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タイトルにはしたが、「脱原発」に限らず一般的に「原理主義」と言うものは「度し難い」ものである。
「原理主義」とは「原理・原則を最優先とし、それ以外の大概のものを無視してしまう主義主張」と定義できよう。原理・原則以外のものは無視されてしまうのだから、反論どころか異論異説、さらには疑念・疑問すらも否定されてしまい、議論も説得も説伏もあったものではない。勿論その「原理・原則」を実施する上でのコストやデメリットや傍迷惑なんてものは度外視だ。「馬鹿につける薬はない」と言うが、原理主義者につける薬もこの世にはなさそうだ。
原理・原則を最優先とし、それ以外の大概のものを無視してしまうのが「原理主義」であるから、その「原理」として祭り上げられるモノは、宗教や宗教的原典である事が多いのだが、昨今の福島原発事故を契機とする放射能ヒステリー・反原発アレルギーは「脱原発」なんて物をそんな「原理」に祭り上げてしまったようだ。
ああ、これも先に言っておくべきだな。私は、福島原発事故を経てなお原発推進論者だ。「我が国の脱原発なぞ愚挙にして暴挙」と批難し続けているし、そんな愚挙にして暴挙である脱原発を「最優先すべき原理」に祭り上げてしまっている「脱原発原理主義者」何ざぁ正真正銘掛け値なしの「愚の骨頂」だと思っている。
「原理主義」とは「原理・原則を最優先とし、それ以外の大概のものを無視してしまう主義主張」と定義できよう。原理・原則以外のものは無視されてしまうのだから、反論どころか異論異説、さらには疑念・疑問すらも否定されてしまい、議論も説得も説伏もあったものではない。勿論その「原理・原則」を実施する上でのコストやデメリットや傍迷惑なんてものは度外視だ。「馬鹿につける薬はない」と言うが、原理主義者につける薬もこの世にはなさそうだ。
原理・原則を最優先とし、それ以外の大概のものを無視してしまうのが「原理主義」であるから、その「原理」として祭り上げられるモノは、宗教や宗教的原典である事が多いのだが、昨今の福島原発事故を契機とする放射能ヒステリー・反原発アレルギーは「脱原発」なんて物をそんな「原理」に祭り上げてしまったようだ。
ああ、これも先に言っておくべきだな。私は、福島原発事故を経てなお原発推進論者だ。「我が国の脱原発なぞ愚挙にして暴挙」と批難し続けているし、そんな愚挙にして暴挙である脱原発を「最優先すべき原理」に祭り上げてしまっている「脱原発原理主義者」何ざぁ正真正銘掛け値なしの「愚の骨頂」だと思っている。
転載開始=========================================【毎日社説】:廃炉事業 国の責任で前進させよ
http://mainichi.jp/opinion/news/20120822k0000m070127000c.html
毎日新聞 2012年08月22日 02時31分
「脱原発依存」の議論に伴い、原発施設の解体・撤去・除染といった廃炉の本格化を求める声が強まっている。ただ廃炉自体は、原子力への依存度を仮に維持したとしても、設備の老朽化により当面、確実に増えていくものだ。安全かつ効率的に行う技術やノウハウを国として意識的に高め、蓄積していく必要がある。
国内では「運転開始から40年で廃炉」を原則とすることになった。一方、世界には現在、400基を超える原子炉が運転中で、今後、先進国を中心に“高齢炉”が次々と寿命を迎える。まさにこれから、国内外で本格的な廃炉時代に入るのだ。
さて、その時代への備えが日本にできているだろうか。
国内の商業炉で実際に廃炉工程にあるのは、今のところ日本原子力発電の東海発電所のみである。1966年に運転を開始した日本初の商業用原発だ。98年に運転を終え、01年に廃炉作業が始まった。計画では、20年に完了することになっている。
だが、大きな難題が立ちはだかっている。解体により発生する放射性廃棄物の埋設処分先が未定なのだ。
炉心やその近辺の設備は放射能レベルが高いため、約10年かけて放射能の減衰を待ち、解体に入ることになっている。この間、タービンや発電機など炉心から遠い設備を撤去する。ところが、14年開始予定の炉心近くの本格作業は、そこから出る廃棄物の処分先を確保するまで着手できないことになっている。
日本原電の自主ルールと言うが、処分場が決まらないと、廃炉作業が中断しかねないのだ。
廃炉は、各電力会社の責任で行う、というのが国の基本方針である。しかし、安全性確保や周辺住民の説得などを考えると、処分場は国が選定や管理の責任を持つのが筋だ。
特に廃棄物の中でも地中50~100メートルの深さで300~400年管理することになっている炉心関連廃棄物の埋設を、長期的な保証がない民間企業に任せるというのでは、地域住民も不安で容認できないだろう。
廃炉は、放射能管理など特殊なノウハウを必要とする。東海発電所での経験を他の発電所で生かすなど、技術を戦略的に集積していく方法を考えた方がよい。競争力がつけば増大が見込まれる海外での需要もビジネスとして取り込むことができるのではないか。
