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(2)についての考察

 上記(2)については、上記(3)で大方検討してしまったようなものだが、もう少し突っ込んで見よう。前述の通り、元のコメントは以下の通りである。
 
3> お国のために死にましょう運動に参加する奴はアホ。
 
 これまた先述の通り、上記3>「お国のために死にましょう運動」が「震災がれき受け入れ賛成論」の事を指すと解釈したうえで、だ。
 
 先ず第一に「震災がれき受け入れ」が「お国のために死にましょう運動」なんかにならない事は言わねばなるまい。その震災がれきは放射性物質を含んでいる可能性があるが、「含んでいる」と言うだけで、燃やそうが埋めようが海洋投棄しようが、「死ぬ」どころか健康被害にもなりはしない。せいぜいが「発する放射線量が、被災地以外の瓦礫よりも高い」と言うだけ。
 
 で、さらに突っ込もう。「お国のために死にましょう」と言う者や、実行する者は、「アホ」なのかね。
 
 私は、私自身は「御国のためなら死のう」と思っている。この身一つで我が国を救えるのならば、死を厭う理由はない。そんな状況下では「死ぬべきだ」と思っている。

 他人に強制する心算はない。特に自分の家族には強制したくない、どころかそんな状況に陥って欲しくない。だが自分自身は、そうなれば「死ぬべきだ」と思っている。
 無論、その場で足が竦むなり臆病風に吹かれるなりして「死にたくなくなる」可能性は否定できない。そんな状況下で「死ぬ」と決断する訓練修業をと常日頃積んでいる訳でもないから、「いざ実行」となったら心許ない事は認めよう。
 心許ない事は認めるし、「御国為に死ぬ」事を躊躇する事もありうると認めるが、人道的見地なり人間的見地なりその他如何なる見地からしても「だから私は御国の為に死なない/死ねない」などとは認めない。「死ぬべきだ」と、私は私自身に主張する。
 
 それを「アホ」と呼ぶのは当該コメント者の勝手だ。私の知った事ではない。「己が命が一番大事」と公言して憚らぬ輩は、「己が命」以上の事は為せないだろう、と思うばかりだ。哀れみこそすれど、怒りすらしない。

(1)による思いつき

 当該コメント者が真っ先に述べている(1)は、元のコメントではこうなっている。
 
5> 負けを認めたようなものだ。
6> 速攻でコメントを返してくるところからして
 
 さて、この主張が一番「難解」だ。何しろ上記6>[速攻でコメントを返」す上記5>[負けを認めたようなものだ]となるらしい。確かに、負けそうになっても妙に意地を張るというと声が大きくなったり、早口になったり、相手の言葉にかぶせて返すような状況は想定できるから、「返信までの時間」をそういった状況になぞらえることはできるだろう。さらに言えば、当ブログの[応答時間]は決して誉められたものではないから、[速攻コメントを返す]のは「怪しい」という事も出来そうだ。
 だが、そういう考え方がまかり通るのならば、私としては返コメまでの時間を長めにとって「負けと認めない」などというバカげたテクニックを思いついてしまうんだが…まあ、そんなテクニックは「B(仮名)」様ぐらいにしか通用しそうにないから、採用する気はないが。

消えろ!

Q> 消えろ!

【A】 ありきたりで捻りのない悪罵ですなぁ。感情的になっているのはわかりますが、貴方が「消えろ!」と唱えて、消えた御仁が今までありましたかな。
 私がその栄えある第一号になる可能性と言うのも、それこそ「ゼロではない」でしょうが、今のところその兆しさえありませんなぁ。