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 朝日新聞の事を、当ブログでは「三アカ新聞筆頭」と呼びならわしている。無論悪口であり、蔑称だ。そんなアカ新聞・朝日がベトナムへの原発輸出を題材に国益を論じるというと、こんな主張になるようだ。

転載開始========================================= 
【朝日社説 8/24】ベトナムに原発―国益不明の輸出やめよ  
 閣僚がベトナムを相次いで訪れ、原発建設への協力を念押ししている。政府は国内では脱原発依存を掲げる一方、輸出は促進する。そこに整合性はない。
 枝野幸男経済産業相はハノイで、原発事故が起きた際の損害賠償制度の整備に協力する覚書に署名した。「福島第一原発の事故の教訓をふまえ、世界最高水準の安全性を備えた原発建設で協力したい」という。
 だが、福島の事故は原因の究明も道半ばだ。必要になる賠償が、これからどこまで広がるかもわからない。自分のところがそんな状況で、他国に何を教えると約束できるのか。
 政府は2030年の原発割合を0%、15%、20~25%とする三つの選択肢を示している。
 枝野氏は、原発ゼロに前向きな発言をするかたわら、輸出の旗を振っている。その姿勢はわかりにくい。
 原発の建設・運営は、廃炉や廃棄物処理までを考えると、他の事業とは比べものにならないほど長期にわたる営みだ。
 いったん事故があれば、被害は甚大かつ長期に及ぶことが福島で改めて示された。
 民間が自力で造るわけではない。性格が新幹線や道路、港湾などとは大きく異なるのに、政府がインフラ輸出の一環として取り組むことが問題だ。
 輸出といえば商行為に聞こえるが、事前の調査から日本政府の丸抱えだ。約1兆円とされる事業費の大部分は、日本の公金で低利融資される。技術者育成も支援する。ベトナム側は廃棄物処理への協力も求めている。
 事故があったときの責任分担は決まっていない。だが、これだけ深くかかわれば、責任も相当に負うことになろう。
 成長戦略の名の下に、関係する日本企業の売り上げは増え、利益があがるかもしれない。
 しかし国民全体が背負うリスクは途方もない。国益に資するとはとても思えない。
 一党独裁のベトナムでは、言論や表現の自由が制限されている。他の事業以上に求められる原発建設の透明性はまったく担保されていない。
 導入可能性調査は日本原子力発電が随意契約で受注したが、調査結果は契約上、非公開という。費用20億円は全額日本政府の負担だが、日本国民はその内容を知ることもできない。
 メディアや研究者がニントアン省の予定地を訪れることさえベトナム政府はほとんど認めない。原発反対の署名を呼びかけたブログは一時閉鎖された。
 両国民に必要な情報も開示されない事業は打ち切るべきだ。
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朝日が国益を論じる怪

  さて、如何だろうか。
 
 まず「国益」なんて言葉が肯定的な意味で朝日新聞射設に登場したことを喜ぼう。何しろアカ新聞の朝日ときた日には、中国や北朝鮮の「外国益」に資することはあっても、我が国の国益を肯定増強するような主張はついぞ為した記憶がないような、「反国益主義」と言いたくなるような主張ばかり。その朝日の主張たる社説で、「(日本の)国益を肯定」されるとは、「望外の喜び」と言っても良いぐらいだ。
 
