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 第四パラグラフは最終パラグラフ。当該社説の「〆」だ。「新しい平和と繁栄」なんてご大層な章題が付いている。だが、その最終パラグラフ冒頭は次の一文だ。
 
朝4>  脱原発をグローバルな潮流にする試みが、核不拡散、核廃絶の双方にプラスとなる。そこにもっと着目すべきだ。 
 
 上記朝4>から、いくつかのことが判る。
 
 ① 「脱原発」は「グローバルな潮流」ではない。朝日社説ですらそう認識している。現状が「脱原発はグローバルな潮流ではない」からこそ、「グローバルな潮流にする試み」が為せる。朝日の認識は、脱原発原理主義の東京よりはマシ、と言う事か。
 
 ② 「世界が脱原発となることで、核不拡散・核廃絶が進む」と、朝日は主張している。
 
 上記①当ブログでも幾つも記事にしたところ(*1)。朝日と現状認識を、それも「脱原発の世界的状況」なんていう点で共有できてしまうとは、望外の喜びだ。
 
 だが同時にそれは、上記②朝日主張の非現実性・空虚さ・お為ごかし・お花畑を鮮明にする。ま、「脱原発」如きとつるんだところで「核廃絶」なんて「理想」が、僅かなりとも「現実に近づく」訳は無いのであるが。
 
 だが、朝日はそうは考えないらしい。
 
朝5>  核兵器を持たず、しかも脱原発を選ぶ国を、再生可能エネルギーや効率的な天然ガス利用などで国際的に支援する。 
朝6>  非核でいることのメリットを、原発ではない電源による国づくりへと切り替えていく。
朝7> それを通じて、核廃絶と地球温暖化防止の一挙両得をねらうのである。
 
 「そうは考えない」即ち「脱原発と核廃絶の統合は有効」と朝日が考えている事、だけはわかる。だが、何をどう考えるとそれが「有効」なのか、上記朝5>~朝7>からはサッパリ判らない。上記朝5>で言う「再生可能なエネルギー」で現状役立つのは水力だけだし(*2)、水力発電所は立地条件からして制限がある。「効率的な天然ガス利用は要は火力発電であるから、逆立ちしたって二酸化炭素排出量は原発より多い。であると言うのに上記朝7>核廃絶と地球温暖化防止の一挙両得をねらうなんて断言しているから、何を言っているのかサッパリ判らない。少なくとも現状の原発の有効性「安価かつ集中的で安定的な発電が可能」に対する優位性が説明できなければ、朝日自身認める通り「脱原発がグローバルな潮流ではない」現状世界に対し、「脱原発」に説得できる、道理がない。
 
 最終パラグラフの終盤、当該社説の締めとなると、もっと酷い。
 
朝8>  軍事用であれ民生用であれ、核エネルギーへの依存をできるだけ早くなくすことで、
朝9> リスクのない平和と繁栄の姿へと変えていく。 
朝10> そうした未来像を、核惨事を知る日本から発信してこそ、世界は耳を傾ける。 

 此処まで風呂敷を広げると、核兵器や原発ばかりでなく、核推進機関も「早くなくす」対象である。要は「人類の核技術放棄」というのが理想なのだろう。
 
 人類史上、特定の技術が放棄された事例は、ないではない。一例を挙げれば我が国の鉄砲だろう。火縄銃が日本に入ってきたのは1543年。この火縄銃を国産量産化した我が国は、それから僅か半世紀後には世界一の鉄砲保有国になり果せた。が、その後の徳川幕府の政策で、鉄砲・銃火器製造技術は停滞。幕末になって欧米列強の発達した銃火器(*3)に一驚させられる事になった。だから、「新技術を人類が放棄する事は無い」とは言えない。
 だが、「放棄すべきではない」とは私は主張する。 
 ま、その点は、私と朝日の「宗教の違い」だ。
 
 当該社説の問題は、上記朝9>リスクのない平和と繁栄の姿を描く上記10>未来像が、当該社説からは全く描けない事、だろう。これでは「日本から発信」しようもなければ、「世界」も「耳を傾け」ようがない。
 
 「絵に描いた餅」どころか、「空虚な言葉ばかりで、絵にすらなっていない」のである。



<注釈>

(*1) (1) アメリカ前進―アメリカで34年ぶりに原発着工へ http://www.blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/36685754.html


 (3) 前進せよ、日本。―日立がリトアニア原発を海外初受注  URL: http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/37210626.html 


(*3) 薬夾式実包、スライドアクション/ボルトアクション/レバーアクション式連発銃など 



「脱原発運」運動の黄昏

 東京社説に至っては、真面目に分析しようと言う気さえ失せる。「流石は、脱原発原理主義」とぐらいしか評しようがない。
 
 朝日、東京、両者説に共通するのは、冒頭にも書いた通り「時節柄」から、「核廃絶」と「脱原発」とを運動として統合ないし連携と言う構想である。朝日の方が曲りなりにもその構想を説明してるのに対し、東京新聞が「原爆忌で脱原発を言え」と言っている程度で、どちらも「具体的構想」と言うには程遠いが、主張しているところは共通している。
 
 だが、私はこの両社説を読んで、章題にした通り「脱原発運動の黄昏」を感じた。勿論私は先述の通り「核廃絶運動」なんて物をハナッから信用していないのであるが、それでも戦後連綿と続いてきた、「運動としての老舗」である事は認める。対して「脱原発」運動は、一昨年の福島原発事故後に急成長した「新興運動」。だが、朝日社説自身認める通り「脱原発」は「グローバルな潮流」にはなっていない。国際NGO「グローバルゼロ」なんてモノがある「核廃絶」運動の方が、国内的には兎も角、国際的には勢いがある。
 
 だから、「脱原発」と「核廃絶」を統合し、「脱原発」運動の生き残りを図る。私にはそう言う意図に読めた。
 ああ、異論・反論はあるところだろう。曰く「首相官邸前脱原発デモは盛り上がっている」、曰く「とうとう野田首相さえ脱原発デモを無視しえなくなった。これは民主主義の新しい動きだ!」等、等、等。
 
 だが、以前から再三記事にして居る通り、福島原発事故により「脱原発」を決めたのはドイツとスイスのみ。逆に新規の原発建造を決めたのはアメリカ、チェコ、リトアニア、ベトナムなど。上記のうちリトアニアとベトナムにはMade in Japanの原発が輸出される予定だ。「脱原発」が「潮流」なのはドイツ、スイス、せいぜい日本でしかなく、日本国内に私のような「福島原発事故を経てなお原発推進論者」と公言する者も居る。そんな状況に危機感を持って「核廃絶運動との統合・連携」を「脱原発運動」が考えても不思議はなかろう。
 
 だが・・・お気の毒だが、「核廃絶」と統合・連携したところで「脱原発」が「グローバルな流れ」にはなるまい。
 
 理由は、「核廃絶」ですらマイナーな、ローカルな「流れ」でしかなく、せいぜいがオバマ大統領のリップサービスを引き出す程度の物でしかない、からである。
 
 況や、「脱原発」の「ブレイン」と目しうる(*1)朝日からして上掲社説のような「空虚な言葉の羅列」しか示せないようでは、統合も、連携も実現しようがない。
 
 「時節柄」書いて見た「時候の挨拶」みたいな社説と、見なすべきかね。
 
 如何に、朝日新聞。
 如何に、東京新聞。


<注釈>

(*1) と言うより・・・まともな「ブレイン」が居ないよな。小林よしのりぐらいか。あれでもあの程度だからなぁ。