だが、国内で放射性廃棄物の処分問題が解決しなければ必要な経験も積めない。政府が民間任せや先送りで逃げていては、廃炉分野でも他の先進国に先を越されてしまう。=================================転載完了
原理主義とは、知性と理性の敗北である
さて、如何だろうか。
当該社説を要約するならば、「処分地を含む廃炉技術の確立を、国の主導で進めろ」と言う事になろう。この主張自身は尤もらしい主張であるし、原理主義的でもなければ、脱原発原理主義的でも無い。
だが、毎日新聞はこれまでの数多の社説で散々「脱原発」を推進している。当該社説には直接「脱原発」主張は出て来ないが、
1> 世界には現在、400基を超える原子炉が運転中で、今後、先進国を中心に“高齢炉”が次々と寿命を迎える。
2> まさにこれから、国内外で本格的な廃炉時代に入るのだ。
と言う一節にその「脱原発主張」の片鱗を見るべきだろう。再三記事にもして居る通り、福島原発事故で「脱原発」を始めたのはドイツとスイスだけであり、アメリカ、フランス、ロシア、中国、韓国、ベトナム、トルコ等など多くの国が新規原発建設を計画中であるぐらいだから、「まだ稼動できる原発を停止して廃炉にする」例は「400基を超える原子炉」の内極少数だ。が、上記1>「今後、先進国を中心に“高齢炉”が次々と寿命を迎える。」と言う表現は、「脱原発と言う主張・理想と新規原発計画目白押しで全く「脱原発」でない世界と言う現実との乖離」を巧みに回避している。
無論、「ちっとも脱原発しない世界」と言う現実は、「次々建設される原発」を意味し、今後は現在の「400基を超える」どころではない原発が世界で稼動するであろう事を意味するから、「廃炉ビジネス」と言う点では市場の拡大であり、歓迎すべき事態の筈である。
だがそうすると・・・毎日社説が散々日本政府に要求する「脱原発」は、日本政府限定の要求であって、日本以外の諸外国に対しては要求しない事になる。これ即ちダブルスタンダードと言うやつなんだが、どうなんだね、毎日新聞。
毎日新聞が「脱原発」を要求する対象がどうあれ、問題は、「廃炉ビジネス如きで原子力技術を維持できるか」と言う事だ。少なくとも、ドイツ・ジーメンス社は維持できないと考えた。だから、ドイツが脱原発を宣言すると、「ドイツ本国は脱原発するが、原発輸出は続ける」なんて虫の良いドイツ政府を尻目にさっさと原発ビジネスからの撤退=原子力技術の放棄を決めた(*1)。
当該毎日社説には、そんな問題点は欠片も出て来ない。処分場の問題が出て来るばかりで、原子力技術を商業的に維持できるのが前提であり、今まで多くの毎日「脱原発」社説からするならば「脱原発が実施され、原発ビジネスが消滅した日本で」即ち「廃炉ビジネスのみ」で原子力技術を商業的に維持できるのが前提になっている。若しくは、「商業的に維持できない、商売にならない状態になっても今の原発メーカーが原子力技術を維持し続けること」が前提だ。
原発メーカーが「脱原発原理主義」に染まっていればそんな事態もありうるかも知れない(*2)。だが、普通に考えれば、「脱原発実施してしまった日本」では、原発メーカーはドイツ・ジーメンス社と同様に「商売にならない=ビジネスとして維持できない」原子力技術は放棄するだろう。
何しろ上掲社説は、以下の一文で得意顔にその社説を〆てしまうのだ。
1> 世界には現在、400基を超える原子炉が運転中で、今後、先進国を中心に“高齢炉”が次々と寿命を迎える。
2> まさにこれから、国内外で本格的な廃炉時代に入るのだ。
と言う一節にその「脱原発主張」の片鱗を見るべきだろう。再三記事にもして居る通り、福島原発事故で「脱原発」を始めたのはドイツとスイスだけであり、アメリカ、フランス、ロシア、中国、韓国、ベトナム、トルコ等など多くの国が新規原発建設を計画中であるぐらいだから、「まだ稼動できる原発を停止して廃炉にする」例は「400基を超える原子炉」の内極少数だ。が、上記1>「今後、先進国を中心に“高齢炉”が次々と寿命を迎える。」と言う表現は、「脱原発と言う主張・理想と新規原発計画目白押しで全く「脱原発」でない世界と言う現実との乖離」を巧みに回避している。
無論、「ちっとも脱原発しない世界」と言う現実は、「次々建設される原発」を意味し、今後は現在の「400基を超える」どころではない原発が世界で稼動するであろう事を意味するから、「廃炉ビジネス」と言う点では市場の拡大であり、歓迎すべき事態の筈である。
だがそうすると・・・毎日社説が散々日本政府に要求する「脱原発」は、日本政府限定の要求であって、日本以外の諸外国に対しては要求しない事になる。これ即ちダブルスタンダードと言うやつなんだが、どうなんだね、毎日新聞。
毎日新聞が「脱原発」を要求する対象がどうあれ、問題は、「廃炉ビジネス如きで原子力技術を維持できるか」と言う事だ。少なくとも、ドイツ・ジーメンス社は維持できないと考えた。だから、ドイツが脱原発を宣言すると、「ドイツ本国は脱原発するが、原発輸出は続ける」なんて虫の良いドイツ政府を尻目にさっさと原発ビジネスからの撤退=原子力技術の放棄を決めた(*1)。
