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 本記事を読む前に、産経記事「【賢者に学ぶ】哲学者・適菜収 「民意に従え」は政治の自殺(※1)か、同記事を扱った当ブログ記事「議会制民主主義の意義と危機」を一読される事をお勧めする。無論、後者の方がMore Betterだが(※2)。

 御一読の上で、今回「斬ろうと思ったが、笑ってしまって斬れなかった」琉球新報社説を、御照覧あれ。

<注釈>


(※2) 前者記事の全文も引用されているし 



【琉球新報社説】
転載開始========================================= 

【琉球新報社説】 消費増税反対多数 国民は納得していない
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-193979-storytopic-11.html
2012年7月17日       
民主主義的な正当性を欠き、国民生活に深刻な負担感を抱かせている消費税増税に、国民の過半数が反対している。
共同通信の世論調査で、消費増税反対が55・2%を占め、賛成の43・4%を11・8ポイント上回った。
さらに今国会で成立しない方がよいとする回答は57・9%で、成立した方がよい(36・7%)を21・2ポイントも上回っている。
景気回復の足かせとなりかねない消費増税への懸念は深まり、国民の理解を得られたとはとても言えない。民意は明確である。
野田佳彦首相は、法案が成立して後戻りできなくなる前に、解散総選挙を断行し、消費増税の可否を国民の審判に委ねるべきだ。
消費増税を柱とする一体改革関連法案は、民主・自民・公明3党などの賛成で衆院で可決された。
野田内閣の不支持率は6月下旬の調査から5・7ポイント増えて60%となり、4月下旬と並んで最も高い水準となった。
消費増税に突き進む首相への批判が押し上げた数字に映る。
一体改革と称しつつ、増税ばかりが先行し、社会保障の将来像はおぼろげであることを国民は見抜いている。行財政改革など身を削って無駄をなくす営みも不十分と受け止めている。
危機的な財政をはやし立て、国民の不安をかき立てる形で増税を強いる野田政権の政治手法への反発がやむことはなかろう。
一体改革法案は参議院で審議中だが、前回2009年の総選挙で消費税を上げないと公約した民主党の変節ぶりと、民主党を分裂に仕向ける党利党略を優先させ、野合に走った自民、公明の両党にも批判の矛先が向いている。
参議院の審議、主要閣僚や民主党幹部がメディアへの露出を通して、直接国民に消費増税への理解を求めることに躍起だが、国民は納得していない。
世論調査では、新党「国民の生活が第一」に「期待していない」が81・8%に上り、消費増税見直しや脱原発を掲げる同党への支持は広がりに欠けていることも分かった。
民主党を割った新党結成劇が、党内の権力闘争と映り、政治不信を高めた側面もあるだろう。
消費増税は国民の意識と乖離(かいり)が大きすぎる。民意に背を向けたまま、法成立になだれ込めば、民主主義を一層傷付けることになる。


=================================転載完了

『「民意に従え」は議会の自殺」を御一読あれば、明白だろうが・・・

 さて、如何だろうか。
 
 章題にもした通り、前記産経記事「【賢者に学ぶ】哲学者・適菜収 「民意に従え」は政治の自殺(※1)」をご一読された方には、私が『笑ってしまって当該琉球新報社説を斬れなかった』理由は明白だろう。即ち、当該琉球新報社説は、ものの美事に「民意に従え」に凝り固まって「議会の自殺」を勧める、自殺幇助罪だから、と言うのが大きな理由だ。先行記事に要約したとおり、産経記事に於ける哲学者・適菜収氏の主張は、
 
  
 ① 議会は民意の集計所ではない。 
 
 ② 議会は、議員の知性を駆使して議論する場である 
 
 ③ 民意の集計で政策が決まるならば、IT技術を駆使して(※2)直接住民投票すれば事足りる。 
 
 ④ 従って、「民意に従え」ば良いのならば、議会も議員も不要である
 
 ⑤ 政治家の役割は、こうした民意の暴走から国家・社会・共同体を守ることである。
 
と断じている。今回の琉球新報社説とは真っ向から対立する形だ。

 但し、私が笑ったのは、当該琉球新報社説と上記①~⑤適菜収氏の主張がものの美事に対照的であるから、ばかりではない。それだけならば適菜収氏(※3)の主張と琉球新報社説の大衆迎合・ポピュリズム丸出しの主張の「対比の妙」と言うだけで、滑稽と言うよりも興味深い・面白いと言う「笑い」だ。
 
 私がさらに笑ったのは、琉球新報社説の以下の記述による。
 
1>  世論調査では、新党「国民の生活が第一」に「期待していない」が81・8%に上り、
2> 消費増税見直しや脱原発を掲げる同党への支持は広がりに欠けていることも分かった。
3>  民主党を割った新党結成劇が、党内の権力闘争と映り、政治不信を高めた側面もあるだろう。
4>  消費増税は国民の意識と乖離(かいり)が大きすぎる。民意に背を向けたまま、法成立になだれ込めば、
5> 民主主義を一層傷付けることになる。

