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敢えて何も言うまい。本記事のタイトルがそのままヒントである。そのヒントを踏まえて、以下に転載する琉球新報社説を御一読願いたい。
読者諸兄の健全なる猜疑心に期待する。無論、その猜疑心は、当ブログ記事とて例外とせず発揮されるべきだろう。
転載開始=========================================
全国知事アンケート 日米の欺瞞見透かされた
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-194768-storytopic-11.html
2012年7月31日
米海兵隊の垂直離着陸輸送機MV22オスプレイをめぐり、10県の知事が沖縄配備や低空飛行訓練の両方、もしくはいずれかについて「容認しない」としている。安全性を確認できないことが理由で、琉球新報社が47都道府県知事に実施したアンケートで分かった。
「国の専管事項」といわれる外交・防衛に関わる問題であっても、住民の生命と財産を脅かすのであれば、住民保護の観点から知事が国策に異を唱えるのは当然の姿勢だ。41人の知事が安全性を懸念し「政府の国民への説明が不十分」としたのもうなずける。
和歌山、岡山、広島、山口、徳島、高知、沖縄の7県知事は、安全性への懸念から沖縄配備を明確に「容認しない」と回答した。
本州での低空飛行訓練については山形、長野、和歌山、岡山、山口、徳島、愛媛、高知の8県が「容認しない」とした。
飛行訓練に直接関わりのない都道府県を中心に意見保留も目立った。この点は、各知事の間で危機感の共有不足の感も否めない。
各知事の認識に温度差があるのは、情報格差が一因と考えられる。
オスプレイの事故率について、米政府は200万ドル以上の損害や死者発生などのクラスAを対象に算出し、海兵隊のMV22の事故率は「1・93」、空軍のCV22は「13・47」としている。
しかし、50万ドル以上、200万ドル未満の損害や一部永久的な障がいが残るけが人発生のクラスB、50万ドル未満の損害や致命的でないけが人発生のクラスCまで含めると、事故はMV22が2006年以降30件以上、CV22が05年10月以降少なくとも31件発生。クラスB、Cの事故を切り捨てた事故率は欺瞞(ぎまん)に満ちている。
両政府は米専門家が指摘する性能上の問題も隠すか過小評価している。命に関わる問題だけに両政府の隠蔽(いんぺい)体質は犯罪的ですらある。
日米同盟を容認する各地の知事がオスプレイの配備や低空飛行訓練を問題視している現実を、両政府は深刻に受け止めるべきだ。
事は安保容認か否かという次元を超えた、命に関わる大事だ。人命、人権を軽んじ配備を強行すれば、反対論はいずれ制御不能になるだろう。両政府は度を越した軍事優先主義や視野狭窄(きょうさく)によって日米関係を破壊しかけている自らの愚かさに、気付いていいころだ。
=================================転載完了
「数字は嘘をつかないが、嘘に数字はつき物である」
さて如何だろうか。
本章の章題が、第二のヒントになっている。本記事タイトル共々、当該琉球新報社説の「何処がどう論理のすり替え」か、考察する事をお勧めすする。未だ判らないようならば、当該社説を再読する事も。
本記事の私の主張よりも、読者諸兄の健全な猜疑心の方が、民主主義体制にとっては普遍的に有用なのであるから。
「自ら考え、自ら戦う兵士こそ、より長く、より粘り強く戦えるのだ。」-追跡者「イヌワシ」-
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さて、では私の主張を始めようか。いわば、「解決編」だ。
先ず「事故率」と言う言葉の定義から行こう。航空機の「事故率」として良く引用される数値は、「輸送実績1億人キロあたりの死亡乗客数」と「10万飛行時間あたりの死亡事故件数」がある。( 引用例:http://allabout.co.jp/gm/gc/53319/ )
この二つの内、軍用、民間を問わず航空機に適用されるのは、当然後者「10万飛行時間あたりの死亡事故件数」である。理由は明白だろう。「軍用機は乗客を乗せていないケースが多々ある」から。オスプレイなんかは輸送機だから未だ旅客機に近いが、戦闘機や爆撃機、攻撃機なんかは下手すると単座でパイロットしか乗っていないのだから、「輸送実績1億人キロあたりの死亡乗客数」で旅客機を中心とする民間機と比較すると軍用機が不当に「低い事故率」になってしまう。
と同時に、「10万飛行時間あたりの死亡事故件数」が評価の基準なのであるから、琉球新報社説が述べている「米政府は200万ドル以上の損害や死者発生などのクラスAを対象に算出」するのは当たり前だ。「死亡事故件数」が評価の対象なのであるから。
で、その基準で出されたオスプレイの「事故率」を、
硫1> 海兵隊のMV22の事故率は「1・93」、空軍のCV22は「13・47」としている。
