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「間違いと気違いは何処にでも居る/ある」なんて言い方もあるぐらいだから、世の中馬鹿が多いのは仕方がない、とある程度諦めてはいるのだが、それにしてもこの「原発ゼロを祝うデモ」の浅慮と馬鹿らしさは呆れる他ない。特に9枚目の写真ではズバリ「祝・原発ゼロ」と書かれたクスダマらしき物が写っている。あまりの馬鹿らしさに、我が筆名「ZERO」の改名さえ念頭に浮かんだほどだ。
報じられているようにこのデモは、国内で唯一稼動していた北海道泊原発が、定期点検のために停止した事を受けてのもの。福島原発事故と、それに乗じた管直人の政権延命策「脱原発」宣言以来、定期点検のために停止した原発は再稼動していないから、これで国内で稼動している原発は皆無となった。これを指して、上掲クスダマ他は「原発ゼロ」と称しているのだが・・・原発の発電量がゼロになっただけ。原発も、原子炉も、原子炉内の核燃料も厳然として其処にある。
確かに、「原発発電量ゼロ」は「原発廃止への一里塚」たり得る指標ではあろう。が、これを「原発ゼロ」と称するのは、少なくとも「大いに誤解を招く表現」である。停止している原発のリスクは、稼動している原発より低いは低いだろうが、大差がある訳ではない。
一方で、電力供給量と言う点では、当然ながら大差がある。
「原発が全機止まっても大丈夫じゃないか」と言うのも実に浅はかな理屈だ。電力は現状殆ど貯めて置く事が出来ない。だから各電力会社は「電力需要に応じて発電」している。今が5月で気候も良く、電力需要が真夏のピーク時に対して低いからこそ「電力需要が原発停止状態の電力供給量を上回っている」だけ。無論、次々停止する原発対策として火力発電増強等実施している各電力会社の努力や、企業私人を問わぬ節電努力も忘れるべきではない。一方、「節電努力なんて考えなくても済むぐらいに充分な電力を安定供給して来た」のは他ならぬ電力各社と先日まではまだ動いていた原発の功績である。
「必要に応じて発電できる」=制御可能な発電方法は、火力・原子力、次いで水力だ。「再生可能な自然エネルギー」と脚光を浴びている太陽光も風力も、原理的にそんな事は出来ない。これら「制御不能な発電方法」を電力供給の主役とするには、大容量の蓄放電技術が必須である(*1)。
その大容量蓄放電技術が完成・普及したとしても、太陽光や風力は発電量が太陽任せ、風任せで稼働率が低い。太陽光発電ならば原子力の4倍の発電容量が必要だろうと言うのも、以前の記事で試算した(*2)。
何度も繰り返すとおり、私に言わせれば、「脱原発なぞ愚挙にして暴挙である。」
従って「原発(発電量だけ)ゼロを祝うデモ」なんてのは、笑止千万なのである。
不幸中の幸いである事は、AFP報道記事に掲げられた10枚の写真を見る限り、個体識別できる「デモ参加者」は20名程度である事。人口1000万人を数える都内で実施されたこのデモに何人参加したのかはこの記事からは不明だが、相応に「少数」ではないかと希望的観測できる。
特に民主主義体制下では、馬鹿は少ない方が良い。その馬鹿にも、私と同様に一票があるのだから。
報じられているようにこのデモは、国内で唯一稼動していた北海道泊原発が、定期点検のために停止した事を受けてのもの。福島原発事故と、それに乗じた管直人の政権延命策「脱原発」宣言以来、定期点検のために停止した原発は再稼動していないから、これで国内で稼動している原発は皆無となった。これを指して、上掲クスダマ他は「原発ゼロ」と称しているのだが・・・原発の発電量がゼロになっただけ。原発も、原子炉も、原子炉内の核燃料も厳然として其処にある。
確かに、「原発発電量ゼロ」は「原発廃止への一里塚」たり得る指標ではあろう。が、これを「原発ゼロ」と称するのは、少なくとも「大いに誤解を招く表現」である。停止している原発のリスクは、稼動している原発より低いは低いだろうが、大差がある訳ではない。
一方で、電力供給量と言う点では、当然ながら大差がある。
「原発が全機止まっても大丈夫じゃないか」と言うのも実に浅はかな理屈だ。電力は現状殆ど貯めて置く事が出来ない。だから各電力会社は「電力需要に応じて発電」している。今が5月で気候も良く、電力需要が真夏のピーク時に対して低いからこそ「電力需要が原発停止状態の電力供給量を上回っている」だけ。無論、次々停止する原発対策として火力発電増強等実施している各電力会社の努力や、企業私人を問わぬ節電努力も忘れるべきではない。一方、「節電努力なんて考えなくても済むぐらいに充分な電力を安定供給して来た」のは他ならぬ電力各社と先日まではまだ動いていた原発の功績である。
「必要に応じて発電できる」=制御可能な発電方法は、火力・原子力、次いで水力だ。「再生可能な自然エネルギー」と脚光を浴びている太陽光も風力も、原理的にそんな事は出来ない。これら「制御不能な発電方法」を電力供給の主役とするには、大容量の蓄放電技術が必須である(*1)。
