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「民意を聞く」「民意に従う」と言うと、なんだか「良い事」のように聞こえる。が、そうではないと喝破したのは、以前記事に取り上げた産経記事「賢者に聞く」の哲学者・適菜収氏だった(*1)。「「民意に従え」は政治の自殺」と銘打ったタイトルは一見過激だし、「議会の仕事は民意の暴走を抑えること」と言う論旨はある意味「民主主義の否定」ではあるが、真に卓見であったと再確認させてくれたのが、以下転載する毎日新聞社説だ。
<注釈>
(*1) 【賢者に学ぶ】哲学者・適菜収 「民意に従え」は政治の自殺 http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120706/plc12070603110001-n1.htm
転載開始=========================================【毎日社説】:原発選択肢 道筋を示すのは政治だ
http://mainichi.jp/opinion/news/20120824k0000m070145000c.html
毎日新聞 2012年08月24日 02時31分
2030年時点の原発比率をどれぐらいにするか。新たなエネルギー政策の決定に向け、政府が実施した複数の調査の結果がまとまった。全国11都市で開いた「意見聴取会」や「パブリックコメント」、「討論型世論調査(DP)」の結果で、いずれも、「原発比率ゼロ」の支持者がもっとも多い。
これらの調査が「国民を代表する意見」といえるわけではない。意見聴取会やパブリックコメントは、積極的に考えを述べたい人の意見表明だ。DPは最初に無作為抽出で対象者を選んでいるが、討論に参加したのは希望者だ。偏りがあることは念頭におく必要がある。
それでも、多様な方法で国民の意見を聞いたことを評価したい。野田佳彦首相が脱原発を訴える市民団体と面会したのもよい決断だった。「原発をゼロに」という国民の切なる希望をしっかり受け止めてほしい。
その上で、大事なのは、なぜ、人々がそれぞれの選択肢を選んだのか、それぞれの調査の特徴を踏まえた上で中身をよく分析し、国民の考えを丁寧にくみ取ることだ。
たとえばDPは、通常の世論調査と違い、「熟議」を経た民意を探るのが目的だ。小グループの討議と専門家への質問を経て、意見の変化をみるもので、「原発比率ゼロ」を支持する意見が増えた。「原発比率15%」の支持は減少した。
準備期間が短く、討論資料や専門家の準備が不十分だったという問題はある。参加者の年齢層や性別に偏りもあった。それでも、討議と質問を経て、「原発ゼロ」の比率が増えたことには大きな意味がある。
「15%」は、既存の原発に40年廃炉をあてはめた数字だ。政府は有力視してきたが、将来の原発ゼロをめざす途中経過なのか、原発維持の途中経過なのか、はっきりしない。人々は、こうしたあいまいなメッセージに不信感を抱いたのではないか。
DPの分析では、原発比率の選択に当たり、電力の安定供給やコストなどに比べ、安全の確保に重きを置く傾向があることもわかった。政府は、この点もしっかり受け止めなくてはならない。
これらの調査結果をどのように政策決定に生かしていくか。政府が今もってはっきりさせていないことも問題だ。民意の、どこを、どう受け止めたのか。原発を減らすに当たり、困難な課題をどう乗り越えるのか。責任ある政治として道筋をはっきり示さなくてはならない。
DPの結果は、原発ゼロを採用した場合に、高コストを受け入れ、生活スタイルも変えるという、国民の覚悟を示しているという。政治も覚悟を決める時だ。
=========================================
何と無責任である事か!