当該毎日社説には、そんな問題点は欠片も出て来ない。処分場の問題が出て来るばかりで、原子力技術を商業的に維持できるのが前提であり、今まで多くの毎日「脱原発」社説からするならば「脱原発が実施され、原発ビジネスが消滅した日本で」即ち「廃炉ビジネスのみ」で原子力技術を商業的に維持できるのが前提になっている。若しくは、「商業的に維持できない、商売にならない状態になっても今の原発メーカーが原子力技術を維持し続けること」が前提だ。
原発メーカーが「脱原発原理主義」に染まっていればそんな事態もありうるかも知れない(*2)。だが、普通に考えれば、「脱原発実施してしまった日本」では、原発メーカーはドイツ・ジーメンス社と同様に「商売にならない=ビジネスとして維持できない」原子力技術は放棄するだろう。
何しろ上掲社説は、以下の一文で得意顔にその社説を〆てしまうのだ。
3> 政府が民間任せや先送りで逃げていては、
4> 廃炉分野でも他の先進国に先を越されてしまう。
4> 廃炉分野でも他の先進国に先を越されてしまう。
上記4>は、「他の先進国」、恐らくはフランスやアメリカが「脱原発」なんて暴挙に走らず、原発と原子力技術を合理的に経済的に維持するからである。脱原発なんて暴挙に走らず、今後も増えるであろう世界中の原発を建造し、運転し、発電して利益を上げ続ける「他の先進国」に対し、毎日の主張どおり「脱原発を実施してしまった」日本の政府が、何をどう主導すれば太刀打ちできるだけの競争力ある「原子力技術」を維持しうると言うのか、毎日新聞社説は。
逆に、脱原発を散々主張しながら、ドイツ・ジーメンス社の事例は全く無視して「脱原発した日本での原子力技術維持」を前提とした「廃炉ビジネス」それも国際的競争力を持ち「輸出」まで出来てしまう「廃炉ビジネス」を夢想・空想してしまえるからこそ、「毎日新聞は脱原発原理主義だ」と私は断じるのだ。
再三繰り返すとおり、私は福島原発事故を経てなお原発推進論者だ。だが、「原発推進論原理主義者」ではない。これも再三繰り返すとおり、国のエネルギー政策の目的は「電力の安定供給」であり、原発も火力も水力も、「今をときめく」太陽光発電や風力発電も、電力供給の手段であり、「電力の安定供給」の為の手段だ。
逆に、脱原発を散々主張しながら、ドイツ・ジーメンス社の事例は全く無視して「脱原発した日本での原子力技術維持」を前提とした「廃炉ビジネス」それも国際的競争力を持ち「輸出」まで出来てしまう「廃炉ビジネス」を夢想・空想してしまえるからこそ、「毎日新聞は脱原発原理主義だ」と私は断じるのだ。
再三繰り返すとおり、私は福島原発事故を経てなお原発推進論者だ。だが、「原発推進論原理主義者」ではない。これも再三繰り返すとおり、国のエネルギー政策の目的は「電力の安定供給」であり、原発も火力も水力も、「今をときめく」太陽光発電や風力発電も、電力供給の手段であり、「電力の安定供給」の為の手段だ。
電力の安定供給の為にどう発電手段を組み合わせるか、が問題であり、原子力発電は見通せる将来に渡って欠くべからざる電力供給の大黒柱と断じるが故の「今なお原発推進論(*3)」である。「今をときめく」太陽光発電や風力発電は、現状では屁の突っ張りにしかならず(*4)、夢の大容量蓄電技術が実現したとしても原理的に広大な敷地面積を必要とする(*5)。
あえて繰り返そう。
我が国の脱原発なぞ、愚挙にして暴挙である。
あえて繰り返そう。
我が国の脱原発なぞ、愚挙にして暴挙である。
<注釈>
(*1) ドイツ降伏-独シーメンス社 原子力事業から撤退 http://www.afpbb.com/article/economy/2828751/7793213 http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/36006950.html(*2) それ即ち、「脱原発」と言う「宗教的熱狂」を以って原子力技術を(コスト度外視で)維持している状態である。が、そんな状態では、原子力技術を維持するのが精一杯で、「原子力技術の発展」なんてのは望めそうにないから、早晩「他の脱原発なんてしない先進国に追い越されるだろう。(*3) 私の原発推進論―または私が福島原発事故を経てなお原発を推進する理由。―前進せよ、人類。 http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/35630668.html(*4) 私の「自然エネルギー推進論」―フクシマ後も原発推進の立場から― http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/35778036.html http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/35778053.html http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/35778071.html