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 東京新聞と言えば、「三アカ新聞」の中には入っていないが、脱原発原理主義の筆頭として、再三当ブログでは取り上げている。
 
 今回の社説もまた、脱原発原理主義を裏書きしているようだ。
 
 
転載開始=========================================
【東京社説】「浜岡」住民投票 熟した民意の表れだ
 http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2012083102000136.html
2012年8月31日

 浜岡原発(御前崎市)再稼働の是非を問う住民投票条例の制定に、静岡県知事が賛意を表明した。政府も「過半が脱原発を望む」と国民的議論を総括。福島事故から一年半。民意は熟しつつある。
 十六万五千百二十七人の「民意」は、重い。
 福島第一原発事故のあと、原発再稼働の是非をめぐって住民投票を求める市民の動きが盛んになった。だが、大阪市では五万人、東京都では三十二万人を超える有効署名がありながら、それぞれ議会が条例案を否決した。橋下徹市長、石原慎太郎都知事とも反対意見を付けていた。静岡県の川勝平太知事も従来、再稼働は「マルかバツの単純な問題ではない」などとして、住民投票には、消極的な立場を取ってきた。
 選挙で選ばれた首長や議員は「代表制の否定だ」と、住民投票を嫌う傾向がある。「直接民主主義はまだ地に着いていない」という川勝知事の言葉もあった。
 しかし、福島事故からやがて一年半、国民は原発事故の惨状を目の当たりにし、福島県民の悲しみを感じ取り、電力会社や国の事故対応を見守ってきた。ましてや、静岡県は長年、東海大地震の脅威に向き合ってきた土地柄だ。二十九日には南海トラフの巨大地震で浜岡原発を最大十九メートルの津波が襲うと公表された。署名は、一時の感情によるものではありえない。生活実感からにじみ出た、やむにやまれぬ行動であり、積もり積もった危機感の表れなのだ。
 「今を生きる大人の責任として、原発問題とはしっかり向き合わなければならない」。川勝知事に県民投票への賛同を求める手紙を手渡した母親グループの言葉である。住民はただ反対を唱えるだけでなく、自らが使うエネルギーの選択も含め、原発問題の現実に真っすぐ向き合おうとし始めたのだ。それは二〇三〇年の原発比率をめぐる「国民的議論」の結果にも、色濃く表れたばかりである。
 原発関連の住民投票条例は、一九八二年の高知県窪川町(現四万十町)以来、七市町村で制定された。このうち、新設をめぐって、九六年の新潟県巻町(現新潟市)と〇一年の三重県海山町(現紀北町)、〇一年には使用済み燃料を再利用するプルサーマル計画の是非を問う新潟県刈羽村でも実施され、いずれも計画中止の契機になった。
 今度は、静岡県議会が署名簿と真摯(しんし)に向き合って、その重みをよく考える番ではないか。
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一見正論、実はダブルスタンダード

 さて、如何だろうか。
 
 章題にもしたが、一見正論である。だが、その「一見」もかなり怪しい。なにしろ、当該社説が「熟した民意の表れ」とタイトルにもして絶賛するのは、
 
1〉 浜岡原発(御前崎市)再稼働の是非を問う住民投票条例の制定に、静岡県知事が賛意を表明した
 
・・・これだけである。前提条件として「住民投票条例の制定を求める署名が集まった」と言う事があるようだが、当該社説にもある通り、住民投票条例の可否を決めるのは静岡県議会であるし、東京と大阪の同様の署名は各議会によって拒絶されている。
 
2〉 静岡県の川勝平太知事も従来、再稼働は「マルかバツの単純な問題ではない」などとして、
3〉住民投票には、消極的な立場を取ってきた。
 
と言うから、「従来消極的だった」静岡県知事が住民投票肯定派に「転向」したのだから、東京新聞としてはうれしい限りなのかも知れない。
 まあ、それだけならば、「一見正論」ないし「正論」なだけで、「ダブルスタンダード」にはならないんだが…なにしろ東京新聞には輝かしい実績がある。東京新聞の社説、まさしく東京新聞の新聞としての意見を表明する社説で、「住民投票を求める署名」どころか、公式選挙の結果を真っ向から否定し、その選挙で当選した候補者に対し「脱原発への転向」を求めた事例が、少なくとも二回ある。
 
 一回は、脱原発を前面に押し立てた候補に対し原発容認派の候補が勝った上関町長選(*1)。この時は町内融和のために脱原発に転向しろと、堂々と主張していた。
 
 二回目は先ごろの山口県知事選。こちらではやはり脱原発を前面に押し立てた候補が敗れたが、あれこれ「曲解」して、「脱原発とオスプレイ配備反対は不磨の大典・金科玉条と言わんばかりの独断と偏見に満ちた主張をなし(*2)、脱原発原理主義の原理主義ぶりを見せつけた。
 
 その東京新聞が、同じ社説で以って、今度は「署名運動は民意だから従え」と浜岡原発再稼働可否住民投票を実施しろと今回の社説ではぬかしている
 
 左様「ぬかしている」で沢山だ。己の都合の良い結果には「民意だぁ!」と盾に取り、己に都合の悪い結果には「町内融和」だの「曲解するな」だのと否定する、そのダブルスタンダードぶり、脱原発原理主義ぶりには、「ぬかしている」でも勿体ないぐらいだ。
 
 かくもダブルスタンダードが明確であっては、当該社説単独には未だあった「一見正論」さえ雲散霧消しよう。
 
 原理主義者に何言っても無駄だろうが…如何に、東京新聞。 
 

<注釈>

(*1) (1)「脱原発」の自己目的化-東京新聞社説「上関町長選 原発マネーと別れよう」を斬る!  http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/36039847.html 
 
(*2) 東京新聞の遠吠え―東京社説「山口県知事選 地域の選択 曲解するな」を斬る!  : http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/37342967.html