応援いただけるならば、クリックを⇒ https://www.blogmura.com/  http://www.269rank.com/
 
 タイトルに捩った元ネタは、私の知る二通りある。
 
 ① 君、君たらざれば、臣、臣たらず。

 ② 君、君たらずと雖も、臣、臣たるべし。
 
 何れも君臣の分について述べた「格言」である。ここでは「君」とは「君主」即ち殿様であり、「臣」とは、「家臣」即ち家来を指す。
 上記①の方はさして説明も要るまい。殿様がしっかりしなければ、家来だってついて来ない。トップリーダーの人格人徳が部下を薫陶する、と言う考え方。逆に言えば、トップがアホだと部下もそんな上司は尊敬・尊重せず、言う事だって聴かなくなるし、謀反だって企てる。と言う事。まあ、良くある話だな。
 
 一方上記②はその逆で、殿様がアホでも家臣は全力を挙げて忠義を尽くすべきだ、と言う考え方。「諫死」なんて概念も、こういう考え方が裏打ちになっているのだろう。
 
 つまり上記①は、君=殿様を諌めた格言であるのに対し、上記②は臣=家来の心得を述べたもの、と言えよう。
 
 と、前振りはこれぐらいにして・・・今回取り上げるのは石原慎太郎の「日本よ」から、君中の君・天皇陛下の勇気を取り上げた一文。
 
 先ずは御一読、願おうか。
 
転載開始=========================================

【日本よ】
石原慎太郎 天皇陛下の勇気

 先月の十一日、一年前の東日本大震災の犠牲者を追悼する式典が天皇、皇后両陛下の御来臨のもと東京の国立劇場で行われた。それからわずか二十二日前、陛下は心臓の大手術を東大病院で受けられており御来臨は危ぶまれていたが、陛下のたっての御意志で実現されたのだった。
 術後間もないこととて当初の予定は半分に短縮されたが、それでも陛下は確かな足取りで登壇されて弔辞を述べられた後に退席された。陛下が舞台の上手から現れた時、実は私は固唾を呑(の)む思いで身を凝らしそのお姿を見守っていた。それは満場の出席者の誰とも違った、私一人の後ろめたさの故だった。
 その訳はあの大震災の十九日後陛下が東京都足立区の東京武道館に避難してきている福島県民を見舞われた時のことによる。私は密(ひそ)かにある筋を通じて、東京武道館にいる被災者たちは他の被災者たちと違って比較的東京に近いいわき市近辺から放射線の危険を避けるべく、原発の危険がまだ定かならぬ時点での勧告で避難してきた人々が主で、あの大津波で着の身着のまま、命からがら、家族を失いながら離ればなれに退避している被災者に比べれば、めぼしい財産をかき集めた上自家用車で逃れてきた人たちで避難生活にも比較的余裕があり、陛下がお見舞いに来られる時間帯にはかなりの人たちが他出しているだろうことを伝えていた。
 しかしなお陛下はそれでも来臨されて被災者たちを一人一人声をかけてねぎらわれたものだった
 しかしやはり被災者の多くは他出していて陛下のお見舞いは予定より早く終わってしまい、警護の都合もあって予定の出発時まで控え室で過ごされることになってその間私は同席し、発災後間もなくヘリで飛んで視察に赴いた福島、宮城、岩手の各都市の惨状を報告し、すでにかつて他の病での手術を受けておられる陛下にはとても無理としても、若く元気なご子息の両殿下を名代として出来るだけ早く現地の見舞いに差し向けられてはいかがと僭越(せんえつ)にも建言させていただいた。
 その間皇后陛下は一々頷いて私の言葉を聞いておられたが、陛下はなぜかただ黙ったまま表情も見せずに聞いておられた。
 やがて時が来てお立ちとなり、先行して部屋を出てお見送りのために玄関口に立っていた私の所へ何故か突然陛下がつかつかと歩み寄られ、小声で、しかしはっきりと、「東北へは私が自分でいきます」といわれたものだった。
 私は唖然(あぜん)たる思いでそれを聞き取り、立ち去られる陛下を見送っていた。


