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感性定性のみ、数字すらなし

 さて、如何だろうか。

 先ず真っ先に言わねばなるまい。こんな文章を、琉球新報は、会社の主張として掲げるのだな、と。
 
 そんなことを改めて問うのは言うまでもない。この「琉球新報社説」として掲げられた文章の、森本防衛相に対する個人攻撃の品性下劣さ故、だ。「お里が知れる」とか、「育ちが判る」と言うのは、こういう文章を指すのだと、改めて痛感する次第。ま、「以って他山の石とせよ」と言う天啓かとも思われるほど。
 
1>  今回、危険性の指摘が森本氏にできると予想していたのは、1億人余の国民に1人もいるまい。
2> 茶番劇はたくさんだ。防衛官僚と米国の振り付け通りのお芝居に、国民が付き合わされるいわれはない。
3> 訪米に要した税金を返してもらいたい。
 
 「オスプレイは危険だぁ!」と騒ぐばかりでロクに何が危険かさえ指摘しない(※1)でいる奴バラよりは、アメリカに乗り込んでオスプレイに試乗して見せる方が遥かに意義があろう。オスプレイの低い事故率から、「そんな試乗はパフォーマンスに過ぎない」と言う批判は幾らもできようが、沖縄二紙らが「危険だ!」と騒ぎ立てるオスプレイに短時間とは言え「乗ってみせる」事は、少なくとも「身体を張ったパフォーマンス」とは、琉球新報とて認めざるをえまい。
 
 逆に「森本防衛相は身体を張っている」と認めざるを得ないからこそ「税金の無駄だ!」とかナントカな難癖をつけている、と、私には思われる。第一、渡米費用が無駄だと言うならば、今オスプレイがある岩国で試乗したならば、琉球新報は歓迎したのかね。(※2)
 
 これが当該社説の終盤、〆の部分となるとさらに酷くなる。
 
4>  県民の生命より米国のご機嫌取りを優先する人物に、大臣たる資格はない。
5> 森本氏は「飛行の安全をどのように確認したか説明したい」と述べた。
6> これで何かを確認したとは噴飯物だ。
7> 沖縄に来る必要はない。市谷の防衛省にあるヘリパッドで、思うさま訓練すればよい。
 
 正直言って、私は他人の悪口、特に現・民主党政権や菅直人や鳩山由紀夫の悪口を言わせたら、おさおさ人にひけは取らないだろうと言う秘かな自負を持っている。それぐらい罵詈雑言に関しては自信がある。だが、そんな私でも、上記7>の琉球新報が森本防衛相に投げつける捨て台詞は、いただけない。
 
 先ず第一に、全体の文脈からすると、此処で琉球新報が「森本防衛相は市ヶ谷防衛相のヘリパッドで思うさま訓練しろ」と言っているのは、「オスプレイに乗って」である事は先ず間違いない。他の機種は当該社説には一切登場しないのだから、他に解釈のしようがない。
 なおかつ、当該社説の中ほどで琉球新報は、「オスプレイのオートローテーション機能欠如」を糾弾し、「構造的欠陥」と断じている。即ち上記7>の捨て台詞は、「森本防衛相は危険なオスプレイに乗り続けて、事故で死ね。」と要求しているのに等しい。統計学的には森本防衛相がオスプレイに乗って死亡事故に遭遇するまでには約5万飛行時間・約2100日間・約6年間ほどもぶっ続けにオスプレイに載っていなければならないが、「構造的欠陥を有する危険なオスプレイ」を信じる琉球新報は、もっと早く森本防衛相が墜落死亡事故に巻き込まれる物と予想/期待しているのだろう。
 だが、オスプレイにせよ他の航空機にせよ、市ヶ谷防衛省ヘリパッドを離発着する航空機が墜落事故を起こすとなると、被害は搭乗員だけで済む可能性は低い。何しろ世界でも有数の、普天間なんぞより遥かに人口密集し高層化した東京都の墜落事故だ。防衛省はじめとする高層ビルにも事欠かない。下手すれば墜落するオスプレイが高層ビルに衝突し、「9.11ニューヨーク国際貿易センタービル崩壊」の二の舞を演じかねない。
 言い換えれば、上記7>琉球新報の捨て台詞は、「森本防衛相はオスプレイ墜落事故で死ね」ばかりか「東京都民はその墜落事故に巻き込まれて死ね」と言う呪詛に他ならない。
 ああ、市ヶ谷ならば、靖国神社も程近いな。そうすると「靖国神社とその鎮守の森は、全焼して灰になれ」と言う呪詛さえ、含んでいるかもしれない。
 
 斯様に考えると、琉球新報のこの一文、「品性下劣」とか「お里が知れる」では済みそうにないな。ああ、「正体暴露」ではありそうだ。
 
 ま、それは兎も角。
 
 そんな品性下劣な琉球新報社説を態々取り上げたのは、琉球新報社説のレベルの低さを楽しむ為ではない (※3)。そこに珍しく「オスプレイは危険だ!」と主張する根拠が書かれていたからだ。即ち、以下の部分である。
 
8>  オスプレイはオートローテーション(自動回転)機能の欠如がかねて指摘されている。
9> エンジンが停止した際、機体降下で生じる空気抵抗で回転翼を回して安全に着陸する機能のことだ。
10>  オスプレイは固定翼のときに地面にぶつからないようにするため、プロペラの直径を長くできないから、安全に着陸するのに必要な空気抵抗が得られないのだ。
11> しかも機体は従来機より重いから、なおさら危険なのである。
12>  米国の技術専門家も指摘するこの問題は、回転翼機と固定翼機を兼ねるからには逃れられない構造的欠陥だ。
13> この欠陥が「無い」と証明できない限り、安全性の実証にはならない。
 
