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 8月15日は通称「終戦記念日」。だが、私はこの呼称が気に入らない。昭和20年8月15日に我が国はポツダム宣言を受諾し、大東亜戦争(太平洋戦争)はここに終結したわけだが、我が国にとってそれは単に「終戦」ではなく、「敗戦」であり、なおかつ「終戦」にせよ「敗戦」にせよ、「記念」すべき日とは思われない。故に「終戦記念日」という呼称は、我が国においては否定されるべき、と考える。

 呼称はどうあれ、この日に我が国が大東亜戦争(太平洋戦争)に敗北したのは歴史的事実であり、それを決定づけたのが昭和天皇陛下の玉音放送である事は、大凡衆目の一致するところだろう。古来、終戦・休戦というのは容易ならず油断ならざるものであり、敗北した方の軍が速やかに戦闘停止し武装解除に粛々と応じる方が希有なぐらいだ。たとえば、ドイツ帝国海軍大海艦隊は、第1次大戦終結後に英国スカパ・フロー港にて全艦自沈して見せている。無論これは戦闘行為ではないが戦利品にされることを免れるために艦艇を破棄した行動である。
 
 大東亜戦争終結後の我が帝国陸海軍は、世界史上でも珍しいぐらいに見事に戦闘停止し、武装解除に応じた例であるが、それでも「玉音放送後の戦闘行為」は幾つかある。今回取り上げる宇垣長官突入が、その一つであることは、残念ながら認めないといけない。

 「残念ながら」というのは、宇垣長官突入が、単純に「休戦後の戦闘継続=休戦違反」とは断じ難いから、だ。

 宇垣纏(うがき まとめ)中将は大東亜戦争(太平洋戦争)終戦時の第5航空艦隊司令にして開戦時の連合艦隊参謀長。山本五十六長官を補佐して真珠湾攻撃等緒戦の戦功あるも、それ以降の敗戦に責を感じ、最終的には5航艦司令として神風特攻隊に攻撃を命じる立場にあった。
 
 神風特別攻撃隊。KAMIKAZEとして英単語にもなっているのは、爆弾を装備した有人機が操縦者諸とも艦船に体当たり攻撃を掛けるその戦術のインパクト故だろう。むろん操縦者は爆弾装備した機体で体当たりするのだから、生還はまず絶望的。これに比べれば、爆撃機に戦闘機で体当たり攻撃をかけるドイツの突撃飛行隊や、我が帝国陸軍航空隊の対B-29体当たり攻撃の方が、まだ生還する可能性があるぐらいだ。「一機で一艦葬る」を合い言葉とし、またその合い言葉が時に実現するからこそ、大東亜戦争末期の帝国陸海軍で採用された戦術が神風攻撃であり、そのための特別攻撃機も設計製造され、実戦投入されたものもある。

 「非人道的」と神風攻撃を非難するのはたやすい。「統帥の極致」とも「統帥の外道」とも呼ばれる。だが、大東亜戦争後半、アメリカ軍のすさまじい物量と組織化されたレーダー網と管制された迎撃体制、それに当時世界で最も濃密な対空放火を犯して戦果を挙げるのは、当時の最新衛技術を以てしても至難の技。況や我が国は、研究開発試作までは世界ドップクラスの技術を幾つも擁するが、まだ量産技術ではアメリカに後れをとる状態だった。「神風以外の攻撃方法では、損害に大差なくして戦果皆無」となりかねない部隊がすでに相当部分を占めていた、と考えるべきだろう。
 無論、最後まで体当たり攻撃を拒否し、通常攻撃で相応の戦果を挙げた部隊もある。それはそれで立派なことだ。だが、そうはできない状態の部隊が、神風攻撃を、体当たり攻撃を、拒否すべきであったとも拒否できたとも私は考えない。