 ただし、そこは朝日新聞・三アカ新聞筆頭だから、「国益」の定義は私とは異なるようだ。
 まず、当該社説に「国益」が登場するのは以下の一節唯一カ所のみ。
 
1>  事故があったときの責任分担は決まっていない。だが、これだけ深くかかわれば、責任も相当に負うことになろう。
2> 成長戦略の名の下に、関係する日本企業の売り上げは増え、利益があがるかもしれない。
3> しかし国民全体が背負うリスクは途方もない。国益に資するとはとても思えない。
 上記1>~3>より、当該社説では「 国益 = 日本企業の利益 - 国民全体が背負うリスク 」として居るらしい事が判る。また、「国民全体が背負うリスク」とは上記1〉「事故があったときの責任分担」であろうと推定できる。
 だが、上記1〉で朝日社説が認める通り「事故があったときの責任分担は決まっていない」のならば、上記1〉「責任も相当に負うことになろう」と予想しようとも、一体それは幾らなのかどころか「国民全体が背負うリスク」かどうか、具体的には「原発事故が発生した場合の補償を日本の税金で賄うのか否か」すら未だ不明である。だから当該社説のタイトルも国益不明の輸出やめよと、「不明」と言うあいまい表現になって居る訳だが…単刀直入に言って、「輸出は国益を目的とはしていない」だろう。
 ごく単純には「輸出は日本企業の利益を目的としている」のであり、その目的は当該社説も上記2〉で(しぶしぶ)認める通り、ベトナムへの原発輸出で達せられる見込みだ。
 無論、「国益に反する輸出」には問題あろうが、「国益不明」が「原発輸出反対」の理由になると理解できるのは、脱原発原理主義者だけだろう。私なんぞにはサッパリ判らない。現状から言えることは、「事故があったときの責任分担は決まっていないが、不利益とならないように注意が必要だ」が精々の所だ。
 
 「国益不明」以外の「ベトナムへの原発輸出反対理由」となると、当該社説に上がるのは、以下の諸点のみ。
 
 ① 政府は国内では脱原発依存を掲げる一方、輸出は促進する。そこに整合性はない。
 
 ② 福島の事故は原因の究明も道半ばだ。必要になる賠償が、これからどこまで広がるかもわからない。
 
 ③ 一党独裁のベトナムでは、言論や表現の自由が制限されている。両国民に必要な情報も開示されない事業は打ち切るべきだ。
 
 端的に言って、支離滅裂である。
 
 特に、上記③はイチャモンに近い。「他の事業以上に求められる原発建設の透明性」などと言い訳しているが、一党独裁なのも「言論や表現の自由が制限されている」のもベトナム政府の勝手で今に始まった事ではないし、この論理に従えば「ベトナムの公共事業日本企業は応じてはいけない」と言う主張の筈である。これ即ちベトナムに対する限定的経済封鎖であり、「一党独裁と言論・表現の自由が制限されている事に対する経済制裁」を主張している…筈である。
 「一党独裁と言論・表現の自由が制限されている事に対する経済制裁」と言う理屈で言うならば、ベトナムどころか中国に対してこそ実施しなければならない筈だ。無論我が国が中国に原発を輸出する計画はないが、公共事業ならばいくらもある。それをやめよ、中止せよと、朝日新聞は主張するのであるな。
 
 上記②も酷いものだ。「福島原発事故原因究明が道半ば」であろうとも、ベトナムの原発がその原因究明を待つか否かはベトナム政府の判断であるし、日本側としてはその時点で判明している教訓を反映すれば責任は果たせる。
 「これからどこまで広がるかもわからない賠償」の相当部分は風評被害であるし、上記1〉で当該社説自身認める通り「事故があったときの責任分担は決まっていない」。タイトルが「国益不明」となったのも、そのためであろう。
 
 ああ、上記①だけは私も同意できるな。「国内では脱原発依存を掲げる」のと「原発輸出は促進する」のは相反する脱原発を決めたドイツはシーメンス社が、さっさと原子力事業から撤退した(*1)事実が、端的にその矛盾を表している。
 だから、原発輸出もやめよと言うのが、当然ながら脱原発原理主義者・朝日の主張だ。
 が、「宗教が異なる」私は当然別の解釈をする。「国内では脱原発依存を掲げる」のと「原発輸出は促進する」のは相反するのだから、「やめるべきは国内の脱原発依存の方だ(*2)」と断じる。少なくとも上記①、「ベトナムへの原発輸出反対理由」としては、甚だ弱い。
 まあ、本当に日本が脱原発を決めてしまったならば、原子力技術の民間維持なぞ不可能であろうから、ほぼ自動的に「ベトナムへの原発輸出」は中断されてしまうだろうが、それはそれこそ輪が国益を確実に損ねる事態である。「国益不明」どころではないぞ。
 

<注釈>

(*1) ドイツ降伏-独シーメンス社 原子力事業から撤退   http://www.afpbb.com/article/economy/2828751/7793213
 
(*2) 私の原発推進論―または私が福島原発事故を経てなお原発を推進する理由。―前進せよ、人類。   http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/35630668.html