東京新聞の脱原発原理主義は当ブログでも再三槍玉に挙げているところ。何しろ、以前取り上げた東京新聞社説では、脱原発候補と原発擁護候補が選挙の結果、原発擁護候補が勝ったと言うのに「住民融和の為に脱原発に鞍替えしろ」と素面で主張できてしまうのだから、正気の沙汰ではない。脱原発を絶対の正義とし、民意も選挙結果も「住民の苦渋の選択」も蹂躙しようと言う凄まじさである。
そんな東京新聞が、脱原発を掲げた新人候補と原発について慎重な態度を示す現職候補による御前崎市長選挙結果を受けるとなると、こんな社説になる訳だ。
そんな東京新聞が、脱原発を掲げた新人候補と原発について慎重な態度を示す現職候補による御前崎市長選挙結果を受けるとなると、こんな社説になる訳だ。
転載開始=========================================
【東京社説】
御前崎の選択 原発に頼らないまちへ
浜岡原発を抱える静岡県御前崎市長選で三選を果たした現職は、再稼働の判断も原発後のまちづくりも先送りした。国策の原発を地域の問題として考えなければならない不条理がそこにある。東海地震の震源域の真上に位置する浜岡原発は、昨年五月に国が運転を停止させた。最大二一メートルの津波が押し寄せる新たな推計も発表され、住民らの不安は募る。御前崎市長選・市議選では再稼働をめぐる各候補の訴えが注目された。市長選の二新人は、それぞれ「任期中は同意しない」「永久停止と廃炉」と主張し、争点に位置付けた。現職の石原茂雄氏(64)も原発に頼らないまちづくりの必要性は分かっていた。しかし、再稼働の是非について言及を避け「市民対話の中で誤りのない方向を見いだしていく」と言葉を選んだ。浜岡が早期に再稼働できるなんて思っていない。でも廃炉にせよとまでは言えない-。原発が産業になってきた“町”は未来をまだ決めかねているようだ。住民たちはポスト原発のまちづくりをどう考え、御前崎の未来図をどう描くかを知りたかったはずだ。政府の大方針はないのだから、難しいことではある。しかし、選挙は意見を戦わせる場でもあったはずだ。フクシマ以降、原発の新設や増設計画がある福島県や鹿児島県の四自治体が電源三法交付金の申請を辞退した。脱原発と同時に、自分たちの未来を拓(ひら)くためだ。茨城県東海村を含む首長らが呼び掛けた「脱原発をめざす首長会議」(仮称)も設立される。原発を地方自治の問題として考え直す動きは広がっている。政府の動きはいかにも遅い。逆に再稼働を急いでいる。原発立地自治体は原発後の将来ビジョンを描くことはできる。いや、描く時が来たと言ってもいい。一つ提案をしよう。中部電力は浜岡1、2号機の廃炉を御前崎市の協力を得て成し遂げなければならない。両者には長い関係がある。廃炉をビジネスとしつつ、将来的に風力などの新エネルギー拠点ともなり得るのではないか。常磐炭鉱が閉山した福島県いわき市や、新日鉄が高炉停止した岩手県釜石市が再生できたのは企業との共生があったからだ。原発マネーによる豊かさは、大きなリスクを伴うと思い知らされた。代わりに安全安心という豊かさを求めよう。どの立地地域でも同じ思いであるだろう。
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「原発擁護なんて金が欲しいだけだろう」と言っている
さて、如何だろうか。
章題でネタバラシしてしまったようなものだが、上掲社説の本質は、最後のパラグラフに尽きよう。
1> 原発マネーによる豊かさは、大きなリスクを伴うと思い知らされた。
2> 代わりに安全安心という豊かさを求めよう。どの立地地域でも同じ思いであるだろう。
章題でネタバラシしてしまったようなものだが、上掲社説の本質は、最後のパラグラフに尽きよう。
1> 原発マネーによる豊かさは、大きなリスクを伴うと思い知らされた。
2> 代わりに安全安心という豊かさを求めよう。どの立地地域でも同じ思いであるだろう。
上記1>~2>を平たく言えば、「原発立地なんて皆原発マネーが欲しいだけだろう。」と言う事になる。何とも下世話な、と言うより下卑た見方と言えよう。そのくせ、「安全安心と言う豊かさを求める」手段としては、
3> 廃炉をビジネスとしつつ、将来的に風力などの新エネルギー拠点ともなり得るのではないか。
などと言う、大間抜けな提案しかしないのだから、実に無責任な話だ。