さて、如何だろうか。
当該毎日社説を要約すると、次の二項に尽きよう。
① 民意だから原発ゼロを目標にしろ。
② 原発ゼロを達成する方法は政府が考えろ。
なあ、オイ、毎日新聞よ。無理かも知れないが頭ぁ冷やして考えてみるが良い。「年金倍にして、消費税ゼロにします。」と言う「政策」を誰かが言い出したとしよう。財源の裏づけも新たな税制のアイディアも何にもなしに、だ。で、この「政策」が、意見聴取会やパブリックコメントで「国民の支持」を受けた、と仮にしよう。
【Q1】その場合、「年金倍増・消費税ゼロは、民意だから政府は従え。そのための方法は政府が考えろ。」と、毎日新聞は社説に掲げ、主張するのか。その主張は、章題にもした通り、極めて無責任な主張であろう(*1)。
ああ、毎日新聞が左様な社説を掲げることは十分ありうる事態か。だがそれは、大衆迎合にして衆愚政治への入り口、「パンと見世物をよこせ!」と言う「古代ローマ市民の民意」と何がどれほど違うのかね。
① 民意だから原発ゼロを目標にしろ。
② 原発ゼロを達成する方法は政府が考えろ。
なあ、オイ、毎日新聞よ。無理かも知れないが頭ぁ冷やして考えてみるが良い。「年金倍にして、消費税ゼロにします。」と言う「政策」を誰かが言い出したとしよう。財源の裏づけも新たな税制のアイディアも何にもなしに、だ。で、この「政策」が、意見聴取会やパブリックコメントで「国民の支持」を受けた、と仮にしよう。
【Q1】その場合、「年金倍増・消費税ゼロは、民意だから政府は従え。そのための方法は政府が考えろ。」と、毎日新聞は社説に掲げ、主張するのか。その主張は、章題にもした通り、極めて無責任な主張であろう(*1)。
ああ、毎日新聞が左様な社説を掲げることは十分ありうる事態か。だがそれは、大衆迎合にして衆愚政治への入り口、「パンと見世物をよこせ!」と言う「古代ローマ市民の民意」と何がどれほど違うのかね。
あるいは、こう聞いても良いかもしれない。
【Q2】「意見聴取会」や「パブリックコメント」、「討論型世論調査(DP)」の結果が逆に出た場合、やはり毎日新聞は「民意に従え!」と主張したか?
上掲社説の通り「国民の考えを丁寧にくみ取ること」を要求するならば、それは「国民の考え如何に関わらずくみ取る」モノでなければ、理屈に合わない。だが、毎日新聞が上記【Q2】に対し「Yes,民意に従って原発容認論を主張する」と回答するとは、想像しがたい。何故ならば毎日と同じ穴のムジナ・脱原発原理主義者たる東京新聞なんぞは堂々と「選挙結果なぞ無視して脱原発しろ」と社説で主張してしまっているからだ(*2)。
当該社説は、以下の一文でその社説を〆る。
毎1〉 DPの結果は、原発ゼロを採用した場合に、高コストを受け入れ、生活スタイルも変えるという、国民の覚悟を示しているという。
毎2〉 政治も覚悟を決める時だ。
タイトルにもした通り、当該社説の「民意至上主義」も胡散臭いことこの上ないが、上記毎1〉~毎2〉に現れた「討論型世論調査(DP)結果こそが民意」と言う主張はそれに輪をかけて胡散臭い。「胡散臭い」と言うのは「為にする主張ではないかと言う疑問」であり、上記【Q2】と同様に「脱原発に都合が良いから「民意に従え」と主張しているのではないか、と言う疑問」である。
而して、究極のところは、【Q3】「政府は、民意如きに従ってエネルギー政策を決めるべきか?」と言う根源的疑問に帰着する。それは、以前記事にもした「脱原発デモに国会は屈するべきか?」と同根の疑問である。
無論「民意如き」と言う表現そのものが「反民主的」である事は否めない。だが逆に「民主的に民意で決めた事」が無謬=誤りがないなんて事はありえない。神ならぬ身の人が為す事に無謬を求めるのは誤りであるし(*3)、「民主的に民意で決めた事ならば皆の責任」と言う主張も成り立ちそうだが、「連帯責任は無責任」とさえ言われるのだから、「民意で決めた事」には「誰も何の責任も取らない」事は確実だろう。
「誤判断・誤決定の責任を取らせる」のが目的ではない。だが須らく判断・決定は「誤判断・誤決定」である可能性がある以上、「誤判断・誤決定」を減らす努力・方策は必要だ。
毎日新聞や東京新聞が主張する「民意至上主義」は、「誤判断・誤決定」を増やすか減らすかは議論の余地があろうが、「誤判断・誤決定の責任を回避しうる」事は間違いない、究極の責任回避策だ。
であるならば、前党首たる管直人や前々党首たる鳩山由紀夫にあまた事例がある通り、責任回避と責任逃避を第二の天性とする民主党が、「民意に従って脱原発」を宣する可能性は多分にあると言わざるを得ないし、左様な事態を毎日新聞、東京新聞らは歓迎するだろう。
かつて、民主党政権誕生による「政権交代」を、大歓迎したように(*4)。
【Q2】「意見聴取会」や「パブリックコメント」、「討論型世論調査(DP)」の結果が逆に出た場合、やはり毎日新聞は「民意に従え!」と主張したか?
