応援いただけるならば、クリックを⇒ https://www.blogmura.com/ http://www.269rank.com/
いささか旧聞に属するところとなってしまったが、「河村南京発言」として問題視された「南京虐殺はなかったのではないか」という河村・名古屋市長の発言には三赤新聞下っ端・琉球新報も社説で攻撃している。朝日や東京の社説を取り上げておいて、琉球新報だけお目こぼしと言うのは、片手落ちというべきだろう。
と言う訳で、残敵掃討開始!
転載開始=========================================
琉球新報社説 南京虐殺否定発言 歴史の歪曲許されない
2012年2月24日河村たかし名古屋市長の「南京大虐殺」否定発言が、波紋を広げている。河村市長は、市役所を表敬訪問した中国共産党南京市委員会の訪日代表団に、旧日本軍の「南京大虐殺」について「通常の戦闘行為はあったが、南京事件はなかったのではないか」と発言した。この発言を、南京大虐殺記念館館長が「でたらめな話」と強く批判。姉妹都市提携を結んでいる南京市は、名古屋市との交流を当面中止した。日本政府は南京大虐殺の事実を認めている。さらに、2010年の日中歴史共同研究報告書で虐殺の「事実」は確認済みだ。日本側は「日本軍による集団的、個別的な虐殺事件が発生し、強姦、略奪や放火も頻発した」と指摘。中国側は「多数の捕虜や住民を集団虐殺し、略奪を繰り広げた。重大な国際法違反」と記述した。河村市長の言う「戦闘行為」などではないことは明白だ。その後、河村市長は「30万人の一般市民を虐殺したと語り継がれている。(歴史認識を)正すのが私の社会的、政治的使命だ」と述べている。犠牲者の数について、共同研究報告書で日米に認識の隔たりがあることは事実だ。中国は「30万人以上」とし、日本側は「20万人を上限として4万人、2万人などの推計がある」と指摘している。今後の研究の成果が待たれるところだ。しかし、犠牲者数の違いを持ち出して、南京大虐殺そのものを否定するようなやり方は無理がある。それに歴史認識や事実を正すのは、研究者の仕事であり、学問の世界に政治が介入してはならない。これまで歴史認識の違いが日中両国民の感情を刺激し、しばしば政治問題に発展した。こうした歴史認識の溝を埋めるために、日本の呼び掛けで実現したのが日中歴史共同研究だ。この経緯と研究成果を軽んじてはならない。共同研究報告書は「(日中戦争で)被害を受けた中国民衆にとって、日本による侵略の記憶は深刻」との共通見解をまとめている。ことしは日中国交正常化40周年。日中共同研究で示された共通認識を踏まえ、両国の信頼をいかに深め、どのような未来志向の付き合いをしていくのか。その方向性を示す役割こそ、政治の使命ではないか
=================================転載完了
河村市長の個人的体験を、無視しろと言う暴挙
何度も随所に引用しているジョージ・オーウエルの「1984」は、記事にもしているが古い小説である。発表が1948年だから大東亜戦争(太平洋戦争)直後の朝鮮戦争前。この小説の描き出すデストピア・社会主義独裁体制は、国民に個人的記録・日記さえ許さず、歴史を都合よく改変しまくり、「過去を支配する者は、未来をも支配する」と豪語する。
映画「300」の前半で、スパルタ王レオニダスとペルシャ皇帝クセルクセスの直接対決はこの映画の一つの山場だが、この対決が決裂するに際してクセルクセスは、スパルタを滅ぼし、その歴史書を焼き、「スパルタ」とか「レオニダス」の名を口にした者はその舌を引き抜いてやる、と宣言する。「明日には、お前たち(スパルタ及びレオニダス王)は存在しなくなる。」と、恫喝する。
いずれも、過去を改変することによる未来支配の恐ろしさを端的に示した例、と私は理解している。