 私のような健康体の人間にとっても被災三県へのヘリでの飛行はかなりこたえるものだったが、すでに手術を受けられているお体にとって、ましてそのお人柄からして東京でと同じように被災者に一人一人身をかがめて声をかけられるだろう作業は並大抵のものではあるまい。
 しかし陛下はそれを完全になしとげられた。同行する県知事や幹部たちはその後ろで侍立しているだけだが、陛下は東京と比べものにならず数多い被災者たちに、東京でと同じように、いや被災者の惨状が惨めなるほど身につまされてだろう、実に懇切に対応されていた。その後の御疲労のほどは計り知れぬものがある。
 私の慰問と視察などは、県の知事室で今後の実務の協定の打ち合わせをした後現地を気ままに歩き回っての視察ですむが、陛下のおつとめは肉体的にもその数十倍、いや数百倍に違いない。陛下からじかに声をいただき感涙した人々はそれでどれほど心を癒やされたことかと思うが、陛下のお体にはとんでもない負担がかかったに違いない。
 そして今回の心臓の大手術とあいなった。それを聞いた時、私はあの東京武道館の玄関口での陛下のお言葉を思い出さぬ訳にいかなかった。しかし思うに、私の建言なんぞの前に陛下はとうにご自分で心に決めておられていたのだと思う。
 そしてその決断と実践がすでに前の手術で痛んでいたお体にさらに鞭(むち)を加えての発病になったのだとしたら、陛下は日本の元首として、国を守るべき一人の兵士と同じように、その職に徹して倒れられたといえるのかもしれない。
 しかし陛下にじかに、余計だったかも知れぬ建言を申し立てた私としては、陛下が心臓の病で倒れられたと聞いた時密(ひそ)かな自責の念に囚(とら)われぬ訳にはいかなかった。
 追悼の記念式典に来臨された陛下はやはり前よりも痩せられてみえたが、歩く御姿はむしろ普段よりも凛(りん)として見うけられた。
 式辞を述べられ退席される陛下に出来れば私は、二階正面から陛下の御健勝を祈って天皇陛下万歳を叫びたかったが、なぜか司会者は天皇のご退席は着席のままお見送りするようにと案内していたのでそれはかなわなかった。
 一国の元首を兵士に例えるのは非礼かも知れぬが、しかし陛下はその身の危うさを顧みることなく見事な君主として、そして見事な男として、その責を果たされたものだと思う。
 我欲に溺れ国民にいうべきこともいえず、いい訳を繰り返し無為のままこの国を損ないつつある政治家たちは、陛下が我が身を顧みずに示された責任の履行という、責務を負うた者の生き方の原理を見習うべきに違いない。
=================================転載完了

天皇陛下万歳!

 さて、如何であろうか。
 
 私の率直な感想は章題にもした通り「天皇陛下万歳!」であり、次いでタイトルにした通り、「臣、臣たらざるもの数多在れど、君、君たり!」と言う快哉の叫びである。無論、ここで言う「快哉」とは、「我が君が、誠の君主であらせられる」ことを再確認した「臣下の喜び」である。
 まあそれと同時に我ら臣下としては、「臣たらざる臣」或いは己が中の「臣たらざる部分」について反省し、自省し、省みなければならないのだが。「君、君たる以上、臣、臣たらざるべからず」と言うところか。
 
 史実として1300年以上、伝説として2600年以上続く我が国の皇統、即ち今上陛下を含む歴代の天皇陛下が、「万世一系(*1)」など数多の伝説・共同幻想に彩られている事は私も認めよう。例えば仁徳天皇の炊煙の故事、即ち炊煙のか細さから国民(くにたみ)の疲弊を察した仁徳天皇が、三年間無税とする事で、民の力を強くされ、3年後に炊煙の太さを見て喜んだと言う故事なぞは、史実ではないだろう。如何に古代国家日本が現在ほどには財源を必要としない国家であったとしても、天皇陛下だって霞み食べて生きている訳ではないのだから、「三年間無税」が史実な訳がない」と言うのは合理的判断だ。
 
 だから記紀=古事記・日本書紀は史実ではなく、天皇制は虚飾まみれだ!」と左翼ならば断じるところだろうが、右翼たる私は当然ながら真っ向から反論する。即ち炊煙の故事は、史実ではなくても伝説であり、当時の日本人の理想像、願い、思いが込められていると。それ即ち、当時我が国の名実共にトップリーダーである仁徳天皇をして「かくあれしか」と言う理想的指導者像の投影であり、そのような理想的指導者像が当時存在した、と言うのは紛れようもない明白な事実であり、史実である、と。
 
 而して、左様な「太古の昔の理想的指導者像」たる「仁徳天皇の炊煙の故事」が、21世紀の日本に生きる我々の琴線に触れるのならば、それこそ正に日本と言う国の歴史の重みであり、先祖累代積み重ねてきた血の証左であり、文化である、と。
 
 無論、日本人の中にも「炊煙の故事」の話を聞いて全くピンと来ない、と言う人もあろう。私が「臣、臣たらざる者数多在れど」とする所以だ。また、今上陛下を含む累代天皇陛下が「炊煙の故事に描かれる仁徳天皇」とはかけ離れた所業を為されていたら、そんな「臣たらざる」日本人は、残念ながら増えるだろう。
 
 だが、事実は、現実の今上陛下は、福島原発事故の影響で電力不足となって東電が「計画停電」を実施した際には、皇居は計画停電地域ではなかったにも拘らず、「皇居は自主的に計画どおり停電」を実施されたし、今回取り上げた石原都知事の一文の示すとおり、病身を押しての東日本大震災被災民慰問を実施されている。これらの今上陛下の行動は、仁徳天皇の炊煙の故事にあい通じるものがあり、記紀を始めとして数多ある伝説・共同幻想を補強し、少なくともその一部を現実化しているものである。
 
 豈臣、臣たらざる可けんや!
 

<注釈>

(*1) 「一系」である可能性はなおあろうとは思うが、「万世」と言うのにはまだまだ代数が足らない。