と報じて、少なくとも今回沖縄に配備される「海兵隊のオスプレイMV-22」が「空軍型のCV-22」より遥かに低い事故率である(*1)ことは伝える物の、一般的な海兵隊の軍用機や下手な民間航空会社の事故率よりも低い事には全く触れずに、琉球新報社説は次のように断言してくれる。
硫2> しかし、50万ドル以上、200万ドル未満の損害や一部永久的な障がいが残るけが人発生のクラスB、
硫3> 50万ドル未満の損害や致命的でないけが人発生のクラスCまで含めると、
硫4> 事故はMV22が2006年以降30件以上、CV22が05年10月以降少なくとも31件発生。
硫5> クラスB、Cの事故を切り捨てた事故率は欺瞞(ぎまん)に満ちている。
大方の人はお気付きだろう。「クラスB、クラスC」と言うのは「けが人は出たが死者は出ていない事故(*2)」であり、「輸送実績1億人キロあたりの死亡乗客数」としても「10万飛行時間あたりの死亡事故件数」としても、「事故には数えられない事故」である。それは何も米政府が「オスプレイに有利になるように事故率の定義を改竄、或いは恣意的に適用」したのではなく、「一般的に事故率はクラスAしか対象にしていない」のである。
で、クラスBやクラスCの軽微な事故まで勘定すれば、「事故件数が増える」のは当たり前だ。それは、オスプレイに限った訳でもなければ、軍用機に限った訳でもない。肝心なのは安全を比較評価するのならば、同じ基準で、同じ土俵で比べない事には評価にならないことだ。即ち、琉球新報の言うように「事故」の定義を「クラスB、クラスC」にまで拡大するならば、「10万飛行時間あたりの(クラスB、クラスCを含む)事故件数」でオスプレイと、他の軍用機、さらには民間機を比較しないと評価は出来ない。
ところが、琉球新報社説と来た日には、上記硫1>の「(死亡)事故率」すらオスプレイと他の航空機を比較しようとしないぐらいだから、「クラスB、クラスCを含む事故率」の比較もしようとしなければ、「事故件数が約30件に増える」と言うだけ。その定義の拡大で事故件数が何倍になったかさえ明示しようとしない。
以上から、今回琉球新報社説の「論理のすり替え」を改めて要約すると、以下のようになる。
(1) そもそも事故率とは「10万飛行時間あたりの死亡事故件数」なのであるから「米政府は200万ドル以上の損害や死者発生などのクラスAを対象に算出」するのは当然であるのに、それを不当なことであるかのように報じている。
(2) 「10万飛行時間あたりの死亡事故件数」で、海兵隊のMV-22が空軍型のCV―22より遥かに低い事のみは読み取れるが、その低い事故率が海兵隊の平均的航空機を下回り、下手な民間航空会社よりも低い事は全く伝えない。
(3) 「事故」の定義をより軽微な事故である「クラスB、クラスC」に拡大すれば、当然「事故の件数」は増える。それを恰も「米政府の事故隠し」かのごとく報じている。
(4) 上記(3)で「事故の定義を拡大」して増えた「事故件数」を報じるのみで、「10万飛行時間あたりの事故件数」に換算していないのでどれぐらい「事故件数」が増えたかさえ判らないようにしている。
(5) 況や、「事故の定義を拡大」して増えた「事故件数」により、高まる筈の「事故率」を、オスプレイ以外の軍用機とも、民間航空機とも全く比較せず、タダ「事故件数はもっと増える」と報じるのみである。
挙句の果てに、琉球新報は以下の一文で当該社説を〆る。
硫6> 日米同盟を容認する各地の知事がオスプレイの配備や低空飛行訓練を問題視している現実を、両政府は深刻に受け止めるべきだ。
硫7> 事は安保容認か否かという次元を超えた、命に関わる大事だ。
硫8> 人命、人権を軽んじ配備を強行すれば、反対論はいずれ制御不能になるだろう。
硫9> 両政府は度を越した軍事優先主義や視野狭窄(きょうさく)によって日米関係を破壊しかけている自らの愚かさに、気付いていいころだ。
全く呆れる他ない。
上記硫7>「命に関わる大事だ。」と言うならば、オスプレイが墜落事故を起こしたらその事故を免れようがない、オスプレイのパイロットはじめとする米軍人の命こそ真っ先に、直接的にオスプレイにかかっている。
尚且つ、「オスプレイ沖縄配備阻止」が琉球新報社説の主張するとおりに実現したとしても、オスプレイは既に米軍の制式兵器で配備開始から5年を経ている第一線機なのだから、米軍人が直面する筈の「生命の危機」には全く何の解決でもない。
であるというのに「オスプレイ沖縄配備阻止」しか訴えない琉球新報社説は、以前記事にもした通り「米軍人や、日本以外の基地周辺住民を人間扱いしない」人非人の主張である上、その主張は上記の通り「欺瞞に満ちている」。
ああ、「欺瞞に満ちた人非人の主張であるからこそ、実質は人非人の主張ではない」と言う主張は一応成り立つか・・・だがそのためには、① 当該琉球新報社説の主張が人非人の主張である事 ② 尚且つ当該琉球新報社説が欺瞞に満ちている事 の両方を同時に認めなければならないぞ。無論、そんな主張を社説として掲げた事も含めて、だ。
如何に、琉球新報。
<注釈>
(*1) 海兵隊と空軍では、オスプレイの運用が異なるので、数値だけで単純比較は出来ないが。(*2) 損害額による定義も併記されているが・・・