 戦争というものは、負けそうになったら、損害が大きくなったら、その時点で投了できる碁や将棋ではない。その程度で投了してしまう例、国も確かにあるが、ろくなものではないし、ろくな事にならない。

 我らが先人は、先人の多くは、通常攻撃では戦果が挙がらない状態に陥り、体当たり攻撃・神風攻撃と言う非常手段に踏みきった。ただ「神風特別攻撃隊」を編成し、実戦投入したばかりでなく、それを組織的に、継続的に行った。それ故に「統帥の極致」とも「統帥の外道」とも言われるのであるが、組織的・継続的に神風特別攻撃隊という文字通りの「決死」隊を編成し、実戦投入し続けたのは紛れもない史実である。
 しこうして、その紛れもない史実・神風特別攻撃隊は、今そこにある抑止力として我が国の安全保障に寄与している。それ即ち、我らが「神風特攻隊の末裔」であるが故に。

 湾岸戦争の頃だったか、佐貫亦男のエッセイに「神風キッズはもう居ない」とあったのを見たときには「此処に居るわい!」と大いに憤慨したものだが、「神風キッズ」なんてコンセプトが現代にあると言うこと自体が、神風攻撃隊と言う史実が、我が国の文化的財産であることを示している。

 さて、神風特攻隊の話ではなくて、宇垣長官の話をしていたんだっけ。
 
 先述の通り終戦時宇垣長官は第5航空艦隊司令。「航空艦隊」司令とは言い条、空母も艦載機乗りも壊滅した大戦末期にあっては実質基地航空隊を指揮する司令官であり、配下からあまたの神風特攻隊を出撃させていた。
 玉音放送に接して敗戦を知った宇垣長官は、その責を全うしようと自ら米艦隊に突入することを決め、五機出撃準備するよう命じた。

 「自分一人で死ぬのなら、一人で突入しろよ。」と言うのは一応道理だが、そりゃ日本国が負けるという事態がどれほど重大か理解しない、平時の戦後の考え方だ。滑走を圧するエンジン音に、不審に思った宇垣長官が滑走路に出ると、ズラリ並んだ彗星艦爆は・・・十一機。

 「五機と命じたはずだが。」問いかける宇垣長官に、部下の答えて曰く。
 「長官自ら突入されるのに、五機という法がありますか。我々は、稼働全機でお供します。」

 稼働全機十一機と言うのも泣けてくる。それも彗星でも比較的稼働率の良い空冷エンジン搭載33型でもこの体たらく。それでもその稼働全機で「長官突入」に応えようと言う部下たち。此処に見るべきは「非人道性」や「休戦違反」とは、私には到底思われぬ。見るべきは、日本的な美しさであり、大和魂であろう。

 宇垣長官曰く、
 「神州の不滅を信じ、気の毒なれど世の供を命ず。参れ。」

 かくして彗星艦爆11機は、帝国海軍最後の神風攻撃を掛けるべく、離陸した。
 その離陸滑走中の写真がある。ちょっと変わった写真だ。彗星は艦爆で、二人乗り。普通、操縦者と偵察員はペアを組んで乗り込む。大戦末期の帝国海軍に長官専用機なんてものはなく、長官専従操縦者なんてものはもっとない。宇垣長官自身は操縦できないから、宇垣長官突入となれば、操縦者が必要で、そのペアである偵察員はあぶれて地上に置いてけぼりになる・・・筈だった。
 「ラッキー!助かったぜ!!」なんてのは戦後の考えだ。残されそうな偵察員の方は収まらないのが当時。結果、二人乗りの彗星に、長官機だけは3人乗り。偵察員と宇垣長官が、窮屈そうに後席に収まり、離陸滑走中の写真がある。
 「稼働全機でお供する」心意気が伝わってくる写真だ。
 
 11機で離陸した宇垣長官直卒の帝国海軍最後の神風特攻隊は、3機が故障等で不時着したが、8機を以て沖縄の敵艦船群に突入した。時に昭和20年8月15日。