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 時は紀元2世紀、所はローマ。五賢帝の一人ハドリアヌス帝の治世、「パクス・ロマーナ(ローマの平和)」華やかなりし頃。「アイディアが古い」として職を失った浴場設計技士・ルシウスが、ひょんな事から現代日本の銭湯へとタイムスリップした(※1)事から始まる、抱腹絶倒の「浴場設計技士ルシウスの出世物語/サクセスストーリー(一応)」。最近この漫画は実写映画化され、阿部寛が「浴場設計士・ルシウス」を主演していると言う。なるほど彼の容貌は日本人離れしており、古代ローマ人・ルシウスを演じるのに(※2)相応しかろう。
 
 漫画に限らず、小説映画演劇ドラマ等の作品を評価する基準の一つとして、「登場人物への感情移入・思い入れ」が挙げられよう。普通は主人公への、時には主人公以外の登場人物への肩入れが大きいほど、その作品は「面白い」と評価できる。必ずしも好感や似たような心境へのシンパシーとは限らない。例えばジャック・ヒギンズ作「裁きの日」の悪役・洗脳技術者・ヴァン・ビューレンは、その「悪役ぶり」から「憎悪の対象」として、憎悪へのシンパシーの事例として、私の記憶に残っている。(※3)
 だが、古代ローマの浴場設計技士・ルシウスに対し私が抱くのは、「似たような状況・心境に対するシンパシー」だ。なにしろ、「パクス・ロマーナ(ローマの平和)」華やかなりし頃のローマ市民だから、自尊心の強さ・誇り高さは並大抵ではないが、浴場と入浴に対する溢れんばかりの愛情と真摯さで、現代日本人「平たい顔族(ルシウス命名)(※4)」と共感し、日本の風呂文化を古代ローマで実践する・・・って、タイムパラドックス起こしまくりの筈だが、そこはまあ、ルシウスのまじめさに免じて、許容してしまおう。(※5)
 
 「職人気質」、「真面目さ(※6)」、かつての日本人が多大に有していた(※7)気質を古代ローマ人・ルシウスが有するからこそ、私は多大な感情移入・シンパシーを感じる。彼がローマ市民としての誇りと葛藤しながら日本の風呂文化を真摯に学ぶ姿に思わずニヤリとするし、テレビやパソコンなどの家電製品の動作に恐れ戦く様には、「いや、我々の方が2000年ほど後輩ですから。その間に貴方方以来研鑽努力された先人方のお陰ですよ。」と、支援の言葉の一つもかけたくなる(※8)。「古代ローマ風」と称して成金趣味の贋物浴場を作らされようとした現代日本(※9)の若い設計者と意気投合し、言葉は通じないまま身振り手振り図面絵解きで「正統古代ローマ風呂」を現代日本に再現して見せる話何ざぁ、感涙ものだ。
 
 帝政ローマと皇帝ハドリアヌスに対する愛国心と忠誠心を満身に宿すルシウスだが、既に「共和制」から「帝政ローマ」に推移している通り、版図として史上最大、文化としても爛熟期と言える当時の古代ローマは、同時に民主主義の退廃期を迎え、典型的な衆愚政治に堕そうとしていた。その一端は、「(無料の)パンと見世物」を求め、それを当然の如く受け取る選挙民=ローマ市民や、公衆浴場を提供する皇帝やら貴族やら金持ちやら、と言う形でこの漫画には登場する。その意味では、「抱腹絶倒のギャグ漫画」でありながら、またタイムパラドックス満載しかねない時間旅行ものSFでありながら、妙にヒストリカルでもある。「ヒストリカルな時間旅行ものSF」と言うのも、言語矛盾とは言わぬまでも、相反する要素を内包していることは間違いないのだが。
 
 そんな相反する要素を内包した「ヒストリカルな時間旅行SFにして抱腹絶倒のギャグ漫画」を、妙に写実的な劇画調の絵と、ところどころラテン語併記(※10)で描き出す作者・ヤマザキマリ女史は、外国にばかり住んでいてイタリア人と国際結婚した日本人だそうだ。Ⅳ巻に登場する現代日本温泉宿の芸者にして天才的考古学者(※11)兼古代ローマ・マニア・小達さつき女史は、作者の分身ないし理想像であるように私には思われる。中学生の頃からユリウス・カエサルを理想的男性像としてきた、なんてマニアックな設定に対しては、小学生の頃に「戦争気違い」と仇名された私としては( ルシウスに対する程ではないにせよ )シンパシーを感じてしまう。
 
 それやこれやで・・・誠になんと言うか、「読み心地のよい」漫画なのだ。「テルマエ・ロマエ」は。
 
 因みに「テルマエ・ロマエ」の意味は、「ローマ式浴場」。風呂をテーマにしているだけに、日本人たる私に「読み心地が良い」のは、当たり前か。


<注釈>

(※1) どんな「ひょんな事」かは読んでのお楽しみ/見てのお楽しみ。 

(※2) 無論、秋山好古良を演じるにも 。史実の秋山好古は禿であるが。 

(※3) 読んだのは、随分前なんだがね。 

(※4) 「平たい顔で悪かったな!」と突っ込みも入れたくなるが、ソリャま阿部寛の凸凹ある顔に比べられちゃぁ敵わないよな、とも思う。 

(※5) つまりはある種時間旅行SFであるが、ハードSFではない、と言う事だ。尤も「ハードSFで時間旅行もの」ってのは、可也難しい条件であろうが。 

(※6) 或いは「クソ真面目さ」 

(※7) 最近は随分怪しい。ことに、石原都知事が指摘するように「震災がれき受け入れ拒否」を公言しれ憚らない輩が闊歩するようでは。
 中には堂々と、「風評被害を受けるから、震災がれきを受け入れるな」と抜かす輩がいるから、『日本人も落ちたモノ』と思わざるを得ない。
 震災がれきを受け入れただけで風評被害を被るならば、被災地の被る風評被害は計り知れまい。その被災地の風評被害を、他人事として無視しろと、上記『震災がれき受け入れ反対者』は公言している訳だ。他人事とし、無視する事で、被災地差別の風評被害を、助長しているのである。『冷酷非情な利己主義者』としか、呼び様があるまい。 

(※8) 2000年分の先人たちの功を享受する大後輩の傲慢、でもあるが。 

(※9) ルシウス言うところの「平たい顔族の設計技士」且つ「同志」。 

(※10) 言うまでもなかろうが、古代ローマの公用語はラテン語だから、ルシウスはラテン語ばかりしゃべっている・・・筈だ。 

(※11) ラテン語で日常会話が出来るお陰で古代ローマ人ルシウスと会話が出来てしまう。