応援いただけるならば、クリックを⇒ https://www.blogmura.com/
時節柄、と言う奴だろう。8月の前半には「8.6広島核攻撃」「8.9長崎核攻撃」「8.15敗戦」と、「記念日」と呼ぶには憚られるが、歴史的な事件があった日がズラリと並び、何れも大東亜戦争(大東亜戦争)末期を現す事件であり、「8.15」がお盆の中日である事も相まって、日本人としては忘れようにも忘れ難い日付だ。
そんな「時節柄」を社説に反映して見せるのも、編集者の一つの腕の見せ所、ではあろう。その「編集者の腕」を見せて、「8.6広島核攻撃」と未だ猖獗を極めている(らしい)「脱原発」を結び付けて社説にしたのが、タイトルの通り朝日と東京新聞である。
「朝日と東京新聞が、「8.6広島核攻撃」と「脱原発」を結びつけた社説を書いた」と言うだけで、中身の方は大凡知れてしまい、尚且つその「期待」を殆ど裏切らない後掲の社説である。逆に言えば「予想が出来てしまってつまらない社説」ではあるが・・・まあ、御一読願おうか。
転載開始=========================================
【朝日社説】核廃絶と脱原発―破滅リスクのない世界へ ( 平成24年08月06日(月) )
http://www.asahi.com/paper/editorial.html
広島はきょう、長崎は9日に、被爆から67年を迎える。
核時代に入った第2次大戦の後、世界戦争は起きていない。それは核抑止の戦略が有効だったから、との意見が根強い。
だが実は、世界は何度も、核戦争へ転がり落ちそうになったことがある。
そのひとつが、1983年に起きた。旧ソ連軍の早期警戒システムは、米国が5発の核ミサイルを発射したとの情報を探知した。
担当官は、米国の先制攻撃なら何百発も飛ばすはずで、誤報の可能性が高いと思った。悩んだすえ、自分の判断を信じ、情報を上部に報告しなかった。後にやはり誤報とわかった。
米ソが緊張関係にあった冷戦時代だけに、彼の機転がなければ、旧ソ連は核発射ボタンに手をかけたかも知れない。
放射能禍(*1)をもたらした福島での原発事故の背後には、本当に深刻な事態を「想定外」とする慢心があった。核兵器も同じで、そのリスクの軽視は、破滅につながりかねない。
だからこそ、原爆と原発事故を体験した日本には、歴史的使命がある。核エネルギーによる両方の惨事を知る身として、そのリスクを世界からなくしていく役目である。
■抑止にも「安全神話」
核兵器がある方が世界を安全に保てる。そんな核抑止の「安全神話」に潜む落とし穴を直視したい。
判断ミスによるリスクに限らない。核拡散が進むいま、地域紛争で使われる恐れもある。
核武装したインドとパキスタンは、領土やテロ問題などで対立している。パキスタンは政情も安定しない。
中東では、イスラエルが事実上の核武装国である。敵対するイランが核を持った場合、地域紛争で使われるリスクは南アジアを上回る事態も予想される。
北東アジアでは北朝鮮が核実験をしている。独裁体制の崩壊などの有事に、自暴自棄や、軍の暴走などで核使用に動く心配は消えない。
こうしたなか、被爆地からの言葉が、核抑止のプロたちにも、響き始めている。
核の恐怖をなくす唯一の方法は核をなくすことだ、というメッセージである。
世界各地の政府や軍の元幹部らによる国際NGO「グローバルゼロ」は、2030年までの核廃絶を提唱する。それを具体化するために、米国の元核戦力部隊指揮官らが、米ロは10年以内に核兵器を8割減らすべきだと提言をまとめた(*2)。
核は、安全保障上の利益より危害の方が大きいからだ。(*3)
■隠せぬNPTの限界
原発利用を核拡散から切り離せるという「安全神話」も、極めて疑わしくなっている。
世界は、核不拡散条約(NPT)を足場に、核保有国を増やさない政策を重ねてきた。
核保有国に軍縮義務を課す一方、その他の国には保有を禁じる。非核を堅持すれば、原発など原子力利用で協力を受けられる。これが、約束の基本だ。
確かにNPTは核拡散の防止で重要な役割を果たしてきた。だが肝心の核軍縮は期待ほどに進んでいない。保有国が核抑止にこだわり続けるなか、同様の力を持とうとする国が相次ぐ。
NPTのもとで原子力を利用する権利が強調され、これがまた拡散リスクを高めている。核燃料のためのウラン濃縮、プルトニウム抽出施設は軍事目的に転用できるからだ。
典型例がイランだ。NPT加盟国であることを盾にして、核武装につながりかねないウラン濃縮を進めている。
核軍縮は進まず、核拡散もなかなか止められない。NPTの限界が見えるなか、原子力利用国を増やすことが得策なのか。悪くすると、NPTが原子力利用を正当化するだけの条約になりはしないか。
■新しい平和と繁栄
脱原発をグローバルな潮流にする試みが、核不拡散、核廃絶の双方にプラスとなる。そこにもっと着目すべきだ。
いまこそ、発想を変えるべきときである。
核兵器を持たず、しかも脱原発を選ぶ国を、再生可能エネルギーや効率的な天然ガス利用などで国際的に支援する。
非核でいることのメリットを、原発ではない電源による国づくりへと切り替えていく。それを通じて、核廃絶と地球温暖化防止の一挙両得をねらうのである。