今回取り上げた琉球新報社説もまた「歴史の歪曲許されない」と銘打っている。その意味では、上記の「1984」や「300」の警告を確かに受け止めている私は、この琉球新報社説に賛同しそうに思うかもしれない。
とぉんでもない。
一つには、当該社説があたかも歴史の真実かのごとく持ち上げている「正しい歴史認識」が「日中共同歴史研究の結果」であるからだ、当該研究は朝日や東京の社説でも「日本側は虐殺があったことは認めた」としてやはり「南京大虐殺の根拠」としているが、その研究会が歴史学者同士の真摯で自由な討論の場であったならば、ひょっとしていくらかは「歴史の真実」に近づいたかも知れない。が、そもそも思想の自由なんざぁ唄い文句にしかないような中国が相手であり、かつ中国の歴史とは「現王朝を正当化するための歴史」の積み重ね。今の王朝が中国共産党なんだから「南京大虐殺」について自由な議論なぞしよう筈がない。結果、中国は「60万ダァ60万ダァ」とアホダラ経を唱えるばかりで議論もなにもあったものじゃない。
そこで決裂すればこその学者的良心と言うものだが、「政治的妥協」するものだから「大虐殺はあった」ことにして、「犠牲者数は両論併記」なんてことになった。自由闊達な議論で合意に達せず「両論併記」というならば、少なくとも「南京虐殺は虚構」を含めた三論併記であるべきだったのに、三論とならなかったことからして「政治的妥協の産物」あるいはそもそもの「日本側歴史学者の選定ミス」を意味している。いずれにせよ「日中共同歴史研究」は成果にきわめて乏しく、その正当性は、学問的には皆無と言うべきだろう。
第二はかような経緯から噴飯物の「日中歴史共同研究」かどうかに関わらず、「歴史の歪曲」の前提となる「正しい歴史認識」というのが問題である。何しろ大陸は、現王朝におもねる正史と、「それ以外のすべて」である野史とが厳然と存在し、その正史が王朝交代ごとに交代して、さらには王朝交代が頻繁という歴史的背景がある。従って大陸で言う「正しい歴史認識」とは正史即ち「現王朝に追従する歴史」にほかならない。大陸の今の王朝は共産党政権であるから、いまの正史は「南京虐殺60万人」なんてことになる。こっちの方こそ「歴史の歪曲」であるのもさる事ながら、「歴史の歪曲を許すな=正しい歴史認識を強制しろ」というのが大問題だ。
「私の歴史観」観に書いて以来(多分)何度書いているか当人にも判らないぐらいだが、歴史艱なんてのは人の数だけあるし、あるべきなのだ。それは、社会認識と双璧をなす人間の個性とアイデンティティーの根源であるから、他人とは違って当然、似てれば「気が合うねぇ」だし、他国とは似ている方が珍しい。それを「正しい歴史認識に強制する」と言うのは、思想統制でありマインドコントロールにほかならない。
だから、私には私の歴史観があるし、それは河村市長には共通する部分はあっても、大陸の「正史」とは大いに懸け離れていよう。さらには「歴史観の強制」という意味では、私の歴史観を「正しい歴史観」として強制することにも私は反対する。先述の通り、歴史観は人の数だけあって、あるべきなのだから、大陸の正史と同様に私の歴史観もまた、強制されるべきではない。況や琉球新報ごときに、河村名古屋市長が、歴史観を強制をされる筋合いはない。
だが、議論はしたいね。
問題となった「河村南京発言」もまた、(それを言うなら、かつて空幕長更迭に至った田茂神発言もそうだが)己が歴史観を強制するものではなく、議論を呼びかけている。
もっとも、その呼びかけた議論とて、大陸の現王朝・共産党政権がある限りは、日中共同歴史研究と同様、不毛な水掛け論にしかならないだろうが。特に歴史学者に関する限り、大陸では曲学阿世の徒しか生き残れないと、考えるべきだから。
いかに、琉球新報。