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都内で脱原発集会、大江健三郎さんや山本太郎さんもアピール http://www.afpbb.com/article/disaster-accidents-crime/accidents/2857391/8449337
AFP通信が報じるのは、東京・代々木公園で実施された脱原発を訴える集会とデモ。
1> 集会にはノーベル文学賞(Nobel Literature Prize)受賞作家の大江健三郎(Kenzaburo Oe)さんや、
2> 俳優の山本太郎(Taro Yamamoto)さんも参加。
3> 主催者発表で1万2000人、警察発表では約7000人が集まった。
と報じられているから、先行記事にしたような「参加者50名≒一個歩兵小隊」でしかなく、その参加者数さえ非常に疑問であった反原発デモ(*1)よりは人数も集まり、盛り上がったようだ。実際、報じられている写真も「参加者の数が特定できるほど少数しか写っていない」訳ではない。ま、芸能人やタレントも集めたようだから、主催者としても力が入るのだろうが、上記3>にある通り主催者発表で「1万2000人」と言うから師団規模。これが警察発表となると約半分の「約7000人」で旅団か連隊規模だ。斯様な数字で主催者発表と警察発表がズレルのは毎度の事だが理系の人間としては斯様な「たかが人間の個体数を数えると言う計測誤差」は随分気持ちが悪いのだが、「とちらか選べ」と言われたら「警察発表」を選ぶ。理由は、主催者には参加者の数を多くしたいと言う動機が強くあろうが、警察には参加者数を増減する理由が弱いから、だ。
AFP通信が報じるのは、東京・代々木公園で実施された脱原発を訴える集会とデモ。
1> 集会にはノーベル文学賞(Nobel Literature Prize)受賞作家の大江健三郎(Kenzaburo Oe)さんや、
2> 俳優の山本太郎(Taro Yamamoto)さんも参加。
3> 主催者発表で1万2000人、警察発表では約7000人が集まった。
と報じられているから、先行記事にしたような「参加者50名≒一個歩兵小隊」でしかなく、その参加者数さえ非常に疑問であった反原発デモ(*1)よりは人数も集まり、盛り上がったようだ。実際、報じられている写真も「参加者の数が特定できるほど少数しか写っていない」訳ではない。ま、芸能人やタレントも集めたようだから、主催者としても力が入るのだろうが、上記3>にある通り主催者発表で「1万2000人」と言うから師団規模。これが警察発表となると約半分の「約7000人」で旅団か連隊規模だ。斯様な数字で主催者発表と警察発表がズレルのは毎度の事だが理系の人間としては斯様な「たかが人間の個体数を数えると言う計測誤差」は随分気持ちが悪いのだが、「とちらか選べ」と言われたら「警察発表」を選ぶ。理由は、主催者には参加者の数を多くしたいと言う動機が強くあろうが、警察には参加者数を増減する理由が弱いから、だ。
その主催者側発表の数を信じたとしても、「都内の脱原発集会」に1.2万人。一個師団の動員にしか過ぎない。先の記事にもしたが、東京は一千万人=一千個師団の人間を擁する世界屈指の都市。そこで「一個師団の集会・デモ」は「一個小隊のデモ」よりマシではあろうが、やはり「大した事は無い」。とは言え先行する「一個小隊デモ」で抱かされた仄かな希望「東京と民は放射能アレルギー・反原発ヒステリーから脱却しつつあるのではないか」と言うのを、先日「所定数が集まった」と報じられる「原発可否住民投票要望署名」ともども、揺るがすものではあるが。
さらに報道は伝える。
4> 大江さんは「原発が出す核廃棄物を、私たちは孫の代まで残すことになる。
5> それは人間が決してやってはいけないことで、倫理に反するものだ」と訴えた。
6> また山本さんは「もし大きな地震があれば、国が終わってしまう。
7> 終わらせないために、原発を再稼働させるわけにはいかない」と発言した。
大江健三郎に今更あれこれ言っても始まらないのだろうが、「核廃棄物」は原発なんか無くても、核兵器からも出るし、原発の発電を止めたところで「原発で燃やせば核燃料だが、燃やせないのならば核廃棄物」になるのだから減りはしない。上記5>「人間が決してやってはいけないことで、倫理に反する」と力み返ったところで、人間は既に原発も核兵器も一定の範囲で普及させているのだから、その「原罪」は免れようが無い。否。先頃の福島原発事故の為に今でこそ日本の原発はほとんど停止してしまったが、それ以前は電力の三割を原発が発電していたのだから、大江健三郎とて「電気は全く使っていなかった」ので無い限り、その「原罪」は免れない筈だ。ま、大江健三郎の事だから「戦前日本」と同様に、たんまり「反省」して見せるに違いないが、私はそんな「原罪」も「反省」も、信用しはしない。(*2)