上掲社説の通り「国民の考えを丁寧にくみ取ること」を要求するならば、それは「国民の考え如何に関わらずくみ取る」モノでなければ、理屈に合わない。だが、毎日新聞が上記【Q2】に対し「Yes,民意に従って原発容認論を主張する」と回答するとは、想像しがたい。何故ならば毎日と同じ穴のムジナ・脱原発原理主義者たる東京新聞なんぞは堂々と「選挙結果なぞ無視して脱原発しろ」と社説で主張してしまっているからだ(*2)。
当該社説は、以下の一文でその社説を〆る。
毎1〉 DPの結果は、原発ゼロを採用した場合に、高コストを受け入れ、生活スタイルも変えるという、国民の覚悟を示しているという。
毎2〉 政治も覚悟を決める時だ。
タイトルにもした通り、当該社説の「民意至上主義」も胡散臭いことこの上ないが、上記毎1〉~毎2〉に現れた「討論型世論調査(DP)結果こそが民意」と言う主張はそれに輪をかけて胡散臭い。「胡散臭い」と言うのは「為にする主張ではないかと言う疑問」であり、上記【Q2】と同様に「脱原発に都合が良いから「民意に従え」と主張しているのではないか、と言う疑問」である。
而して、究極のところは、【Q3】「政府は、民意如きに従ってエネルギー政策を決めるべきか?」と言う根源的疑問に帰着する。それは、以前記事にもした「脱原発デモに国会は屈するべきか?」と同根の疑問である。
無論「民意如き」と言う表現そのものが「反民主的」である事は否めない。だが逆に「民主的に民意で決めた事」が無謬=誤りがないなんて事はありえない。神ならぬ身の人が為す事に無謬を求めるのは誤りであるし(*3)、「民主的に民意で決めた事ならば皆の責任」と言う主張も成り立ちそうだが、「連帯責任は無責任」とさえ言われるのだから、「民意で決めた事」には「誰も何の責任も取らない」事は確実だろう。
「誤判断・誤決定の責任を取らせる」のが目的ではない。だが須らく判断・決定は「誤判断・誤決定」である可能性がある以上、「誤判断・誤決定」を減らす努力・方策は必要だ。
毎日新聞や東京新聞が主張する「民意至上主義」は、「誤判断・誤決定」を増やすか減らすかは議論の余地があろうが、「誤判断・誤決定の責任を回避しうる」事は間違いない、究極の責任回避策だ。
であるならば、前党首たる管直人や前々党首たる鳩山由紀夫にあまた事例がある通り、責任回避と責任逃避を第二の天性とする民主党が、「民意に従って脱原発」を宣する可能性は多分にあると言わざるを得ないし、左様な事態を毎日新聞、東京新聞らは歓迎するだろう。
かつて、民主党政権誕生による「政権交代」を、大歓迎したように(*4)。
(*1) ああ、民主党が先の衆院選挙に於いて、左様な無責任な主張を「マニュフェスト」として掲げていたのは事実だし、そのマニュフェストで先の衆院選挙に民主党が大勝したのは「民意」だ。だが、だからと言って左様な主張が無責任でなくなる訳ではない。
無論、左様な無責任な主張をベンベンと受け入れて、そんな無責任な主張を為す党を政権与党の座につけてしまう「民意」もまた、大問題なのであるが。(*2) 「脱原発」の自己目的化-東京新聞社説「上関町長選 原発マネーと別れよう」を斬る! http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/36039847.html(*3) それは、かつての共産主義のように「建前上無謬=誤りの隠ぺい」にしかなりえない。
<参考>当ブログの民主主義関連記事
(1) 民主主義概論民主主義は絶対善ではない。だが次善ではある。 http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/34312605.html
(2)真の民主主義国家は最強である(楽観的観測) http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/23943306.html
(5)「一書に曰く」-日本書紀に見る、異説を排さぬ知恵- http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/21306445.html