一万円とすると一万四千~二万一千円に跳ね上がる試算を示した。しかし、これは省エネ技術や節電行動を無視した、いわば“非現実的な数字”である。

省エネ対策を研究する独立行政法人、科学技術振興機構によると、例えば消費電力が多い家電を一九九五年製と〇五年製で比較すると、消費電力はエアコンで43%減、冷蔵庫は実に72%減だった。

こうした省エネ性能の向上や節電の広がり、さらに次世代自動車や省エネ住宅などの普及予測から、年間の総電力消費量は現行の一・一兆キロワット時から〇・八兆キロワット時に約27%下がるとみている(政府予測は一兆キロワット時)。

発電単価が高くなっても家庭の電力消費が大きく減るので、電気代は今より半減も可能と主張する。家電などの買い替えを前提としているが、省エネ技術を無視したり、逆に消費電力の大きい粗鋼生産量をかさ上げするような政府試算よりはよほど信頼できよう。

大阪府市エネルギー戦略会議に提出された自然エネルギー財団の試算も、家庭で約三割節電すれば、電気代は一〇年と変わらないとの結果だった。

こうした試算以外にも、電力会社の地域独占など非効率を改めれば電気代は下げられる。再生可能エネルギーも、市場参入を促し、技術革新や量産化で発電コストの引き下げを目指すべきだ。

何より原発は「安全神話」が崩壊した瞬間に、政府が最安としてきた「経済性神話」も崩れ去った。同財団は福島事故の損害賠償や除染が二十兆~七十五兆円に上り、立地対策費などを適切に反映させれば、原子力の発電コストが最も高くなると指摘した。

国民の過半が原発ゼロを望む重い覚悟を受け止めるべきだ。政府が方針を決めれば、民間や国民は知恵を絞り、工夫を重ねよう。それが日本の国民性である。


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「節電と工夫で脱原発と言うペナルティーを克服しよう」と言う精神論


 さて、如何だろうか。
 
 当該東京新聞射設は、タイトルからして「原発ゼロ社会 電気代高騰は本当か」である。ならば、当該社説から「原発ゼロ社会にも拘らず電気代高騰が生じない」と言う主張の根拠を抽出すると、以下の通りとなろう。
 
1〉 これ(電気代高騰を示す試算)は省エネ技術や節電行動を無視した、いわば“非現実的な数字”である。
 
2〉 省エネ性能の向上や節電の広がり、さらに次世代自動車や省エネ住宅などの普及予測から、
3〉年間の総電力消費量は現行の一・一兆キロワット時から〇・八兆キロワット時に約27%下がるとみている(政府予測は一兆キロワット時)。

4〉大阪府市エネルギー戦略会議に提出された自然エネルギー財団の試算も、家庭で約三割節電すれば、電気代は一〇年と変わらないとの結果だった。

5〉 電力会社の地域独占など非効率を改めれば電気代は下げられる。
6〉再生可能エネルギーも、市場参入を促し、技術革新や量産化で発電コストの引き下げを目指すべきだ。

 上記のように、あれこれと羅列されているようであるが、突き詰めると上記1〉にある「省エネ技術」と「節電行動」。さらに突き詰めれば「電力需要圧縮」の一言に尽きよう。上記4〉に端的に表れている通り、「電力単価が2倍に跳ね上がっても、消費電力が半分になれば、電気代は変わらない」と言う理屈だ。
 
 一応は理屈である。一応でも理屈であるだけ、脱原発原理主義者にしては原理主義的ではない、とは言えよう。
 
 だがしかし、その「一応の理屈」は所詮屁理屈だ。何故ならば、「電力需要圧縮」は本来電力コストの圧縮であり、国際競争力の強化につながってしかるべきであるのに、電力単価高騰のためにそうはならないのが「電気代は変わらない」と言う状況だ。だから、上記1〉~6〉の「電療需要圧縮」だけでは説得力不足で、下記のように「原発電力コストの高騰」に言及しなければならない。

7〉 同財団は福島事故の損害賠償や除染が二十兆~七十五兆円に上り、立地対策費などを適切に反映させれば、原子力の発電コストが最も高くなると指摘した。

 しかしながら、これまたひどい屁理屈だ。原発による発電コストに「事故による除染費用」をあらかじめ織り込む訳が無い。実際に新たな事故が生起するまで、我が国以外で原子力が最も安価な発電力である事は、福島原発事故後の現在でも変わらない。
 日本は福島原発事故を「起こしてしまった」からその除染費用を「繰り込めば日本としてのげ発発電コストが上がる」と言うだけの話。事故を起こした福島原発よりも安全な原発は今後建設・運用できるし、そう考えればこそ世界は新規原発建設計画に満ち溢れている。「シェールガスで火力発電コストが劇的に安くなる」と一部で主張されるアメリカでさえ、スリーマイル事故以来初となる原発新規建設が始動しているのだ。
 
 原発発電コストは、今でも安いし魅力的なのである。少なくとも、脱原発原理主義者以外にとっては。

 さらには、魅力的であるかどうかは恣意的基準であるが、電力コストが安価か高価かは定量的に評価できる客観的基準だ。少なくとも大事故が生起するまで安価に供給できる原発発電量で以って、我が国が採用する(*1)省エネ技術を採用すれば、さらに電力コストを圧縮できるのは自明である。
 
 言い換えれば、少なくとも福島原発事故のような大事故を次に生起するまでの原発発電と、原発ゼロへの対策として日本が採用する省エネ技術を採用した国は、最も安価な電力コストと言う国際競争力を入手できる。その国に対して「原発ゼロを目指して電力需要圧縮で電気代高騰を抑える」程度しかできない我が国は、大変な国際競争力上のハンデを背負うことになろう。
 
 「脱原発で原発ゼロ」などと言う愚行を行わなければ、その競争力の大半は我が国のものでもあったはずなのに、だ。
 
 斯様な我が国の国際競争力と言う視点が、当該東京新聞社説には全く欠けている。ひたすら「我が国の電気料金」の話に終始し、議論を局限化・矮小化することで「脱原発・原発ゼロによる電力単価高騰」と言う大問題を小さく見せ、上記6>に至っては何の根拠も示さずに「再生可能エネルギーで薔薇色の未来」を掲げている。
 
 ま、脱原発原理主義者が屁理屈なりとも理屈を付けた所に「長足の進歩」を認めるべきなのかも知れないが、やっぱり脱原発原理主義者は、原理主義者でしかないのである。



<注釈>

(*1) それは、脱原発なんかしなくても採用される技術であろうが。