「大間抜け」と言うのは、先ず「風力なんぞ幾ら将来になろうとも原発を代替するような新エネルギーにならない」から。その理由は「私の自然エネルギー推進論(*1)」にも述べた「発電力の可制御性」もさることながら、発電密度の絶望的なまでの低さ故。「入原発論(*2)」で説いた通り、原子炉ならば1基で1GW(ギガワット)の発電力が平気であるが、1GWの太陽光発電は想定し難いほどに大規模な施設であり、尚且つ原子力や火力の4倍の発電力と理想的な蓄電手段とで漸く互角になると試算した。これが風力発電となると、5MW級と言う国内にはまだないらしい大型風力タワーでも200基で漸く1GW。1MWあたり20ヘクタールと言うwikipediaにあった地上風力発電の敷地面積基準からすると、1GW級の風力発電所の面積は200平方キロ。1キロ司法ごとに1基の大型風力タワーが建つ、14キロ四方の風力発電施設が現出する。その数倍の施設が、しかも理想的な蓄電施設( それが何でどんなものかは、想像すらつかない )と合わせて漸く原子炉1基だ。理想的な蓄電施設からして可也遠い将来とならざるを得ない。
それまで「原発廃炉ビジネス」で食い繋げと、東京社説は主張する。なるほど廃炉には10年オーダーの時間がかかるから、「幸い」原発の地元であるし、「一見正論」に見える。だが、誰がその「廃炉ビジネス」に金を払い、誰がその「廃炉ビジネス」を実施するのか。
先ずは実施者は誰か。現状に於いて原子力技術者を最も擁しているのは、原発設備を作る東芝、日立、三菱などのメーカーである。だが、ドイツが「脱原発」を宣言した途端にドイツ最大の原発メーカー・シーメンス社が原子力事業から撤退してしまった(*3)ように、原発を自国に売れない原発メーカーは、原子力事業を継続する事は難しい。「脱原発」事業でがっぽり儲かるのならば、これらメーカーも原子力技術を維持しようが、そうでなければフランスなりアメリカなり国外の原発メーカーの原子力技術で廃炉を実施する他なかろう。つまりは外資頼み、外国企業頼み。「企業との共生」はその分困難となろう。
先ずは実施者は誰か。現状に於いて原子力技術者を最も擁しているのは、原発設備を作る東芝、日立、三菱などのメーカーである。だが、ドイツが「脱原発」を宣言した途端にドイツ最大の原発メーカー・シーメンス社が原子力事業から撤退してしまった(*3)ように、原発を自国に売れない原発メーカーは、原子力事業を継続する事は難しい。「脱原発」事業でがっぽり儲かるのならば、これらメーカーも原子力技術を維持しようが、そうでなければフランスなりアメリカなり国外の原発メーカーの原子力技術で廃炉を実施する他なかろう。つまりは外資頼み、外国企業頼み。「企業との共生」はその分困難となろう。
さらには「廃炉ビジネスに金を払う」のは誰か、だ。
「東電始めとする電力会社」と言うのはありそうな答えだ。だが、発電すれば今後も長期的に安定的な電力を供給し、利益を上げてくれる筈の「金の卵を産む鶏」原子力発電所を「脱原発」で止められて利益を逸失した上、その原発の廃炉コストを負担する事は、原発停止による火力発電増強=燃料消費量増大共々電力会社の経営を圧迫しよう。以前にも記事にした通り、福島原発事故による賠償を入れてもなお火力発電よりも安くつく原発が動いていればその利益を廻すと言う事も出来ようが、来月にも実現してしまう「稼動原発ゼロ」なんて状態では、原発は全く発電しないので、利益を生まない。となれば、廃炉のコストも火力発電所の燃料費も、共に電力料金の値上げで賄う他ない。
「脱原発が国策」とするならば、投入されるの税金だろう。今、各家庭で細々と発電している太陽光発電が、42円/Kwhと、火力発電の4倍以上の高値で買い取られているように、高い金を払って「廃炉ビジネス」を推進する。この場合、応札企業を国内に限るなどして、現・原発メーカーの原子力技術を維持できる可能性がある。が、廃炉ビジネスマネーは基本的に税金であり、原発マネーと違って我が国の発電量増加と言う形で見返りがあるわけではなく、いたずらに国力、資材、人材、技術を消耗するのみである。
先述の通りこの状態が、「風力などの新エネルギー拠点」となる「将来」まで続く訳だ。無論その前に廃炉作業が完了してしまわなければ、だが。
こんな状態を「安全安心で豊かさを求める」と言う訳だ。東京社説は。
脱原発を金科玉条と絶対視するのは東京新聞の勝手だ。
原発マネーならぬ「廃炉ビジネスマネー」に依存した「原発地元自治体」を「安全安心で豊かさを求める」と絶賛するのも東京新聞の勝手ではあろう。
そのために「脱原発を標榜する新人は落選した」と言う「選挙結果」を無視し、「原発マネーなんかよりも廃炉ビジネスマネーの方が良いぞ」と主張するのは、「どうせ金が欲しいだけだろう」と言っているのに等しい。そこに「将来的」と限定詞をつけつつ「風力などの新エネルギー拠点」なんて絵空事を持ち込むのは、最早詐欺と言って良い。