 お分かりだろうか。上記記述に至るまで、当該琉球新報社説はこの民意が目に入らぬかぁ!とばかりに世論調査の数字を羅列し、「消費税増税反対」と絶叫している。が、上記1>~2>の通り、その「消費税増税反対」に加えて「脱原発」なんて錦の御旗まで掲げている小沢新党「国民の生活が第一党」への「支持は広がりに欠けている」と、そこまで楯にしてきた世論調査の数字が出ているので、渋々認めざるを得ない。
 だから上記3>のように小沢新党「国民の生活が第一党」への不支持率が高い言い訳をして、〆にあたる上記4>~5>では国民の意識との乖離と称して、やっぱり「消費税増税法案成立反対」を表明し、民主主義を傷つけるなと息巻く。
 
 だが、その「民主主義」の根拠としている「民意」、この場合「世論調査の数値」を恣意的に解釈している事を、隠そうともしなければ、恐らくは気づいてすらいない
 
 「恐らくは気づいてすら居ない」と私が断じる理由は二つで、一つには「気付いていれば隠そうとするだろう」と言う合理的推測。何しろ上記1>~3>の小沢新党「国民の生活が第一党」への高い不支持率について言及しなくても「民意=世論調査結果に従って、消費税増税はするな」と言う主張は成り立つのだから、上記1>~3>は言わば無用の部分。それをあえて「記載してしまった」のだから、「気付いていないのだろう」と推測できる。
 もう一つの理由は、小沢新党(以下同文)の掲げるもう一つの御題目「脱原発」からの連想で「消費税増税反対」が琉球新報にとって(※4)絶対善視されているのだろうと考えるから。
 
 その理由はどうあれ、民意に従え。民意とは世論調査結果だ。と主張しつつ、その世論調査結果を恣意的に解釈し引用しているのだから、これはもう「笑う」と言うよりは「嗤う」しかなく、爆笑と言うより嘲笑だ。哲学者・適菜収氏の主張のアンチテーゼ・異論異説にすらならず、足元にすら及ばない。
 
 流石は「賢者」と言うべきか、
 琉球新報のレベルが低すぎるのか。
 
 如何に、琉球新報。
 

<注釈>



(※2) とは直接書いていないが、ま、そう言う意味だろう。 

(※3) と、その主張を支持する私 

(※4) 「脱原発」と同様に 



【例題】 脱原発は民意だぁぁぁぁl

 さて、以上の議論を踏まえて、と。
 
 以下に掲載するのはもう一つの琉球新報社説。題材は、今度は「脱原発」だ。
 
 そこで問題、としよう。
 
 「以下の琉球新報社説を読んで、野田首相が取るべき態度を答えなさい。
  回答には以下ののキーワードを入れること
  ①民意 ②直接民主主義 ③間接民主主義」

転載開始=========================================
【琉球新報社説】反原発集会 民意無視の政治に未来なし
 http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-194028-storytopic-11.html
2012年7月18日       
脱原発へ向け、時代が大きな転換点を迎えている。炎天下、東京・代々木公園を埋め尽くす人々のニュース映像を見ての率直な感想だ。
作家の大江健三郎さんらが呼び掛けた「さようなら原発10万人集会」が16日開かれ、主催者発表で17万人、警備に当たった警視庁によると7万5千人が参加した。
反原発集会では「過去最大規模(主催者)」という集会は、安全対策をおざなりにしたまま原発再稼働を決めた政治への異議申し立てにほかならない。野田佳彦首相は民意を真摯(しんし)に受け止め、原発からの決別を直ちに表明すべきだ。
「子どもたちの未来を守りたい」「フクシマと同じ過ちを繰り返してはならない」―。福島第1原発事故を目の当たりにした今、参加者らの訴えは、ごく当たり前の市民感覚に根差したものであり、特別な主張でも何でもない。
大江さんらは昨年12月にも「さようなら原発」集会を東京・日比谷公園で開いたが、参加者は主催者発表で5500人だった。原発再稼働の“暴挙”を経た今、年齢や性別、政治信条や主義主張などを超えて、反原発のうねりが高まっていることを如実に示した。
毎週金曜日の夕方に首相官邸前で開かれている数万人規模の反原発デモとも共通するが、注目すべきは、インターネットや報道などで集会を知り、自発的に参加した人々が多数存在することだ。
記憶に新しいが、中東の民主化運動「アラブの春」は、インターネットの交流サイトを通じて、大きなうねりになった。チュニジア、エジプト、リビアなどで長期独裁政権を打倒した民衆の力を見くびることなど到底できないはずだ。
しかしながら、野田首相をはじめ民衆の声を受け止めてしかるべき政治の反応はあまりに冷淡に過ぎる。同様に反原発デモなどに距離を置く一部大手メディアの報道姿勢にも疑問を禁じ得ない。
関西電力大飯原発の原子炉起動を目前にした6月29日には、首相官邸前の路上を抗議の人々が埋めたが、首相は「大きな音だね」と人ごとのように話しただけだった。官邸前の路上デモは60年安保闘争以来の歴史的な出来事とされるが、民意を顧みない首相の鈍感さにあきれる。
声を上げ始めた国民の変化に背を向けたままの政治に未来などない。民意を無視し続けることは、政治の自殺行為だと自覚すべきだ。


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