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【琉球新報社説】オスプレイ情報戦 配備ありきで納得できない
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-196083-storytopic-11.html
2012年8月25日
米軍と海兵隊の幹部が最近、インタビューなどに応じ、10月に普天間飛行場での本格運用を目指している垂直離着陸輸送機MV22オスプレイの安全性を強調している。
デンプシー統合参謀本部議長は「人口の多い地域の近くでも安全運用できると保証したい」と強調し、エイモス米海兵隊総司令官は「事故率は他機種と比べても低い」と述べた。根拠をまともに示さず、何と厚かましい発言だろう。
さらにグラッグ在沖米四軍調整官は共同通信のインタビューに対し、死者や200万ドル以上の損害が出た「クラスA」の10万飛行時間当たりの事故率でオスプレイがほかの米軍機と比べて低い部類に入ると指摘し「最も安全な航空機を開発できた」と胸を張った。
しかし事故率が低いという主張はすでに破綻している。海兵隊が今月公表したMV22の2001年10月から12年7月にかけて起きた中・小規模のクラスB、Cクラスの飛行場での発生や飛行中の事故率をみると、海兵隊の航空機の平均を上回っている。
また海兵隊はクラスAの分類を当初は損害100万ドル以上としていたが、09年以降は200万ドル以上に変更し、事故率を低く見積もるよう工作していた。数合わせのようなことをして「安全だ」と言われても誰が信用するだろうか。県民を愚弄(ぐろう)するにもほどがある。
モロッコの墜落事故について米側は「マニュアルに反した操縦ミスによる事故で、機体に問題はなかった」としている。しかし海兵隊側はフライトコンピューターが制御していたことを説明し「今回の場合、操縦士に権限がなく、操縦かんを引いても機体を制御する動作が伝達できない」とも言っている。これで機体に問題がないと言われ、誰が納得できよう。
人為的ミスだとしてもアフガニスタンのCV22の墜落事故はどう説明するのか。操縦していたのは指導員資格を持つ「空軍の中で最も経験豊富な優秀な人物」だった。指導的立場の操縦士が事故を起こすならば、米軍の操縦士の大半が「欠陥操縦士」ということにならないか。
しかし、オスプレイについては米側の専門家から安全性への懸念が指摘されている。「安全」を強弁している場合ではないだろう。大事故を招く前に沖縄配備そのものを見直すべきだ。
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オスプレイは5年前から配備されていますが、何か?
オスプレイが墜落事故を起こすのは沖縄限定ではないし、一旦墜落事故が起こればオスプレイに乗っているパイロットと米軍人が真っ先に被害をこうむる。
にも拘らず、「オスプレイの危険性」を訴えて、「オスプレイの欠陥除去」でもなければ「オスプレイの製造中止」ですらなく、「沖縄配備中止」だけ主張する。それ即ち「オスプレイがいくら危険な欠陥機でも、沖縄にさえ来なければ良い」という主張であり、「米軍人や沖縄以外の基地周辺住民が、オスプレイ墜落事故でいくら死のうが知った事ではない」という宣言・公言だ。
「沖縄はゆすりの名人だ」という発言が問題視されたことがあったが、少なくとも琉球新報は「人非人といえるほどの利己主義」を自認している訳だ。
これに比べれば、以下の諸点なぞ、些事だな。
(1) 「クラスA事故の定義変更」はオスプレイにのみ適用されるものではないし、その定義変更は「死亡事故の件数」を変えない。
(2) 「クラスB,C事故の件数・事故率はオスプレイが海兵隊平均を上回る」と言うが「オスプレイのクラスA事故は海兵隊平均を下回っている」事を考えれば言いがかりに近い。第一、「オスプレイよりもクラスA事故率が高く、クラスB,C事故率が低い」機種を、「オスプレイよりも安全」と、琉球新報は主張するのか。
(3) 「事故原因は人為ミス」については当該社説内で訳の判らない事になっているようで、空軍のCV-22墜落事故に話をすり替えている。当該事故については「ホバリング高度制限を守らなかったため」とする説もあり、「作戦上の要求から、腕に覚えのパイロットがホバリング高度制限を犯してホバリングを強行」と言う状況も想像しうる。そうであれば「事故原因は人為ミス」と言う事故が「指導員資格を持つパイロット」によって引き起こされる事はありえよう。
1〉指導的立場の操縦士が事故を起こすならば、米軍の操縦士の大半が「欠陥操縦士」ということにならないか。
と言う琉球新報社説の主張は、甚だ想像力を欠いている(*1)。
(4) 2〉オスプレイについては米側の専門家から安全性への懸念が指摘されている。
言論の自由が保障された自由世界の専門家だ。ピンからキリまでいるのは勿論、「オスプレイの安全性への懸念を指摘」する者もあろうさ。専門家とて無謬ではありえないし、専門家の立場に立てば「安全性への懸念」を表明したほうが「安全側」と言う事も出来よう。
問題は、その「オスプレイの安全性への懸念」が妥当なものであるか、否かであり、斯様に社説に「専門家の指摘」を取り上げる以上、その妥当性を最低限検証する責任が琉球新報にはあるのだが…とてもじゃないが、「妥当性・信憑性を検証した」とは想像すらしがたい。
<注釈>
(*1) それって、新聞記者と言う商売にとっては、それこそ「構造的欠陥」にあたらないか?