「山本太郎」と言う冗談みたいな芸名の「俳優」は、全く知らない。時折此の手の集会やらなにやらに名前が上がっている「ようだ」としか知らない。だが、まあ、此の集会での言辞から、その程度は知れよう。
上記6>「もし大きな地震があれば、国が終わってしまう。」 だと、ふ・ざ・け・ろ・よ。M9.0と言う千年に一度の大地震を昨年3.11に喰らったが、我が国は終ってなど居ない。否、それどころか、此の手の「脱原発・反原発」運動・集会が、特に福島県を中心とする被災地差別を助長し、風評被害を拡大し、終らぬまでも我が国を弱体化させているのである。その一つの例が「被災地瓦礫処理の拒絶」であるが、山田太郎なる「俳優」は、そのお先棒を担いでいる。大江健三郎と同様に、な。
上記7>「(国を)終わらせないために、原発を再稼働させるわけにはいかない」 笑止。何が笑止かと言えば、「原発を再稼動しなければ安全」と短絡的に考えているところが笑止だ。仮に此の『「脱原発」を訴えるデモ』の主張どおりに日本が脱原発してしまい、全ての原子炉を再稼動させずに停止したままにした、としよう。止めた原子炉はどうするのかね?原子炉の中には既に核燃料が入っている。臨界させず、発電せずとも熱や放射線は相応に出る。「使用前」核燃料はメルトダウンしている訳ではないから、取り出し取り扱いは容易であるが、原発の建屋自身を廃炉にするには時間も掛かれば、技術も要る。
「脱原発」を宣言したドイツで、間髪を入れずにシーメンス社が「原発事業撤退」を宣言した(*3)ように、「脱原発」国では原子力技術は維持できない。
結果、「脱原発」日本では電力不足や電力供給不安定・高コストに加えて、外国技術に頼らない事には既存の原発廃炉もまともに行えない。当然ながら「止めた原発」から電力供給は無い上に、この廃炉期間に「大きな地震」が起きた時のリスクは、はて、稼働中の原発に対してどれほど低くなる事やら。少なくとも「原発再稼動を止めて、脱原発を果たしたから安心」なんてのは、自己満足か自己陶酔に他ならない。それを言うならば、「政府に求める安心」なんてのは、自己満足にしかならないのだが。
無論、大江健三郎や、多分此の山田太郎なる「俳優」と私とでは「宗教が違う」。安全に絶対を求めたり、政府に安心を求めて恬として恥じない輩と議論しても始まらない。私は、福島原発事故を経て尚、原発推進論者なのだから。
但し、私はある種の脱原発主義者・反原発主義者のように「絶対主張は変えない」等と宣言する事はしない。「絶対主張は変えない」などと言う主張は、一種自信の現れであるが、一面「私は馬鹿です」と宣言しているようなものだからだ。
私は、私の知性と理性と良心の命じるところに拠って「原発推進論(*4)」を未だ唱えている。だから、私の知性と理性と良心の命じるところに従い原発推進論から自然エネルギー推進論に宗旨替えすることは、あ・り・う・る(*5)。
それでも原発維新論を唱え続けているのは、一つには私を納得させるだけの「脱原発論」「反原発論」が無いからだ。
広瀬隆も武田教授も論外だ。況や、大江健三郎だの、山本太郎だのは、「名が売れている」と言うだけで、広告塔ではあろうが、説得力の欠片もない。
東京での「師団規模」のデモもまた然り。師団規模が軍集団規模(*6)になろうとも、「支持者が多い」なんてのは、私にとっては「だから何?」でしかない。ソリャ署名活動やら選挙やらすればその「多い支持者」が勝つだろう。現に民主党は先の衆院選挙で我が意に反して大勝し、「日本憲政史上最多の衆院議席数」を占めて今に至っている。だからと言って私が民主党を支持する理由には、全くならない。「軍集団規模の反原発支持者」があっても、同様である。
如何に、脱原発・反原発論者。
さらに報道は伝える。
4> 大江さんは「原発が出す核廃棄物を、私たちは孫の代まで残すことになる。
5> それは人間が決してやってはいけないことで、倫理に反するものだ」と訴えた。
6> また山本さんは「もし大きな地震があれば、国が終わってしまう。
7> 終わらせないために、原発を再稼働させるわけにはいかない」と発言した。
大江健三郎に今更あれこれ言っても始まらないのだろうが、「核廃棄物」は原発なんか無くても、核兵器からも出るし、原発の発電を止めたところで「原発で燃やせば核燃料だが、燃やせないのならば核廃棄物」になるのだから減りはしない。上記5>「人間が決してやってはいけないことで、倫理に反する」と力み返ったところで、人間は既に原発も核兵器も一定の範囲で普及させているのだから、その「原罪」は免れようが無い。否。先頃の福島原発事故の為に今でこそ日本の原発はほとんど停止してしまったが、それ以前は電力の三割を原発が発電していたのだから、大江健三郎とて「電気は全く使っていなかった」ので無い限り、その「原罪」は免れない筈だ。ま、大江健三郎の事だから「戦前日本」と同様に、たんまり「反省」して見せるに違いないが、私はそんな「原罪」も「反省」も、信用しはしない。(*2)
「山本太郎」と言う冗談みたいな芸名の「俳優」は、全く知らない。時折此の手の集会やらなにやらに名前が上がっている「ようだ」としか知らない。だが、まあ、此の集会での言辞から、その程度は知れよう。