非核国の原子力利用を制限する以上、核保有国は軍縮を加速する責任が一層、強まる。原発を多く使う国は、原発依存からの脱却を急がねばならない。
軍事用であれ民生用であれ、核エネルギーへの依存をできるだけ早くなくすことで、リスクのない平和と繁栄の姿へと変えていく。
そうした未来像を、核惨事を知る日本から発信してこそ、世界は耳を傾ける。
<注釈>
(*1) その「放射能禍」の大半は風評被害で、それに次ぐ被害が避難生活だ。「放射能による死者は一人も出ていない」のに、広島核攻撃級の扱いとは恐れ入るな。(*2) 言うだけなら、タダだからな。(*3) 嘘コケ。大東亜戦争以降、事実として世界大戦を抑止しているではないか。
【東京新聞社説】原爆忌に考える ヒロシマに耳澄まし
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2012080602000106.html
2012年8月6日
原爆忌。未来への希望をうたう平和宣言に、ことしも「脱原発」の言葉はないようです。もっとヒロシマを語ってほしい。私たちは耳を澄ましています。
3・11。言葉は瞬時に凍り付き、閉ざされた記憶が一気に溶けだしました。過去、現在、そして未来が重なり合ったとき、そこに何が見えたのでしょう。
広島市安佐南区、広島共立病院名誉院長の丸屋博さん(87)は、御庄博実(みしょうひろみ)の筆名を持つ詩人です。岡山医大を結核で休学中に詩作を始め、「原爆詩集」で知られる峠三吉とサークル誌を編んだこともありました。
◆黒い津波はすさまじく
六十七年前のあの日、丸屋さんは、旧制広島高校から進んだばかりの医大を空襲で焼かれ、ふるさとの山口県岩国市に帰省中でした。陸軍燃料廠(しょう)で働く妹に、広島が壊滅したと聞かされ、旧友や幼なじみの安否を気遣い、丸屋さんが旧国鉄山陽線に飛び乗ったのは、原爆投下の二日後でした。
広島までは電車で入れず、一つ手前の己斐駅(今の西広島駅)で降ろされました。建物はすっかりなぎ払われて、遠く瀬戸内海に浮かぶ似島が見渡せました。
熱で曲がった路面電車の線路を伝い、異臭の中を一日歩き回っても、友人、知人を見つけることはかないませんでした。
夕暮れて、駅へ戻ると、足もとからか細いうめき声が聞こえてきます。あおむけに横たわる半裸の若い男性の胸のあたりに、小さな穴が開いていました。血の混じったあぶくと一緒にハエが一匹、そこを出入りしているのが見えました。その時に目にしたすべてのものが、廃虚と化した東北のまちに重なりました。残留放射能の見えない渦をかき分けて、親しい人を捜し歩いた長い一日の記憶が、です。
黒い潮の土煙のすさまじさに/広島の記憶が重なった/僕はテレビの画面で凍った(黒い津波)
愛用のパソコンに向かって言葉を絞り出すまでに、数日間の葛藤がありました。
内科医の丸屋さんは、被爆者の健康を見守り続けてきた人です。放射線の遺伝的影響に関する論文も書きました。そして、自らも被爆者として、次々に発症するがんと闘い続けています。
「原爆も原発も同じこと。人間には制御できないもの。子どもたちの未来を奪うもの」だと痛感しています。
◆歩かされた長い道
丸屋さんはことし六月、石川逸子さんと共著の詩文集「哀悼と怒り」(西田書店)を上梓(じょうし)しました。
何に対する怒りでしょうか。丸屋さんにも分かりません。
無慈悲な自然、暴走する科学、事故を起こした電力会社や機能不全の官僚機構、無責任な政府だけではないでしょう。目先の豊かさを追い求め、哀(かな)しい過ちを繰り返す、人間そのものへの怒りなのかもしれません。
この道も何年か歩いてきた/いや 歩かされてきた 道/行く先には果てしなく広がる/プルサーマルという沃野(よくや)があるという/夢のエネルギー政策という呪文(青い光、詩集「原郷」より)
原爆忌の式典で広島市長が読み上げる「平和宣言」は、昨年も格調高い名文でした。ところが、原発事故にはもう一歩、踏み込むことができません。
つい先月まで、ことしは「脱原発」に触れると言いながら、やっぱり「安全なエネルギー政策の方針を一刻も早く確立するよう政府に求める」程度にとどめることになりそうです。平和宣言だからでしょうか。でも平和とは、戦争がないということだけではないはずです。
広島平和記念資料館には、原発や原発事故に関する展示がありません。ボランティアガイドを務める橘光生さん(71)は「ここに答えはありません」と考えます。
橘さんは「唯一の被爆国日本に五十基もの原発があることは、海外の目には奇異に映るでしょう」と来館者に語っています。
しかし結局、悲しみも怒りも感動も、人それぞれのものだから。誰かに教えられるものではなく、見て、聞いて、感じて、考えて、自分で見いだすものだから。
◆核の怖さを知るまちに
ならばなおさら、核の怖さを知り尽くしたヒロシマの言葉と声を、もっとたくさん聞かせてほしい。ヒロシマの怒りやナガサキの祈りにもっと近づきたい。フクシマにも届けたい。
8・6。平和宣言に耳を澄まして、今はまだ言葉にならない何かを感じ、何かを始められるよう、ヒロシマに心を傾けます。
=================================転載完了