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 上掲「脱原発」五紙社説が「原子力基本法への安全保障盛り込み反対」を表明したのに対し、産経社説が反論している。ま、私に言わせれば「手ぬるい」反論なのだが、以下に掲載した。
 
 大雑把に言えば、「原子力基本法への安全保障盛り込み」は、日本の原子力技術開発が「民主・自主・公開」を柱としている事に触れて「核武装疑惑」を否定し、「核武装疑惑」が日本の原子力技術開発に障害となることを懸念している。そのため、「今回の原子力基本法改訂(安全保障盛り込み)が日本の核武装に直結しない事を強調」しつつ「抑止力を含めた、非核三原則の見直しなどの論議を封殺せぬよう」求めている。少々玉虫色の感はあるが、前掲五紙の「何が何でも非核三原則絶対墨守(※1)、故に原子力基本法への安全保障盛り込み反対、(故に脱原発)」よりは、はるかに現実的で、地に足の着いた議論だろう。

 

<注釈>

(※1) そんなものは、とうの昔に虚構であるというのに。 非核三原則は虚構である-核密約調査を巡って- http://www.blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/32092292.html  http://www.blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/32092309.html 
 
転載開始=========================================

⑥【産経社説】【主張】原子力基本法 「安全保障」明記は当然だ  

2012.6.24 03:10 [主張]
 20日に成立した原子力規制委員会設置法の「付則」に記された、原子力基本法の一部改正が問題になっている。
 原子力基本法の基本方針を定めた第2条を改正し、「我が国の安全保障に資することを目的として」と明記した第2項が加えられたためだ。
 原子力利用の基本原則に「安全保障」の観点を明示するのは当然だ。だが、韓国メディアは日本の核武装を警戒する記事を掲載して反応した。国内のメディアでも「軍事利用への懸念」や、「核兵器開発の意図を疑われかねない表現」を論拠に、付則の削除を求める声が上がりつつある。
 原子力基本法第2条は、日本の原子力の研究開発の大原則である「民主・自主・公開」について定めた条文だ。そこに、軍事用語としても使われる「安全保障」という言葉が並ぶことに違和感を覚える向きがあるかもしれない。
 だが、第2条の第1項を再度、確認してもらいたい。「原子力の研究、開発及び利用は、平和の目的に限り、安全の確保を旨として」と、しっかり規定されているではないか。
 この第1項を受けて続く第2項の「安全保障」が核兵器開発などに直結しないことは明々白々だ。エネルギー安全保障や核不拡散を強化する意味での用法と理解するのが順当な解釈である。
  単語を文脈から切り離し、負の意味を重ねて問題視する姿勢こそ問題だ。それでも、この件を単なる誤解や曲解として事態を軽視する対応は禁物だ。政府は国内外に対し、速やかに誤解を解くための手を打たねばならない。
 説明を怠れば、日本のエネルギー政策の基本が痛手を受けかねない。資源に乏しい日本は、使用済みの原子力燃料を再処理して取り出したプルトニウムとウランを混合し、新たな燃料として有効利用するリサイクル計画に国の将来を託しているからである。
 日本は非核保有国として唯一、再処理が認められている。基本法の改定が核兵器製造に直結しないことを、世界に向けて改めて強調しておく必要がある。
 同時に、抑止力などの観点も含めて原子力技術を堅持することは日本の安全保障にとって不可欠である。非核三原則の見直しなどの論議も封殺してはなるまい。こうしたことも心に刻んでおく必要があるのは言うまでもない。
=================================転載完了

右翼と左翼と原発と

  ちょっと前に長いコメント応酬を交わしたムネミツさんが「。。。」さんとまだ名乗っていた頃に問われ、ろくに答えられなかった質問がある。曰く、『(自称)右翼が原発推進論なのは何故か』。「脱原発」を標榜するムネミツさんに言わせると、「(自称)右翼が怪しい原発推進論なんか唱えるから、真の右翼や保守が迷惑している」と、逆に言えば「真の右翼・保守ならば脱原発の筈だ」という主張かとも思われたが、『右翼/左翼のイデオロギーと原発推進/反対は直接結びつかない。私が右翼で原発推進であることから推定するならば、右翼の方が知性と理性を重んじる傾向があるのではないか。』と、答えた。
 
 こと、原発を「エネルギー政策の一環」と考える限り、右翼だの左翼だのと原発の相関関係は付き難い。
 
 ま、正直なところ自分の事例でしか考えておらず、その上自分自身主に「エネルギー政策」として原発を捉えていたから、「右翼/左翼」と「原発推進/反対」の相関がつかめなかった。「入原発論:補足」で核兵器と原子力技術の抑止力としての相関について述べたが、それでも「右翼/左翼」のイデオロギーとは結びつけなかった。
 
 だが、原発を、「核抑止力・核兵器との関係」で考えるならば・・・
 
 迂闊とも迂遠とも言うべきであり、我ながら「視野の狭い事」と反省せざるを得ない。
 
 上掲の通り、今回「脱原発五紙揃い踏み」で「原子力基本法への安全保障盛り込み反対」社説が出揃って、初めて、卒然として悟った。「脱原発は、日本に核武装させない手段として極めて有効・確実であると。それ故に「左翼が脱原発を主導している」とすれば、合点が行く。
 