上記6>「もし大きな地震があれば、国が終わってしまう。」 だと、ふ・ざ・け・ろ・よ。M9.0と言う千年に一度の大地震を昨年3.11に喰らったが、我が国は終ってなど居ない。否、それどころか、此の手の「脱原発・反原発」運動・集会が、特に福島県を中心とする被災地差別を助長し、風評被害を拡大し、終らぬまでも我が国を弱体化させているのである。その一つの例が「被災地瓦礫処理の拒絶」であるが、山田太郎なる「俳優」は、そのお先棒を担いでいる。大江健三郎と同様に、な。
上記7>「(国を)終わらせないために、原発を再稼働させるわけにはいかない」 笑止。何が笑止かと言えば、「原発を再稼動しなければ安全」と短絡的に考えているところが笑止だ。仮に此の『「脱原発」を訴えるデモ』の主張どおりに日本が脱原発してしまい、全ての原子炉を再稼動させずに停止したままにした、としよう。止めた原子炉はどうするのかね?原子炉の中には既に核燃料が入っている。臨界させず、発電せずとも熱や放射線は相応に出る。「使用前」核燃料はメルトダウンしている訳ではないから、取り出し取り扱いは容易であるが、原発の建屋自身を廃炉にするには時間も掛かれば、技術も要る。
「脱原発」を宣言したドイツで、間髪を入れずにシーメンス社が「原発事業撤退」を宣言した(*3)ように、「脱原発」国では原子力技術は維持できない。
結果、「脱原発」日本では電力不足や電力供給不安定・高コストに加えて、外国技術に頼らない事には既存の原発廃炉もまともに行えない。当然ながら「止めた原発」から電力供給は無い上に、この廃炉期間に「大きな地震」が起きた時のリスクは、はて、稼働中の原発に対してどれほど低くなる事やら。少なくとも「原発再稼動を止めて、脱原発を果たしたから安心」なんてのは、自己満足か自己陶酔に他ならない。それを言うならば、「政府に求める安心」なんてのは、自己満足にしかならないのだが。
無論、大江健三郎や、多分此の山田太郎なる「俳優」と私とでは「宗教が違う」。安全に絶対を求めたり、政府に安心を求めて恬として恥じない輩と議論しても始まらない。私は、福島原発事故を経て尚、原発推進論者なのだから。
但し、私はある種の脱原発主義者・反原発主義者のように「絶対主張は変えない」等と宣言する事はしない。「絶対主張は変えない」などと言う主張は、一種自信の現れであるが、一面「私は馬鹿です」と宣言しているようなものだからだ。
私は、私の知性と理性と良心の命じるところに拠って「原発推進論(*4)」を未だ唱えている。だから、私の知性と理性と良心の命じるところに従い原発推進論から自然エネルギー推進論に宗旨替えすることは、あ・り・う・る(*5)。
それでも原発維新論を唱え続けているのは、一つには私を納得させるだけの「脱原発論」「反原発論」が無いからだ。
広瀬隆も武田教授も論外だ。況や、大江健三郎だの、山本太郎だのは、「名が売れている」と言うだけで、広告塔ではあろうが、説得力の欠片もない。
東京での「師団規模」のデモもまた然り。師団規模が軍集団規模(*6)になろうとも、「支持者が多い」なんてのは、私にとっては「だから何?」でしかない。ソリャ署名活動やら選挙やらすればその「多い支持者」が勝つだろう。現に民主党は先の衆院選挙で我が意に反して大勝し、「日本憲政史上最多の衆院議席数」を占めて今に至っている。だからと言って私が民主党を支持する理由には、全くならない。「軍集団規模の反原発支持者」があっても、同様である。
如何に、脱原発・反原発論者。
<注釈>
(*1) 一個小隊―東京で反原発デモ 参加者僅か50人 - http://www.blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/36619915.html(*2) 序でに言えば彼の肩書き「ノーベル文学賞受賞者」ってのも、全く信じていない。彼の文学作品は読んだ事が無いが、読もうと言う気さえ起こらないのは、見た事のある彼の文章が、あまりに酷いからだ。所詮私は理系の人間であるから、「ノーベル文学賞」の価値など知りはしないが、そんな賞を大江健三郎が貰ったと言うのは「翻訳者が偉かったのに違いない」と断じてしまう。(*3) ドイツ降伏-独シーメンス社 原子力事業から撤退 http://www.afpbb.com/article/economy/2828751/7793213(*4) 私の原発推進論―または私が福島原発事故を経てなお原発を推進する理由。―前進せよ、人類。 http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/35630668.html(*5) 私の「自然エネルギー推進論」―フクシマ後も原発推進の立場から― http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/35778036.html(*6) 百万人に達する事もあるな。