 さて、上記の通り琉球新報は「オスプレイにはオートローテーション機能がない」事を楯に取り、上記13>の通り、「オスプレイにオートローテーション機能がある事が証明されない限り、安全性の実証にはならない」と息巻いている。オートローテーション機能は回転翼機独特の機能であり、固定翼機には薬にしたくも無い機能であることには触れず、上記12>でオスプレイが「回転翼機と固定翼機を兼ねる」事を認めながら、あくまでも「オートローテーション機能=回転翼機としての安全性実証」を要求する。
 
 ソリャそうだろう。「あくまでもオスプレイのオートローテーション機能欠如は欠陥だ!」と主張し続ければ、「オスプレイは危険だ!」と主張できるのだから。
 
 だが、琉球新報自身が上記12>で認める通り、チルトローター機であるオスプレイは固定翼機と回転翼機を兼ねる機体である。それ故に、以前「ぬくぬく」さんからご指摘あったとおり、オートローテーション機能は要求されない。オスプレイについて言うならば、オートローテーション機能は「制限つきである」のだが、「制限つき」だから、「ないと同じだぁぁぁ!」と琉球新報が主張するだろうことは目に見えている。オートローテーション機能の、オスプレイにとっての意味・意義さえ理解しようとはしないから。
 
 当たり前だが、回転翼機はローター・回転翼で飛んでいる。こいつを回転させている限りは飛べるが、エンジンが停止したら、ローターに動力は伝わらない。回転翼機では、固定翼機のような「滑空」は出来ないから、オートローテーションで不時着するしかない。回転翼機にとって、オートローテション機能は、不時着の為の最後の手段だ。
 
 オスプレイはチルトローター機だ。回転翼機と固定翼機、両方の特徴を持つ。固定翼機モードからの不時着は、他の固定翼機同様に滑空による。尚且つオスプレイは双発双ローターで、双ローターは機械的にリンクしているから、片発停止時でも飛行できるし、固定翼機モード/回転翼機モードの変換も可能だ。
 
 であるならば、オスプレイにとってオートローテーション機能が意味を持つのは、①オスプレイが回転翼機モードにあり 且つ ②双発エンジン同時停止 した場合だけ。この場合だけオスプレイの[制限つきオートローテーション機能」が活かせるか否かが問題となり、活かせなければ墜落事故に至ろう。
 だが、「双発エンジン同時停止」と言う事象は、「一つのエンジンが停止する」より格段に可能性が低い。単純には「一つのエンジンが停止する確率」の二乗が「双発エンジン同時停止の確率」だ。一頃、「日本の戦闘機は安全性の高い双発機でなければならない」などと言われたのは、「双発エンジン同時停止の可能性が低い=双発機の安全性が単発機よりも高い」ためだった。
 而して、墜落事故の原因はエンジン停止ばかりではない。オートローテーション機能が「制限つき」であるオスプレイは、双発エンジン同時停止と言う事態に際し双発ヘリコプターよりも危険である、とは言えるが、「だからオスプレイは危険だぁぁ!!」と断じるのは、「木を見て森を見ない」議論であり、針小棒大も甚だしい。双発ヘリコプターとオスプレイの危険性比較は、当然共通の土俵で行うべきであるが、「オートローテーション機能の有無」などと言う、オスプレイにとっては1ケースにしか過ぎない局面で、決せられる訳がない。
 
 安全性比較の指標として、民間軍用を問わず用いられるのが事故率である。より具体的には「10万飛行時間あたりの死亡事故件数」であり、この指標ならば航空機の機種毎は勿論、民間航空会社の安全性比較も出来る。オスプレイのオートローテーション機能「欠如」が安全性に影響するならば、高い事故率となって現れる筈だ。オスプレイは既に配備開始から5年を経て、相応の配備数も飛行時間も実戦経験も積んでいる。その結果が「1.93」と言う、海兵隊配備機平均をも下回る事故率・立派な実績だ。
 
 無論、琉球新報が主張するように「重大事故の定義」を変えたり、或いは極端な話、死亡者数まで含めた重大な事故隠しがあれば、このオスプレイの「低い事故率」は変動するだろう。特に後者が発覚したら、急騰する事もありえよう。
 
 だが、重要なのは、オスプレイの安全性を論じるのに、当該琉球新報社説のような感情論や定性論、ドンブリ勘定と浪花節では、まともに評価できようがない、と言う事である。冷静に定量的に評価してこそ、客観性も説得力も生まれよう。

 オスプレイは固定翼気と回転翼機の特性を併せ持つ、画期的な輸送機である。尚且つ定量的に冷静に評価するならば、軍用輸送機として充分な安全性を確保している。そのオスプレイが「危険だ!」と主張するならば、その根拠もまた定量的に冷静でなければ、「安全神話を崩す」どころかまともな議論にさえなるまい。「事故が続いているから心配だ」と言う浪花節は、「縁起が悪い」と言えるぐらいがせいぜいだ。
 
 琉球新報の品性下劣な個人攻撃と誹謗中傷如きで、オスプレイの安全性・「安全神話」に、掠り傷さえ負わせられるものか。
 
 如何に、琉球新報。


<注釈>

(※1) 当該琉球新報社説の中に「オスプレイの危険性」が珍しく「指摘」されているが、こいつについては後述する。 

(※2) 後述するように「森本防衛相が市ヶ谷・防衛省でオスプレイの飛行訓練をする」事は歓迎するのだから、「沖縄以外」である岩国でのオスプレイ市場飛行ならば、大歓迎したかも知れない。 

(※3) 琉球新報は朝日と違って「昨日と今日の社説しかネット上に無料では公開しない」なんてせこい事はしないから、相当な数の社説をネット上から無料で閲覧できる。http://ryukyushimpo.jp/news/storytopic-11.html