 さらには、その「脱原発」運動の側面支援ないし拡大発展型である「震災がれき受け入れ拒否」を左翼イデオロギーが主導している(らしい)事も説明が付く。それは被災地の復興を遅らせ、日本の国力を弱体化させるのみならず、放射能アレルギーと反原発ヒステリーを助長する事で(※1)、「脱原発」への気運を盛り上げ、「日本核武装の可能性」を潰せる。電力会社や「原子力ムラ」を攻撃すれば、「正義の味方面」まで出来るのだから、左翼にとってこれほど美味しい材料も久しぶりだろう。
 
 無論、「日本核武装の可能性潰し」なんて「裏事情」が判らなければ、「りっくどむ」さん御指摘にも在った様に、或いは以前ムネミツさんに私が答えたように「原発推進/反対」と「右翼/左翼」イデオロギーに直接の相関は見出し難い。事実、「右翼による脱原発デモ」と言うのも報じられていた。
 
 一方で、「脱原発」による「日本核武装の可能性潰し」が「裏事情」に留まるのは、一つには原発推進派を非難するのに「原子力ムラ」だの「安全神話の崩壊」だの「電力会社から金を貰っている」だの「フクシマを忘れるな」だの非難の材料に事欠かず、「裏事情」まで持ち出さずに済む事があろう。それとて、石破元防衛相の「原子力技術抑止力論」が原水禁に非難されているから(※2)、「絶対の秘密」ではなさそうだ。
 無論、上記抗議で原水禁が述べているように、我が国の原発は「原子力の平和利用」を標榜してきた。が、先述のイランが示す通り、「原子力の平和利用」を標榜しながら「核兵器開発疑惑」を持たれることは可能であるし、恐らくは核兵器の開発さえ可能であろう。而して石破元防衛相の言う「潜在的核抑止力」には、「核武装の可能性」さえあれば良く、「核兵器開発疑惑」さえ不要なのであるから、従来の「原発は原子力の平和利用」と言う主張と「原発技術は潜在的核抑止力」とは、少なくとも矛盾はしない。並存しうる。人に拠っては「二枚舌」だとか「表裏比興の者」とか言われそうであるが、二枚舌が三枚舌、四枚舌であろうとも、我が国の安全保障に資するならば、その方が良い、と私は考えるから、そんな「非難」は屁でもない。
 
 私を含めて右翼は、「我が国の安全保障に関心が高い」傾向はありそうだから、「日本核武装」を目標に掲げる者もあるし、それを容認ないし擁護する者にも事欠かない。従って、石破元防衛相の「潜在的核抑止力」論を首肯する者も多かろう。それが直接「原発推進・擁護」に結びついたかは疑問ではあるが、補強材料では在ろう。
 
 逆に「日本核武装の可能性潰し」を目論む側からすれば、福島原発事故とその後に盛り上がった「脱原発」気運は千歳一隅の好機。その主体が左翼イデオロギーなのか、その尻馬に乗ったのが左翼なのかは不明であるが、「日本核武装の可能性潰し」と言う点では「利害が一致」しそうだ。
 
 かくして、「左翼による脱原発運動盛り上げ」と「右翼による原発推進・擁護」と言う事象が現出した。と、いう考え方は如何だろうか。
 
 陰謀史観、陰謀論と言う奴は気をつけなければならない。それは俗耳に入り易いし、判り易い。だが往々にして事実を変形しており、真実には程遠い。我が国(※3)を「文明に対する罪」と「平和に対する罪」で裁いた東京裁判なんてのはその好例だ。何しろ東京裁判に従えば、我が国は、「世界征服する為の陰謀をめぐらし、大東亜戦争(太平洋戦争)を開始した」事になっている。上記の「日本核武装の可能性つぶしとしての脱原発運動」と言うのも、一種陰謀論である事は間違いない。
 
 だが、「脱原発」が、結局のところ我が国の原子力技術喪失につながり、「日本の核武装可能性を潰す」結果になるだろう事は疑問の余地がない。それを喜ぶだろう勢力も在る事も、想像に難くない。
 
 であるならば、「脱原発」議論には、独りエネルギー政策議論ばかりではなく、我が国の原子力技術存亡及び「日本の核武装可能性の可否」を含めた安全保障上の議論が必要であろう。
 
沖1> 原子力の本質と向き合った上で「原発」「安全保障」「米国との関係」をトータルでとらえる思考を培う必要もある。
 
 この、沖縄タイムス社説〆の一文は、甚だ逆説的ながら、そのまま私の主張である。
 
 即ち、「非核三原則」の虚妄を打破し、核武装を含む広範な安全保障議論が必要であり、「脱原発」などと言う私に言わせれば愚挙にして暴挙である大決断を為すには、その安全保障議論の結論が必須である。
 
 そんな議論の、きっかけさえも殆どない現状で、今すぐ「脱原発可否を決める国民投票」なんかしたって、碌な事にはならないのである。
 
 如何に、国民。

 

<注釈>

(※1) 序でに被災地差別を助長し犠牲にする事で 
 
(※2) 自民党・石破茂前政調会長による「潜在的核抑止力」論への質問状  http://www.peace-forum.com/gensuikin/seimei/111216seimei.html 
 
(※3) 大日本帝国は、日本国と同様に我が国である。これは私に限った事ではない。日本人ならば誰でもそうだ。意識するしないに関わらず。