東京社説には、我が国のエネルギー政策に対する展望もなければ、ひょっとすると我が国エネルギー政策≒電力政策を憂えて「脱原発候補落選」を選択したかもしれない(*4)「民意」に対する敬意もない。
まあ、「原発擁護」を掲げて当選した候補者に「住民融和の為に脱原発になれ」と要求する(*5)よりは、まだマシな社説ではあるが。
だが、大差はないぞ。
「東電始めとする電力会社」と言うのはありそうな答えだ。だが、発電すれば今後も長期的に安定的な電力を供給し、利益を上げてくれる筈の「金の卵を産む鶏」原子力発電所を「脱原発」で止められて利益を逸失した上、その原発の廃炉コストを負担する事は、原発停止による火力発電増強=燃料消費量増大共々電力会社の経営を圧迫しよう。以前にも記事にした通り、福島原発事故による賠償を入れてもなお火力発電よりも安くつく原発が動いていればその利益を廻すと言う事も出来ようが、来月にも実現してしまう「稼動原発ゼロ」なんて状態では、原発は全く発電しないので、利益を生まない。となれば、廃炉のコストも火力発電所の燃料費も、共に電力料金の値上げで賄う他ない。
「脱原発が国策」とするならば、投入されるの税金だろう。今、各家庭で細々と発電している太陽光発電が、42円/Kwhと、火力発電の4倍以上の高値で買い取られているように、高い金を払って「廃炉ビジネス」を推進する。この場合、応札企業を国内に限るなどして、現・原発メーカーの原子力技術を維持できる可能性がある。が、廃炉ビジネスマネーは基本的に税金であり、原発マネーと違って我が国の発電量増加と言う形で見返りがあるわけではなく、いたずらに国力、資材、人材、技術を消耗するのみである。
先述の通りこの状態が、「風力などの新エネルギー拠点」となる「将来」まで続く訳だ。無論その前に廃炉作業が完了してしまわなければ、だが。
こんな状態を「安全安心で豊かさを求める」と言う訳だ。東京社説は。
脱原発を金科玉条と絶対視するのは東京新聞の勝手だ。
原発マネーならぬ「廃炉ビジネスマネー」に依存した「原発地元自治体」を「安全安心で豊かさを求める」と絶賛するのも東京新聞の勝手ではあろう。
そのために「脱原発を標榜する新人は落選した」と言う「選挙結果」を無視し、「原発マネーなんかよりも廃炉ビジネスマネーの方が良いぞ」と主張するのは、「どうせ金が欲しいだけだろう」と言っているのに等しい。そこに「将来的」と限定詞をつけつつ「風力などの新エネルギー拠点」なんて絵空事を持ち込むのは、最早詐欺と言って良い。
東京社説には、我が国のエネルギー政策に対する展望もなければ、ひょっとすると我が国エネルギー政策≒電力政策を憂えて「脱原発候補落選」を選択したかもしれない(*4)「民意」に対する敬意もない。
まあ、「原発擁護」を掲げて当選した候補者に「住民融和の為に脱原発になれ」と要求する(*5)よりは、まだマシな社説ではあるが。
だが、大差はないぞ。
<注釈>
(*1) 私の「自然エネルギー推進論」―フクシマ後も原発推進の立場から― http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/35778036.html http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/35778053.html http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/35778071.html(*2) 入原発論 http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/36713808.html http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/36713836.html(*3) ドイツ降伏-独シーメンス社 原子力事業から撤退 http://www.afpbb.com/article/economy/2828751/7793213 http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/36006950.html(*4) そうであって欲しいと、期待されるが。(*5) 「脱原発」の自己目的化-東京新聞社説「上関町長選 原発マネーと別れよう」を斬る! http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/36039847.html