その大容量蓄放電技術が完成・普及したとしても、太陽光や風力は発電量が太陽任せ、風任せで稼働率が低い。太陽光発電ならば原子力の4倍の発電容量が必要だろうと言うのも、以前の記事で試算した(*2)。
何度も繰り返すとおり、私に言わせれば、「脱原発なぞ愚挙にして暴挙である。」
従って「原発(発電量だけ)ゼロを祝うデモ」なんてのは、笑止千万なのである。
不幸中の幸いである事は、AFP報道記事に掲げられた10枚の写真を見る限り、個体識別できる「デモ参加者」は20名程度である事。人口1000万人を数える都内で実施されたこのデモに何人参加したのかはこの記事からは不明だが、相応に「少数」ではないかと希望的観測できる。
特に民主主義体制下では、馬鹿は少ない方が良い。その馬鹿にも、私と同様に一票があるのだから。
どうも「脱原発派」の相当部分が都合よく忘却しているように思えてならないのだが・・・・
(1) 原発は稼動停止しても、原子炉内に核燃料はある。仮にそのまま廃炉にするとしても、それには10年オーダーの時間がかかる。
(1) 原発は稼動停止しても、原子炉内に核燃料はある。仮にそのまま廃炉にするとしても、それには10年オーダーの時間がかかる。
(2) 廃炉に至るまでの間、少なくともある段階まで「原発リスク」が無くなる訳ではない。「稼動状態よりも停止状態のほうが低い」だけである。
(3) 福島原発事故に対する現状判明している賠償を含めても尚、原発は電力量当たりの発電コストが最安である。従って、如何なる形であれ「脱原発」は「電気料金の値上げ」を伴う。
(4) 日本は偏西風帯にあるから、「日本に於ける原発リスク」と言う点では、半島や大陸の原発も看過できない。
(5) その上、半島や大陸が「脱原発」に方針転換する可能性は、「半島や大陸が憲法9条を採用する」可能性と同程度であろう。即ち「戸外を歩いているときに隕石が命中して即死する」可能性と同程度(*3)であり、早い話が非現実的だ。
(6) ドイツが「脱原発」を決めるとほぼ同時にドイツのシーメンス社は原発事業からの撤退を決めた(*4)。この意味する所は、ドイツの原発技術は、早晩民間には維持されないだろうと言う事である。
(7) 同様に、「脱原発」を決めた場合の日本でも、原発技術の民間での維持は出来ないだろう。「廃炉ビジネス」は10年オーダーで維持されるだろうが、先がないのだから。
(8) 上記の結果、半島や大陸由来の原発リスクに対し、我が国は現在以上に脆弱になるだろう。
(9) 極東で「一国脱原発(*5)」を我が国が果たし、その結果原子力技術を失った場合の半島・大陸由来「原発リスク」と、原発と原子力技術を維持し、国内由来の「原発リスク」を抱えつつ半島・大陸由来の「原発リスク」にも備えたリスクと、何れが高く、何れが深刻か、少なくとも比較検討の必要が、「原発リスクだけ考えて」もある筈だ。
<注釈>
(*1) 私の「自然エネルギー推進論」―フクシマ後も原発推進の立場から― http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/35778036.html http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/35778053.html http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/35778071.html(*2) 入原発論 http://www.blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/36713808.html http://www.blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/36713836.html(*3) 即ち、ロバート・A・ハインライン風に言えば「豹がその斑を全て洗い流し、ジャージー種の牛と同じ仕事を貰う日が来る」可能性と同程度だ。(*4) ドイツ降伏-独シーメンス社 原子力事業から撤退 http://www.afpbb.com/article/economy/2828751/7793213 http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/36006950.html(*5) ドイツ、イタリア、デンマーク。「脱原発」なんて贅沢が出来るのは、「電力不足ならば別の国から、特にフランスの原発から輸入できる」欧州諸国ぐらいだ。従って我が国が管直人の言うように「脱原発」を決めたとしても、それは「一国脱原発」にしかならない。クラスター爆弾禁止条約と似たような状況だ。